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おたま:さて今日は、ウォークマップ出版の風人社最寄り駅でもある小田急線の世田谷代田駅からスタート、代田八幡から廻っていくよ。

◇あっ、見て! 富士山だ! こんな駅前から富士山が見えるんだね。

おたま:代田は知られざる富士ビュースポットなのさ。昔はお江戸の中心からでも富士山が見えたんだから、もっと西のここらへんからは見えて当たり前だけど。

◆昔は邪魔になる高い建物もなかったし、空気も綺麗だったから、よく見えただろうね~~

◇環七に出るとすぐ、代田八幡の大鳥居が見えるね。


◆あれ、歩道橋からも入れるんだ。なんか中二階みたいになってて面白い。


おたま:大鳥居のほうは明治以降のものなんだけど、脇の鳥居は天明五年(1785)に作られた、世田谷区で二番目に古い鳥居なんだよ。一番古いのは狛江市との境にある氷川神社の鳥居で、これより百年以上古いけど。

◇茅の輪くぐりがあるほうの鳥居だね。


 
おたま:環七からは、北沢川緑道を通って代沢へ向かうよ。


◆緑道入口に、世田谷一周ウォークのお知らせが貼ってあるね♪


◇ここは元・北沢川だったの? この前、芦花公園の粕谷八幡へ行く時に歩いた緑道は烏山川だったよね。



おたま:そう、烏山川は烏山の鴨池が水源の、本来の川だったけど、北沢川は湧き水や細い流れを調整して、北沢村の人たちが作った農業用水だったんだ。

◆わ~、立派な入口だ。これ北沢八幡? でもここ、神社じゃなくてお寺だよね。

おたま:ここは淡島(粟嶋)の森厳寺。九品仏や豪徳寺と並んで世田谷区名所の一つだよ。もともとは、これから行く北沢八幡の別当寺だったんだって。

◆別当寺っていうのは、平岩先生の代々木八幡と、その隣の斉藤弥九郎のお墓がある福泉寺の関係だよね。

おたま:そうそう。森厳寺は結城秀康ゆかりのお寺らしいけどね、境内にある淡島堂の施灸が大人気だったそうで「淡島さん」の名のほうが有名だね。



◇ほんとだ、入口に「淡島大明神」の立派な石があるね。あっ、道標も兼ねているのね。「北ほりのうち・よつやみち、東あをやま、南ゆふてんじ・めくろふとう」文化十一年だって。 

◆世田谷区の道標って、祐天寺や目黒不動関係が多いよね。

おたま:「北ほりのうち」にも、妙法寺や高円寺の寺町が今でもあるよね。

◆西の行き先は書いてないの?


◇世田谷区の西・・・畑や草っ原ばっかりで何もなかったんじゃない?


おたま:調布市や狛江市の人に怒られるよ!



◆北沢八幡、お詣りの人がたくさんいる~~


おたま:ここは「七沢八社随一正八幡宮」といわれているからね。八八幡巡りも、ここから始めるか、ゴールにするかっていうのが本当みたい。

◇ふーん、ここがトップなの? この前の八幡山の「ザ・八幡」が場所も真ん中だし、トップなのかと思った。

◆あっ、ここにも富士見ポイントがあるんだね。樹と樹の間から、うっすらと見えるよ!

◇昔はビルなど勿論、家も少なくて、ここから見える富士山はさぞ神々しかっただろうね~


おたま:さて次は、茶沢通りでもいいんだけど、一つ西側の鎌倉通りを行ってみよう。
 

◆あ、キャロットタワーが見える。三軒茶屋ゾーンに入って来たんだね~

◇家庭幼稚園って幼稚園がある。珍しい名前だね。なんか昭和っぽい。


 
おたま:戦後、鳩山さんたちと一緒に活躍していた政治家で曹洞宗の僧侶でもあった広川弘禅さんが作った幼稚園だね。弘禅さんが亡くなった時、奥さんの志津江さんが急遽身代わり候補になってトップ当選して話題になった。この幼稚園も長い事志津江さんが園長をしていたけど、今はお嬢さんの静さんが園長らしい。

◇鳩山さんって、鳩山ユキオ?

◆ちょっと、おたま姐さんの歳考えなさいよ。鳩山一郎さんだよ~


◇一郎さんかぁ。ユキオの父ちゃん・・・


◆お祖父ちゃんだよ!!


おたま:(怒)くだらない事言ってる間に、太子堂八幡着いたよ! 

◇太子堂八幡? このあたりの町名も太子堂なんだよね。聖徳太子の太子?

おたま:この近くにある円泉寺っていうお寺がここの別当寺なんだけど、南北朝の頃からそこに聖徳太子の像を安置した太子堂があって、ずっと太子堂という地名になってるらしいよ。この八幡も古いらしくて、八幡神社っていうと八幡太郎義家が奥州征伐の行き帰りの途中で寄って出来たっていう所が多いけど、ここにはもっと前から石清水八幡を勧請した神社があり義家たちがそこで勝利祈願をしたと伝えられているんだって。もともとこの辺には鎌倉道があってね、太子堂と若林の境から、北沢と代田の境の道を通って鎌倉へ道が通じていた(さっきの北沢緑道にも、鎌倉橋というのがあるんだよ)、だから結構開けていたのかもしれないね。

◆若林っていえば、世田谷区で一番古いのが若林小学校って聞いたことがある。

おたま:よく知ってるね。明治維新のすぐ後、太子堂郷学所っていう学校がこの辺に出来て、それが今の若林小学校なんだ。



おたま:さ、次は駒留八幡だよ。烏山緑道と世田谷線の踏切を越えて行こう。

◆わ~細い路地がいっぱい! さすが世田谷って感じ~~でも、おたま姐さん、どの道を行くの?

おたま:駒留八幡は環七沿いだから、適当に向こうの方に進めばどっかで環七に行きあたるよ。

◆アバウトだなぁ~

◇広い通りに出たけど・・・なんか様子が違う、これ環七じゃなくて世田谷通りに出ちゃったみたい?

おたま:あ~もうちょっと右寄りに行けばよかったかもね・・・

◇え~ウソ! どうしよう、迷子になっっちゃたの? あと二つも残っているのに~~

おたま:大騒ぎするんじゃないよ、世田谷散歩ってのは、迷うのも楽しみの内なの!! 世田谷通りをしばらく右に行けば若林交差点で環七に出るよ。

◆あ~ほんとだ、若林交差点に出た。よかったよかった!

◇交差点を過ぎてすぐ、右手に空き地みたいなのが見えてきたね。あぁ、ここが駒留八幡の裏手なのか。

◆駒留八幡は若宮八幡ともいうって書いてある。

おたま:ここを建てたのは世田谷吉良七代、吉良頼康という人で、祀られている若宮というのは頼康の息子にあたるんだよ。

◇吉良といえば、忠臣蔵の吉良上野介を思い出すけど・・・

おたま:吉良家は、清和源氏の流れ、八幡太郎義家の傍流でね。

◆嫡流は義親⇒為義⇒義朝⇒頼朝と続くけど、実朝が暗殺されて断絶しちゃったよね。

おたま:そうそう。まず分かれたのが新田家で、初代新田義重は確か為義の従兄弟になるんだったかな。義重の弟義康の系統が、何代か後に足利と吉良になる。そして吉良は更に西と東に分かれて、西が三河、東が武蔵に拠点を持つわけ。

◇そうか~、三河のほうが三州吉良、上野介の祖先だね。

おたま:うん。そして、これは案外知られてないみたいだけど、東西に分かれた吉良の間にもう一人兄弟がいて、この人は今川家の祖になったんだ。

◆へ~知らなかった! 今川義元・氏真が、足利家の血筋っていうのは聞いたことがあったけど、吉良上野介とも遠い親戚!

◇そういや、キャラもちょっと共通してるかも♪

◆なるほど静岡の今川を間に挟んで、愛知県の三州吉良と、関東の武蔵吉良ってわけね。納得!!

おたま:それで、関東に行った吉良のうち、数代あとの吉良治家という人が世田谷城を拠点に世田谷吉良家と呼ばれるようになったんだ。世田谷吉良家は後北条氏と婚姻関係を結び、七代目頼康の時が最も勢力を伸ばした絶頂期だといわれる。もっとも、頼康の次の代には、北条家が秀吉に滅ぼされて、吉良家も終わっちゃうんだけど・・・

◇若宮のお母さんを祀ったのが厳島神社なんだって。この小さなお社かな?

おたま:吉良頼康の話が出たからには、常盤伝説の話もしなけりゃね。世田谷区の区の花に指定されている鷺草は、常盤の化身とも言われているし・・・

◆常盤って、源義経のお母さんじゃないの?

おたま:もう一人の常盤、この人は、世田谷七沢の一つ奥沢の城主の娘で、頼康の側にあがり寵愛を受けていた。七沢の所で話題に出たけど、今の九品仏浄真寺のある所は昔、城だったんだよね。台地を九品仏川の低湿地帯が取り囲んでいる天然の城郭で、その湿地帯に鷺草が群生していたんだって。頼康が常盤を見初めたきっかけが、鷺の足に結ばれた常盤の和歌だったとか、いろいろエピソードの盛り込まれた物語があるんだよ。

◇へ~面白そう。どんな話なの?

おたま:まぁ大ざっぱにいえば、不倫冤罪の悲劇っていうか、日本版オセロー? 常盤は世田谷のデズデモーナってところかね。常盤への寵愛をねたんだ側室たちが、常盤は家臣の一人と密通しており、腹の子もその家臣の子だと告げ口したことで、常盤はついに自害に追い込まれて胎児と共に落命。その後冤罪だったことがわかったという・・・

◆へぇぇ~~悲劇なんだ。世田谷区民はみんな、この話を知っているの?

おたま:どうだかねぇ。知らない人も多いんじゃないかなぁ・・・冤罪と知って激怒した頼康が、讒言した十二人の側室たちを全員処刑。八幡神社を建てて常盤の腹の子を祀り、境内に弁財天の厳島神社も作って常盤の霊を慰めたという。

◆十二人も処刑?! 他罰的な奴っちゃなぁ。シェイクスピアのオセローは自責の念で自害したのに・・・

◇全く、讒言を信じた自分がまず反省しろって話だよね~

おたま:オセローでは、白人vs有色人種という問題が大きなポイントになっているけど、男の嫉妬にはコンプレックスという要素が重要かもね。

◇あっわかる! 今BSで再放送している「花子とアン」で、白蓮の旦那さんが、どんなに財力を誇示しても妻を振り向かせることが出来ず、妻が求める文学の素養や教養が自分に欠けている事がわかっているけど認めたくないという・・・

◆吉田鋼太郎、最高だよね! あのドラマの後、舞台のオセローもやってたけど、苦悩ぶりが半端なかった。

おたま:常盤伝説があまり世に知られず世田谷限定になっちゃっているのは、コンプレックス問題とかがなく単なる権力者と愛妾ってだけの話に終わってるんで、今いち話にコクがないっていうか、インパクトが不足してるかもね~

◇さてあと残るは一つ、世田谷八幡だけだね。

おたま:途中にちょうど、常盤伝説の由来を説明した「常盤塚」も通るよ。

◆今、思い出したんだけど、駒留神社って、ずっと前に一度来たことがあると思うんだ・・・だけど、こんな環七みたいな広い通り沿いじゃなくて、なんか雰囲気もかなり違ってて・・・ずっと前のことだから記憶がずれてんのかもしれないけど。

おたま:あっ、それはね、あんたが前に来たっていうのは、この駒留神社じゃなくって、きっと駒繋(こまつなぎ)神社のほうだよ! 住宅街の中にあるんだけど、こんもりした森みたいな、ちょっと鬱蒼とした所だったでしょ。

◆そう、それだよ!! ここと違うの? 

おたま:世田谷区民でも結構、混同してる人が多いよ。世田谷八八幡の中に「駒繋神社」って間違って書いてあるサイトとかもある。駒繋神社は八幡様じゃなくって、子(ね)の明神(大国主命)を祀った神社。駒繋の駒は、源頼朝の愛馬で、七沢の一つ「馬引沢」の時に話した、葦毛塚ゆかりの神社なんだ。

◇駒留と駒繋、確かに紛らわしいよね~~

おたま:駒繋神社は、ここから目黒川に続いている蛇崩川緑道沿いだから、こんど目黒川の花見ついでにでも、行ってみようかね。

◆◇楽しみだな~~

おたま:また世田谷通りに戻って、西に進んでいくと世田谷八幡だけど、せっかくだから大吉寺のところで左に折れてボロ市通りをちょっと歩いてみようかね。

◇大吉寺、寺内大吉さんのお寺で伊勢貞丈先生のお墓があるところでしょ! 『目籠』の現場検証に書いてあったよね。

おたま:すごい記憶力だねぇ、書いた当人のあたしも忘れてたよ(^^;

◆これがボロ市通りかぁ。

おたま:大山街道の一部でもあるんだね。毎年1月と12月に開かれる世田谷ボロ市は、北条氏政から楽市の権利を与えられて、430年の歴史を誇るイベント。いつもはこんな静かな通りだけど、ボロ市の時だけ異常な混雑で、世田谷線も増便になる。

◇あっ街灯に「世田谷代官」って書いてある。お代官さま~~~

おたま:ここが代官屋敷だよ。敷地内にある郷土資料館は、知る人ぞ知る小さな資料館だけど、北条幻庵覚書など保管されている史料や時々行われる特別展示の内容充実ぶりには定評があるんだ。去年の年末にやっていた「地図で見る世田谷」展の図録も、こんなに厚いのが千円で、展示物すべての詳細な解説と全部の展示地図が入っているCD込み!

◆ふ~ん、今度ゆっくり来てみよう。ところで、今でもこうして代官屋敷が残っているくらいだから、世田谷の代官って土地の人たちに愛されていたんだね。

◇時代劇なんかだと「越後屋~~おぬしも悪じゃのう、イッヒッヒ」「ムッフッフ、お代官様ほどではござりませぬ~」みたいな感じの悪代官イメージが強いけどね。

おたま:明治維新まで代々ここの代官を勤めた大場さんは相模の豪族大庭氏の流れで、もともとは吉良家の老臣だったけど、北条・吉良が滅亡したあといったん帰農して、そのあと改めて徳川配下の井伊家の代官にリクルートされたらしいよ。

◇勤めていた会社が大企業に吸収合併されて、いったん脱サラしたけど新しい会社にまた就職したって感じかな。

おたま:それだけ大場さんに領地運営の手腕があったんだろうね。徳川にしても井伊にしても、出身地から遠い世田谷のこのあたり、最初は全く勝手がわからなかっただろうから、土地の人々と絆もあり信頼できる管理人が必要だったんじゃない? 今の世田谷区長は保坂さんだけど、前の前くらいまでは代々大場一族の大場さんが区長だったし、区内の学校のPTA会長とかも大場さんが多いんだよ。

◆そういえば世田谷区民だったことのあるタモリさんが「大場区長もお友達」って言ってなかったっけ、まだ「いいとも」やってる頃。

◇ここからは世田谷線の線路に沿っていくんだね。あ、世田谷線宮の坂駅前に出た。

おたま:宮の坂駅には、玉電時代の車輛が置いてあって、子供たちの遊び場にもなっているよ。

◆あっ、新旧の世田谷線車輛が並んだ!

おたま:宮の坂駅からすぐの世田谷八幡、なかなか堂々としたお宮だよね。八幡太郎義家が奥州での戦勝御礼に創建したとも、世田谷吉良氏がここを拠点にした時に鶴岡八幡を勧請したともいわれ、はっきりした由来はよくわからないらしいけど。毎年秋の大祭に行なわれる奉納相撲の土俵もあるんだよ。

◇本日のゴール世田谷八幡に到着!

◆ついに世田谷八八幡、クリアしました!

おたま:この勢いで、今度は江戸の八八幡詣で十五里に挑戦するか?!
 

※参考資料は前篇と同じです。もしかしてブログ開始以来最長?? 長々お付合いいただき有難うございました!

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世田谷八八幡めぐり(後篇)

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