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「もっと知りたい」シリーズには狩野派のライバル、長谷川等伯ほか、琳派、浮世絵系などいろいろ揃っている。

     

 『洛中洛外画狂伝』の続編、『安土唐獅子画狂伝』は2018年3月刊。

     
『松林図屏風』は『等伯』よりも早く、2008年に書かれて日経小説大賞を受賞。
その後2011~12年に日経朝刊に『等伯』が連載、13年に直木賞を受賞している。
なぜか等伯と縁のある日本経済新聞。
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狩野派についての本いろいろ
先日の芥川賞・直木賞が、どちらも宮沢賢治関連だったことなどもあって、岩手の南部・遠野が注目を浴びている昨今。ず~っと前の「はいくりんぐ現場検証」で、「津軽vs南部」をちょっと話題にしたことがあった。確か、おるいさんの親戚が津軽にいる(1月の談話室で取り上げた『初春夢づくし』に登場)ことがきっかけで、尾張vs三河もそうだけれど、隣り合っているのに文化的には真逆な傾向のある二つの地域、というのに興味を惹かれていて、太宰治や棟方志功で有名な津軽に比べて今いち地味(?)な南部地方について少し学習したい、という気持ちをずっと持ちながら、なかなか実現できないでいたのだった。
それと同時に、大河ドラマで一挙に知名度を上げた井伊直虎に限らず、この時代実質的に女城主の役割を果たしていた女性はもっといたんじゃないか、そういう女性たちについても知りたいと思っていたところ、この二つの問いに同時に応えてくれる本がみつかった。これはもう読まねば。


『かたづの!』の作者、中島京子さんは映画化もされた『小さいおうち』での直木賞をはじめ、泉鏡花文学賞・中央公論文芸賞など、数々の文学賞受賞を誇る作家だが、小説すばる連載後2014年に出版されたこの『かたづの!』も、第三回河合隼雄物語賞・第四回歴史時代作家クラブ賞・第二八回柴田錬三郎賞を一気に受章したすごい作品である。
ヒロインは三戸に拠点を置いた南部家の支流、根城南部(八戸)氏の第21代当主清心尼で、夫であった20代当主南部直政の死後、江戸幕府より正式に女城主の座を認められた。江戸開府から大坂の陣が始まるまでの出来事で、戦国時代には実質的なものを含めればかなり存在したと思われる女大名・女城主に対し、江戸時代の女城主はこの清心尼が唯一だということだ。
家中の男子が次々と亡くなり、風前の灯となった家の存続のため女の身での城主という形で時を稼ぎ、できる限り戦を避けて血脈を繋ぎ、一家の生活を支えていくために苦労するという展開は、井伊直虎の物語と共通点が多い。直虎にも「井戸」というファンタジー要素がちょっとあったけれども、この物語では、最終的に家が遠野に移るということもあり、民話に出てくるようないろいろな動物や鳥・蛇などが登場して人間と交流する。ファンタジー好きはハマるに違いない。
タイトルの「かたづの」もそのうちの一つで、片角(一本角)の羚羊、「黒地花卉群羚羊模様絞繍小袖」という衣装にその刺繍がされており、今も南部の宝物館にあって数年前東京でも展示されたという。

『かたづの』の中でもちょっと触れられているが、南部一族の中に九戸政実という武将がおり、先日のNHK=BS「英雄たちの選択」に取り上げられていた。
もともと、南部について情報を得るのならこの人、とチェックしていた、高橋克彦さんが『天を衝く』という小説で、この九戸政実を書いており、高橋さんが登場するかと期待していたが、番組に登場していたのは、安部龍太郎さんのほうだった。この人も『冬を待つ城』という作品で、政実を書いており、こちらのほうが10年以上新しいためかもしれない。こちらはまだ読んでいない。
『天を衝く』のサブタイトルは「秀吉に喧嘩を売った男・九戸政実」というもので、NHKの番組もだいたいそういった趣旨であり、それに九戸党の本拠となった「山城」というテーマが加わったものだった。九戸政実は「歴史好きな人でも、この人を知っている人はそうそうはいないですよね」と磯田道史センセイも放送でおっしゃっていたように、かなりマイナー(南部藩という存在じたいもかなりマイナーだけど)であるが、男性の血を沸かせる何かがあるとみえて、高橋・安部両氏のほかにも、けっこう取り上げている男性作家は多いようだ。
あくまでも秀吉に対抗し、反乱者として処刑される九戸政実と反対に、秀吉に恭順政策をとり小田原攻めにも参加した宗家の南部信直は、政実の引き立て役になってしまっているが、『かたづの!』の中では、信直の嫡子利直が、分家を圧迫する宗家としての敵役になっている。同じ家中ではあるが、「直虎」での、今川家と井伊家のような関係になっていて、ヒロインの夫や幼い息子の死の陰で暗躍したように描かれている。
ヒロイン清心尼は南部信直の孫(娘の娘)であり、祖父信直については、家中の反乱を押えて南部家を存続させた功労者として描かれているが、叔父姪の間柄になる利直のほうは終始、主人公グループとは敵対することになる。しかし九戸政実と違って、表だった闘争は起こさず、遠野へ追いやられる結果になっても、辛抱の末に実質的な勝利を得ることを示唆したエンディングとなっている。終盤、死んで金の蛇に姿を変えた叔父利直と、ヒロインとのやりとりは圧巻である。
引き立て役・敵役の南部信直⇒利直系も、この人々がいなければ南部家は存続しなかったわけだし、こちらの視点からの物語も読んでみたいものである。
直虎だけじゃなかった「女城主」
日本ではほとんど知られていないが、今日2月21日は「国際母語の日」である。
新聞を見ても、金子兜太氏死去のニュースと、あとは冬季オリンピックばかりで、今日がこの記念日であることに触れた記事は見つからなかった。

もともとはバングラデシュの祝日(その謂れは ↓ 参照)であるが、日本にも、池袋西口にこのレプリカがある。

http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_column_2.html

池袋は、そう度々行くところではないが、いつ行ってもこれに目を留めたり説明版を読んだりする人を見たことがない。いつもおおぜいの人が周囲にいるのだが、全くこの記念碑には気がつかずに煙草をふかしたり飲食していたり、自転車もゴチャゴチャに駐めてあって、せっかく設置されているのに写真をとろうと思ってもなかなかとれないような記念碑だ。

このような無関心こそ、母国語として日本語を持つ日本人が、いかに世界の中で恵まれた存在であるか、ということを如実にあらわしているのだと思う。
日本人が意識する言語問題といえば英語教育に関することばかりで、小学校から英語を始めるべきか否か、学校の英語教育が間違っているからいくらやっても英語が話せるようにならない、英語コンプレックスをどうやって乗り越えるか、そんな話ばかりだ。

「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言った人がいたそうだが、日本人は「水と安全と母国語を維持するために、苦労が要るとは考えたことが無い」ということだろうか。
自分達の外国語習得には敏感だが、海外で日本語学習のニーズが広がっていることには鈍い。
学習塾で中高生に英語を教えれば、そこそこのアルバイト収入になるのに、海外からの留学生に日本語を教える仕事は、ほとんどボランティアに近い状態だという。
地球上に日本語や日本文化への理解を広めていくことは、防衛費に予算をつぎ込むよりも、長い目で見ればずっと日本の安全保障に役立つと思われるのに。

バングラデシュが舞台の物語というのは、図書館で探してもなかなか無いが、ようやく『リキシャ・ガール』という児童書が見つかった。作者はミタリ・パーキンスという、インド生まれで現在は米国在住の女性作家。彼女の父はバングラデシュで少年時代を過ごし、彼女自身もアジア・アフリカを始め世界中いろいろな所で生活した経験を持つところから、異文化への架け橋となる児童書を書き続けているという貴重な作家である。

この『リキシャ・ガール』の中に、ベンガル語の美しさを国中で祝う「国際母語の日」の様子が描かれている。
世界でも最貧の国という印象の強いバングラデシュであるが、人々はアートを深く愛し、貧しい中でもサリーや装身具・刺繍・「アルポナ」というデザイン画(?)など特に女性たちの手によって素晴らしい作品が生み出され、音楽やダンスを楽しむ生活がある。
女性たちは貧しさと男女差別という、二重の苦しみの中にいるが、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行の小口融資システムのおかげで、起業して経済力を身につける女性も少しずつ増えていく。このあたりは、日本の朝ドラとも共通する感じだ。


 ミタリ・パーキンスと同様、ベンガル系の両親を持ち、欧米人と結婚して欧米で作家生活を送る女流作家といえば、ジュンパ・ラヒリがよく知られている(インド系には彫の深い美男美女が多いが、作者写真を見るとこの人も大変な美女である)。邦訳作品も数多く、日本のファンによるアマゾンレビューや読書ブログなどもたくさんあるようだ。

長年欧米に住んでもアイデンティティは完全にインド(ベンガル)である親世代と、英語で教育を受け英語で仕事をする子供世代の葛藤という、ラヒリ作品によく見られるテーマは、日本人の、地方で家を守る親と都会に出た子供という関係にも共通のものがあり、理解や共感を持ちやすい。しかし、ベンガル語対英語という問題は、方言や訛りだけの違いの日本に比べてはるかに大きなものだ。

ラヒリは英語で発表した多くの作品で非常に高い評価を受けているにもかかわらず、自分にとって「ベンガル語は母、英語は継母」だと書いている。そして自分には本当の祖国、本当の母国語が無いという思いにとらわれている。
普通ならここで、実母であるベンガル語に回帰し、インドやアジアについて、より深く関わっていこう、となると思うのだが、彼女の独創的な、というか特異な所は、イタリア語という第三の新しい言語への挑戦なのである。もちろん大変な苦労ではあるが、ラヒリは「二つの母語から離れた自由」を味わいながら、ローマに移住しイタリア語でエッセイや小説を書き始める。この経緯が書かれているのが『べつの言葉で』という2015年に出版された本である(原書は2014年)。

「完全な母国語である日本語」で出来上った脳で「完全な外国語である英語」の学習に苦労してきた身としては、はっきりいって、そこまでラヒリを突き動かす思いというのがよくわからない。しかし、言語というものは人間そのものなのであり、言葉は単に人間が「使う」ものでなく、人間は「言葉で出来ている」ということなのかなぁと思う。
国際母語の日
先日の関東大雪で、羽根木公園の梅の開花も、梅まつりを目前にしてちょっと足踏み状態のようである。



今年の寒梅忌読書には、『闇の歯車』を選んでみた。1976年に別冊小説現代に発表された長篇で、その時は『狐はたそがれに踊る』というタイトルだったという。別冊といえども長篇が雑誌一冊に一挙掲載されるのは珍しいことだったと、文庫解説の礒貝勝太郎氏が書いている。現在出ているのは2005年刊行の講談社文庫新装版で、作者死去までに至る詳しい年譜もついている。

「ハードボイルド時代劇」などと評されているように、時代小説といっても雰囲気は現代的で、登場する同心や岡っ引きも、かわせみや鬼平と違って、スーツの捜査官と所轄のベテラン刑事だったとしても全く違和感ない。剣の腕や人情味で捜査側が表に出るのではなく、あくまでも主人公は「闇」の側の人々で、追うほうは黒衣に徹しているのもかっこいい。
翻訳ミステリーや洋画も好きで詳しかったという藤沢周平のテイストがいっぱいで、長篇といっても一気読みできる長さなのが嬉しい。

 
これは映像化されてないはずはないだろうと思って検索してみると、やっぱりフジテレビ系で1984年に単発ドラマとして放映されていた。
仲代達矢主演・隆巴脚本で、無名塾・俳優座を中心のキャスト、作者の若い時代が投影されていると思われる元檜物師の佐之助と浪人清十郎はそれぞれ、役所広司と益岡徹が演じている。
昭和末期のドラマ化からちょうど一世代が経過したわけで、ぜひともリメイクしてほしいものだ。
寒梅忌2018

1月第三月曜日は、米国の公民権運動指導者で凶弾に倒れたキング牧師の記念日。今年はちょうど彼の誕生日15日にあたっている。
だからという訳ではなく、たまたまなのだが、昨年の正月読書に「読んでみたい」と書いてから一年もたってしまった、『アラバマ物語』の続編『さあ、見張りを立てよ』をようやく読んだ。

まず最初の衝撃は、『アラバマ』のヒロイン&語り手であったスカウトの、兄のジェムが若くして心臓病のため突然死しており、『見張り』には回想でしか登場しないこと。これは作者自身の兄のことが反映されているようだ。
代わりに、『アラバマ』では存在感の薄かったアティカスの弟、医者のジャック叔父さんが重要シーンで登場するのは嬉しいが、ジェムの不在は『アラバマ』ファンにとってはあまりにも大きすぎる。

大問題となっていた「
アティカスの変節」問題だが、私の読んだ限りでは「変節」とはいえないだろうと感じた。アティカスがKKKや人種差別主義者と同じ行動をとっているわけではなく、地元の付合いとして彼らと同席しているだけだからだ。

考えてみれば、『アラバマ』でも、アティカスは一南部人として普通に社会生活を送っていたのであり、彼が
完全に白人優位思想から脱しているという記述はなかったのだった。
しかし、妻を早く亡くしたシングルファーザーとしてのアティカスが、教育についてはかなり自由な思想を持ち、子供も一人の人格として尊重していたこと、また何よりも、メインストーリーである黒人青年の冤罪を晴らす弁護活動を貫いたことの印象から、読者は彼が黒人公民権活動の活動家でもあるような錯覚に陥ってしまったのだ。

『アラバマ』はこのメインストーリーが感動的で、さらにそれが子供たちの視点から描かれているため非常に読みやすかった。『見張り』はそれに比べるとかなり読みづらい。成長してニューヨークでキャリアウーマン生活を送るスカウト(これも作者の実体験らしい)が、故郷メイコームに帰省して起こるいろいろな出来事と、過去の思い出が交互に出てくるのもややこしいし、子供時代は魅力の一つだった、スカウトのややエキセントリックな性格も、大人として見ると、ちょっと「引いて」しまう感じがある。とくに日本人読者にとっては・・・

ところが、もともと作者が本当に書きたかったのは『見張り』のほうだった、いや先に書かれていたのは『見張り』のほうで、それが編集者による助言の結果、大幅に改変されて『アラバマ』になったと言われている。詳細は不明だが、そうだとすると大変うなずけるのである。
さらに映画化によって、理想的ヒーローとしてのアティカス・フィンチ像が完成されてしまった。 あまりにもハマり過ぎたグレゴリー・ペックは、ある意味、罪造りだったかもしれない。

暮しの手帖社が翻訳出版した『アラバマ物語』を読んだ人は必ず覚えていると思うが、巻頭に作者ハーパー・リーとG・ペックのツーショット写真が載っている。
この写真で印象に残るのは、作者が何だか、とまどったような固い表情をしていることで、自然体で超格好よく写っているペックと対照的。それは単に、田舎で静かな生活を送っていた女性が急にスポットライトを浴びた緊張感のせいだろうと、ずっとこれまで思ってきた。
今、続編(というか実際には元祖作品?)の『見張り』を読んでみて、この作者の表情が腑に落ちた気がする。

G・ペックは数々の栄誉を受け、15年前に世を去った。晩年には度々大統領選への出馬も乞われていたという。この映画がなかったら、ちょっとだけ栄光が地味になっていたかもしれないがそれでも充分に一流の映画人としての生涯を送ったに違いない。
しかし小説については、作者のデビュー作が『アラバマ』ではなく、当初の構想どおり『見張り』のほうで出版されていたら、それは一南部女性作家のデビュー作として、映像化なども無縁な知る人ぞ知る存在、もし邦訳されたとしてもごく限られた読者にとどまっていただろう。
その代わり、作者はスカウトとアティカスの物語をその後も書き続けたに違いない。
初の黒人大統領が米国に出現した時、アティカスはすでにこの世の人ではなかったかもしれないが、スカウトは、メイコームの人々は、それをどう受け止めたか。私たちはそれを知るよし無く、代わりにベストセラーで「米国の良心」を代表する名作『アラバマ物語』の本とDVDを手にしている。

要するに作者が書きたかったのは、自分でもはっきりと整理することのできない、混沌とした思いだったのではないか。故郷の風物人々への深い愛と、決して抜け出すことの出来ない因習に対するいらだち。実母を早く亡した自分を「一人前の南部のレディ」に育てようとする叔母の俗物性に対する許し難い思いの一方で、叔母の家事や社交のスキルに自分は遠く及ばず、故郷で年老いていく父の世話も叔母に任せきりにしなければならない状況。自分は心を許して友人付合いをしているつもりなのに、黒人たちからは最終的に一線を引かれてしまうもどかしさ、等など・・・


そうした思いに揺れ動くスカウトから見ると、父アティカスの態度は偽善的に見えてしまう。アティカスの中には白人優位思想も残っており、急速な平等化は黒人自身のためにもならないという考え方だ。また南部人としての誇りも高く、連邦政府の介入は許しがたいという気持ちを隣人たちと強く共有している。
つまりアティカスの英雄的な冤罪弁護活動は、人種平等主義から出たものではなく、白人優位社会であろうと、冤罪は白人でも黒人でも許せないという、リアリストで誠実な司法人の姿勢だったのだ。あの弁護活動は、もともとの作者の大河のような構想の中での、一つのエピソードにすぎなかったのではないだろうか。


偽善者とは暮らせないという娘に向ってアティカスは言う。
「偽善者だって、この世界で生きていく権利はあるんだよ」

ラストの父娘の論争ははっきりいって読んでもなかなかわかりづらいが、最終的に父親への愛情を再認識したところで終っていることは安心できる。

タイトルの「見張り」とは、「さあ、見張りを立たせ、見たことを告げさせよ」という聖書イザヤ書21章6節の主の言葉から採られたものだそうだ。
作中、スカウトの思いが綴られている。「自分を導いてくれる見張りが欲しい。そして、何を見たか一時間ごとに報告してもらいたい。ある人が何か言っても、実際に彼が言いたいのはこういうことだと説明してくれる見張りが欲しい。真ん中に線を引いて、こちらはこういう正義、あちらはああいう正義だと言い、違いを私にわからせてくれる人。」

子供時代のスカウトの「見張り」はアティカスだったのだろう。全幅の信頼を寄せることの出来る父の存在を当然として育った娘が、大人になって、親子でもわかり合えない部分があると気づくのは自然の成り行きである。そう思って読むと、この物語は黒人白人、米国北部南部というテーマを越えて、古今東西共通の、子の成長とその親の物語であるのかもしれない。 

G・ペックも含め、『アラバマ物語』関係者はほとんど故人となってしまった。
3人の子役の中でも、ディルを演じた俳優はエイズで死去しているという。
ジェム役の子は10年ほど映画やテレビに出演したのち、芸能界を去ってビジネスマンとして活躍しているそうだ。

スカウトを演じたメアリ・バダムだけが今も女優として活躍中で、『見張り』の出版についても思いを語ったりしているのは嬉しいことだ。
そして、隣人ブー・ラッドリーを演じたロバート・デュヴァルが、今なお80代で活躍しているのはとても頼もしい。

正月読書日記 2018
いい歳をして、華道も茶道も全く縁のない(実は、団塊世代には案外いるのですよ~~「お花だのお茶だの、あんな古臭い教育がまかり通っていたから日本は戦争に負けちゃったのよ!これからは男女平等の世の中よ!」と、自分が押し付けられた花嫁教育に対する恨みを見当違いに発散する母親に育てられた娘たち・・・)身なので、普通ならスルーで終わるはずの「花戦さ」を見る気になったのは、やっぱり一にも二にも萬斎さんの引力である。「のぼうの城」のインパクトは大きかった(原作『のぼうの城』を買おうとしてブックオフに行き、間違って『火天の城』を買って帰った私に言われたくはないと思うが)。
萬斎(池坊専好)を取り巻くキャストも豪華版である。脚本は現在、NHKの直虎を鋭意執筆中の森下佳子さん。大河ドラマのシナリオを書く直前に映画も一本片づけるなんて、すごいパワーだ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もっとも、大河ドラマ直虎と違って、この映画には原作がある。ハデハデな映画ポスターの印象か、少し前に評判になった「へうげもの」の記憶のせいか、なんとなく漫画が原作のような気がしていたが、漫画ではなく活字の小説だ。
作者は歴史小説家というわけではなく、若い時に世界を放浪し、その後サラリーマンをしながらいろんな分野の小説を書いている人らしい。

はっきり言って原作の方はやや薄味という気もした(原作と映画がちょうどよく組み合っていた「のぼうの城」に比較すると、、)が、作者プロフィールから見ると、グローバルな視点というか、日本の戦国史や幕末史タコツボ的な小説とはまた違った好さがあるのかもしれない。
いずれにしても、映画は原作の薄さを幸い(?)、これでもかと濃いキャラの面々をぶちこんだ上、その面々が束になってかかっても、主人公の貫禄はビクともしない萬斎さんの力技で、いちおう面白く見られた。ラストの度肝を抜く松の大木&猿を始め、数々の生け花作品も楽しかった。華道の心得のある人ならもっと楽しめるに違いない。

最初に書いたように、お茶お花といえば、今の人間には「花嫁修業」がまず連想されるが、それは明治以降の話であって、利休や池坊専好の時代の華道や茶道は、大名や武家、大商人や僧侶たちの「男の芸事」であった。澤田ふじ子の「高瀬川女舟歌」シリーズにも、ヒロインが「女だてらに花など習って」と言われながら烏丸六角の池坊に通うというシーンが登場する。
原作にある説明によれば、六角堂の開祖は聖徳太子で、太子が四天王寺の建材を求めに山城に来たとき、この地に持仏を祀れとのお告げがあったという。後に平安京に遷都した桓武天皇が道路を作る際、この六角堂が自ら動いて道路を作りやすくしたという言い伝えもあり、また親鸞聖人が浄土真宗を開く前に参籠したのも、この六角堂だそうだ。

今日の朝日新聞の広告特集に、「花戦さ」と萬斎インタビューが載っていたが、萬斎さんは今は京都のビル街の真ん中にある六角堂を、人々が近道するために通り抜けていく光景を見て、厳格なイメージの存在ではなく、町の人々が気軽に立ち寄れて心の拠り所としている、皆に愛された場所だったのだと感じだという。そして池坊専好という人物もきっと、皆に慕われる愛すべき人物だったのだろうと。狂言の「太郎冠者」とも共通点があり、以前に演じたクールな陰陽師の安倍清明とは真逆に演じたというのが面白かった。
朝日新聞には、映画の封切前、故遠藤周作がこの六角堂を非常に愛していたという記事もあり、現在の家元池坊専永とは共に「違いのわかる男」CMに出演した縁もあって、対談や人物評も書いているそうだ。

京都市内をバスで通ったとき、立派な池坊学園のビルを見て、ここがあの池坊の拠点かぁと
思った記憶はあるが、六角堂については全く意識していなかった。こんど京都に行くときは、是非とも寄ってみたいものだ。
野村萬斎ほか豪華キャストの「花戦さ」
朝刊を見たら、悲しいニュースが目に飛び込んできた。
杉本苑子さんが5月31日に亡くなられたという。
最近しばらく新作の発表がなく、さすがにお歳で現役は引退されたのかなと思っていたが・・・享年91歳は、しかたがないとはいえ、やはり寂しい。
学生時代、歴史の時間=睡眠の時間であった私は、社会人になってから、杉本さんと永井路子さんの本で日本史の知識のほとんどを得たようなものだ。

奈良時代を描いた大河小説『穢土荘厳』、奈良から平安へ嵯峨天皇の后として激動の時代を生きた橘嘉智子の生涯『檀林皇后私譜』、徳川秀忠・江の娘で京都朝廷に嫁し女帝明正天皇の母となった東福門院和子『月宮の人』などについては、ブログ前身のHPの読書日記でも少し触れている。

http://sfurrow.warabimochi.net/gensan/gb_books/history03.html

杉本さんのデビュー作はというと、1951年に『申楽新記』、1952年に『燐の譜』という作品が書かれており、いずれもサンデー毎日の賞に入選している。
この2編は、図書館やアマゾンで検索してみてもわからないのだが、『申楽新記』は、その後『華の碑文―世阿弥元清』として代表作の一つになったそうだ。『華の碑文』なら、瀬戸内寂聴さんの『秘花』そして我らが平岩弓枝先生の『獅子の座』と3冊まとめて本棚に並べてあり、それぞれの作品に登場する世阿弥を比べてみたいと思っているが、いつになるやら・・・
『燐の譜』のほうも、後に何かの作品に発展したのかと思い調べてみたが、よくわからない。ようやく検索の結果、富山県のある高校のOB会ブログで詳しい解説があるのを見つけた。非常に興味深い内容だ。

http://www.ofours.com/higashi5/2014/1110_070000.html

なぜ富山県かというと、『燐の譜』の主人公が、「越中氷見村朝日山の観音堂」に住んでいた面打ちの僧侶、氷見宗忠という人物である故。つまり2編のデビュー作はいずれもお能関係だったわけで、杉本さんの若い頃からの能楽への造詣を示している。
そういえば『能の女たち』という新書も持っていたはずと引っ張り出してみると、ありましたありました! 十一章「『藤戸』の母―権力を屈伏させた底辺の力」の中で触れられている。能「藤戸」の後ジテがつける「痩男」の面を打った氷見宗忠という僧侶の逸話で、納得のいく面が打てず、墓から死人を掘り出しその顔貌を見つめてようやく面を完成させたという話(岡本綺堂の『修善寺物語』などと共通の感じ?)。
杉本さんは戦前・戦中に活躍した面打ち作家入江美法氏の『能面検討』という著作でこの痩男面について知り、「戦後しばらくして、私は氷見宗忠を主人公にした『燐の譜』という短編を書き、図々しくも毎日新聞社の懸賞小説に応募。まぐれ当りの入選をはたした」と書いておられる。

この『能の女たち』は、わかりやすくかつ奥の深い、お能初心者必携の本である。



古代の女帝やお能以外でも、杉本さんの守備範囲はたいへん広い。

(追記:6月4日)

今朝の朝日新聞「天声人語」が杉本さん逝去を取り上げている。紹介されている作品は『孤愁の岸』と『春風秋雨』。『春風秋雨』は随想集で(最近はほとんど「エッセイ集」と言うようだけれど、「随想集」っていうのはいいよなぁ)、「葬式も墓も無用、骨は海に撒いてほしい」という言葉が紹介されている。最近では作家に限らず、墓を建てず散骨してほしいという人は多いけれど、杉本さんの場合は、墓の代りということだろうか、「使い古した広辞苑を一冊だけ埋めてほしい」という言葉も載っているそうだ。

『孤愁の岸』は直木賞作品なので、やはりこれが杉本さんの代表作ということになるのだろうか。「宝暦治水」の話ですよね。
私はこれの十年後に書かれた『玉川兄弟・江戸上水ものがたり』のほうは大分前に読んだ。都民としてはやっぱり毎日お世話になっているこの地の水道の設立についてちょっとは知っておかなければならないし、玉川上水は、近場でも少し遠出したい時にも、便利なお散歩コースだから。
しかし『孤愁の岸』のほうは読んでいない。『翔ぶが如く』もそうだけど、「薩摩の話ねえ・・・ま、時間あったら読もっか」みたいな感じになっちゃうのです(^^;
ところが、東海道を歩いていたら、思いがけない形でこの宝暦治水・孤愁の岸に出会った。
桑名の、旧東海道から少し美濃街道のほうに入ったあたりに海蔵寺というお寺があり、そこが宝暦治水に関わった薩摩藩士たちの墓所があるのだ。っていうか、この寺が大々的にそれを売りにしているわけだ。(右の写真でわかるとおり、祭壇の前に『孤愁の岸』が積み上げられ販売されている)
 


確かに、身を削って治水事業に貢献したにもかかわらず、多くの犠牲者と巨額の経費の責任をとって自害に追い込まれた平田靱負ほか薩摩藩士たちの苦悩と無念さは、思っても余りある。しかし、丸に十字の薩摩ロゴが境内いたる所にはためいているのはともかく、「薩摩義士」っていうのはどうなんだ。忠臣蔵か?!なんて思ってしまうのは、4分の1長州人の僻みですかねぇ。玉川上水の開削だって大変な苦労があったわけだし、伊奈半十郎だってそれで切腹している。。。とずっと思っていたのですが、最近調べてみたら、これは杉本さんのフィクションで、実際には伊奈半十郎は自害してはいなかったんだそうですね(@_@)

まぁ、木曽川・揖斐川・長良川という大きな三つの川の水難に悩まされていた当地の人々にしてみれば、はるばる九州の地からやってきて、さんざん苦労してくれたのに報われなかった薩摩藩士たちを「義士」と奉る気持ちもわからなくはない。保身と都合の悪いことはすべて隠蔽で動く国家権力のもとで、現地のリーダーが血のにじむ苦労を強いられるという構図は、先年の震災を始め、今でもあちこちで見られる事態なのである。

追悼:杉本苑子さん

4月から始まった新しいNHK朝ドラ「ひよっこ」は、昭和三十年代の茨城県の農村が舞台だ。茨城といえば東京からすぐ近くの土地なのに、何もかも都会とは対照的な「田舎」の代表として描かれている(当時はもちろん、教育大学もまだ筑波に移転する前だった)。
ヒロインの父親は、オリンピックに向けて急再開発途上にある東京へ出稼ぎに行っており、建設現場で働いているという設定だ。

しばらく前に大ヒットした映画「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズでは、東京タワー・東京オリンピック・新幹線などが、未来への希望の象徴となっていた。「ひよっこ」も、それと共通の雰囲気から始まる。若者も子供も大人も老人も、みんな前向きに明るく生きている。しかし、序盤すぐに物語に暗雲が・・・家族思いで頼りになる「お父ちゃん」の消息が突然途絶え、杳として行方が知れなくなってしまうのだ。

『オリンピックの身代金』を読んでみようと思ったのは、この小説が東京オリンピックの「裏の顔、陰の部分」を描いたものとして話題になったのを思い出したからである。確か映像化もされたようだ。

作者の直木賞作家奥田英朗は、中学3年生で東京オリンピックを体験した私よりちょうど十年下の世代、開催当時は小学校にあがるかあがらないかだろう、実体験としての記憶はごくわずかに違いない。しかし膨大な資料と徹底取材の結果と思われる当時の世相の鮮やかな描写、本筋も面白いが、ディテールが非常な魅力で、一気読みしてしまう。
主人公は東北の農村出身の優秀な学生。兄は「ひよっこ」の父親と同様、出稼ぎで東京の建築現場で働いている。この兄の突然死をきっかけに、東京オリンピック開催に向けての急激な再開発が、下請け孫請けの過酷な労働条件をエスカレートさせ、理不尽な社会格差を広げていることに憤りを感じ、手作り爆弾を製造してオリンピックを粉砕しようと目論む。

「ひよっこ」でも、東京の建設現場で事故のあったことをテレビのニュースで知り、まさかお父ちゃんでは…と家族が胸を痛める場面があったが、小説にも「環八の陸橋工事で作業員が三人も死んだのに、新聞の扱いは写真すらないベタ記事」という箇所がある。具体的に書かれているのでたぶん、縮刷版など探せば実際にこのような記事があるのだろう。
「ひよっこ」の、行方不明となった父親がいた東京の宿泊所を母親が訪ねるシーン。当時としては、まだ労働条件の良い現場だったように見えるが、もちろん個室など望むべくもない、「お父ちゃんはこんな所に寝泊まりして、稼ぎの大部分を仕送りしてくれていたんだ」と言葉にはせずに思いを噛みしめる木村佳乃の表情がとても良かった(このシーンでは無言だった彼女が警察署で、「一人の出稼ぎ作業員」ではなく、名前と家族を持った一人の人間を探してほしいと思いのたけを訴える、その伏線にもなっていた)。

当時の出稼ぎ労働者の蒸発が珍しくなかったことは、朝ドラでも小説でも触れられている。苛酷な労働条件も、みな軍隊経験者であった当時の男性たちにとっては今ほど耐えがたいものではなかったのかもしれないが、重労働で稼いだ金もほとんど仕送りで消える生活。よほどの家族との信頼・絆がなければ、金さえあれば面白おかしく生きられる都会の闇に飲み込まれてしまうだろう。さらに、都会に慣れない人々を狙うスリや詐欺、疲れを取るという名目ではびこる粗悪なヒロポン・・・

多数の個性ある人物が登場し、さまざまな側面から事件に関わっていく。ほんのちょっとのシーンでも印象に残る描き方は、突飛な精神科医を主人公にした「空中ブランコ」のシリーズなどと共通している。シリアスなテーマを、アップテンポで時々笑いも入れながら描いていくのが、この作家の特徴であるようだ。
五輪警備の総責任者である警察庁エリートと、その息子でテレビ局に勤める親子が対比的に描かれる。今でいう「チャラ男」なテレビ業界人は、往年のフジテレビプロデューサー横澤彪あたりがモデルか。テレビは新聞社には格下と見られているが「百万語を費やすより世紀の一瞬を映像で見せ」るほうが勝つに決まっている、と草分けテレビ人は言い放つ。「新聞記者なんてニ年目ならペーペーの使い走り」に過ぎないが「テレビ界は上がいないから俺でも即戦力」当時のテレビ界は、インターネットが登場した頃のIT企業のような感じだったに違いない。

開会式の入場券に十倍の値段がつき、ダフ屋が暗躍、人々はコネを求めて走り回る。
オリンピックイヤー昭和39年といえば、ちょうど終戦直後に生まれた世代が高校を卒業して就職した頃、「戦後生まれなのかぁ」というオジサンオバサン族の嘆息を聞いて育った記憶は私にもある。
今時はこれさえも多分死語の「OL」が「BG」と言われていた頃だった。洋楽と日本の歌謡曲とは完全に断絶しており、若いBGたちの中ではビートルズファンは少数派だったというような、事件とは直接関係のない描写も物語に厚みを加えている。(ただ言わせてもらえば、登場する二人組のBGがジョンとポールのファンというのはどうだろう、彼女たちのキャラならばジョージとポールのそれぞれのファンというほうがふさわしいと思う。ジョージ・ハリソンは若死にしてしまったので今の若者たちの間では存在感が極薄になってしまったが、当時はジョージとポールが人気を二分していた。ジョンのファンは変人というか孤高のタイプ、リンゴーのファンはウケ狙いだったと思う)。
 
松戸の常盤平団地に新婚家庭を構える警視庁の若い刑事(彼がもう一方の主人公になるわけだが、犯人も刑事も応援したくなってしまう)。警視庁の会議室は扇風機の騒音ともうもうたる煙草の煙に包まれている。
東京湾から漁業が失われ失業する漁師たち。江戸前の寿司ネタや海苔の養殖は新設の品川埠頭と火力発電所に取って替わられる。 

東京と地方の格差に怒りを覚えながらも、「東京がながっだら日本人は意気消沈してしまうべ。今は不公平でも石を高く積み上げる時期。横に積むのはもう少し先」と言うスリの老人。このスリがなぜか犯人に協力し、彼の裏世界とのつながりで犯行計画はあと一歩まで進む。
有色人種として初のオリンピックは日本の国力を世界に示す最高の機会であり、国家はその威信をかけてその妨害者を葬り去ろうとする。
国力とは? 国民の生活こそが国力ではないか、と犯人は思う。
東京オリンピックから半世紀、国民の生活は大きく向上した。しかし現在、当時とはまた違った大きな格差が社会に広がる。一握りの組織の上部が権力と情報と報酬を手にし、一兵卒の生命と生活はあまりにも軽いという状況は、今もなお変わっていない。

川本三郎の文庫解説も読みごたえがある。この解説の中で、中国でも北京オリンピック(まさに『オリンピックの身代金』が発表された年に開催)の暗部である底辺の労働者を描いた映画が作られていたことを知った。2004年の「世界」という、中国の若手監督ジャ・ジャンクー(賈樟柯)の作品である。もっともこの映画は、直接にオリンピックの暗部を描くというよりは、どの時代も共通の、恋愛や生き方に悩む青春群像劇という性質の濃いものであるようだ。

ところで『オリンピックの身代金』という、まったく同じタイトルの小説はもう一つある。
直木賞作家としては奥田英朗の大先輩、昭和ヒトケタ世代で陸軍幼年学校卒という経歴を持ち、読売新聞記者から作家に転身した三好徹の作品だ。この作品のオリンピックは、東京オリンピックではなく、その20年後の米国ロスオリンピックである。 

これは光文社の推理小説雑誌「EQ」にロス五輪の年昭和59年に連載され、同年11月にカッパノベルスから出版されたものだが、奥田作品とは全く異なるテイスト。だからこそ、奥田氏も安心して自作に同じタイトルをつけたものと思われる。
また、三好氏は『オリンピックの身代金』の前に『コンピュータの身代金』『モナ・リザの身代金』を書いており、身代金三部作という構成になっている。犯人グループも共通しているらしいので、三冊とも読まないと動機や背景の真相がよくわからないようだ。

この犯人グループの狙いは実は、テレビ局によるオリンピック中継であり、オリンピック放送を妨害すると言って身代金を要求する。オリンピック自体の遂行には全く問題はないわけで、オリンピック「報道の」身代金という設定が斬新だ。
NHKと思われるNBCという半官半民のテレビ局が舞台で、磯村尚徳と久米宏を合体させたようなキャスターが登場して犯人グループと対峙する。犯人グループの狙いが、政界の黒幕の隠し金にあることも、ロッキード事件の余波が続いていた時代を思い出させる。

テレビの草創期であった東京オリンピックの頃からさらに一世代過ぎて、テレビの速報性・視覚的インパクトがすでに圧勝となった時代である。この小説の出た翌年、昭和60年の御巣鷹山の日航機事故で、テレビそれも民放が生存者の存在をいちはやく伝えたことは、世間に大きな印象を与えた。
しかし新聞記者出身の作者は、テレビと新聞の決定的な違いを鋭く突く。どこからも制約を受けず発行する新聞と、政府の許可を得なければ電波の割り当てを受けられないテレビ局と。
電波妨害は法で処罰されるが、日本の領海外で、外国籍の船舶から妨害される場合は日本の法律は及ばない。
奥田作品のように、社会的理不尽に対し情緒に訴えるものではなく、あくまでもクールでドライ な知能ゲームを通じて、社会問題が浮き彫りにされる。日本のハードボイルドの草分けと言われたこの作者にふさわしい作品だ。 

朝ドラ「ひよっこ」に戻るが、行方不明のお父ちゃんの運命はネットでも全く公開されていないようだ。最近はネットやNHK情報誌で「予習」しながら朝ドラを見る面々も少なくないので、父親が間もなく失踪してしまうことは番組が始まる前から一部には知られていたようだが(「朝イチ」でも柳沢さんがうっかり口走って、イノッチと有働アナにボコられていたけど(^○^))、失踪の原因や、家族との再会シーンなどはどういう展開になるのか、全く不明である。

朝ドラでは、お父さんや叔父さんが失踪するのは珍しい展開ではないが、今回の父親はそういうキャラではないので、何か突然の事件にでも巻き込まれたのか…キャラ的には、往年の名作「澪つくし」の「遭難⇒記憶喪失」みたいなのが合っていると思われるが、東京のど真ん中で目撃者も誰もおらず記憶喪失っていうのも納得しがたい成行きだ。ここは脚本家のアイデアと出演者たちの好演に期待しつつ、お父ちゃんの行方はいったん置いて当面のヒロインの新社会人生活を応援したい。

『オリンピックの身代金』

原作の読み返しと録画視聴がすっかり遅くなってしまったが、なんとか2月中に出来てよかった。来月からはいろいろと、アウトドア計画やお疲れ様会・年度末雑用などが待っているので…

原作は1989年、ちょうど昭和から平成の年に出版されたが、雑誌連載は85年から。日本の男性たちが、リタイア後の生活をいかに過ごすべきかという未曽有の問題に直面した時代である。

現在リタイア生活真っ只中の団塊世代は、それなりに現役時代から心の準備も出来ており、ブログやフェイスブックという新しいツールも手にしていて(乗り遅れている面々は年賀状とかでも)、我がリタイア生活を同期生たちにさりげなくアピールする術も身につけている。もっともやりすぎると、クサイとかイタイとか顰蹙も買うのであるが(^^;

それに比べると30年前にリタイアを迎えた一世代前の男性たちは、生活のためにひたすら働き、現役中に癌や交通事故や過労で倒れることには敏感に備えてきたものの、そういった不幸に合わず無事に定年を迎えた後、何らかの問題があろうとは予想もしなかったのだった。気づいてみれば日本人の長寿は毎年更新され、安らかに天に召されるまでの人生がまだまだ目の前に続いているのに、何をしたらよいかわからない、という事が新しい社会問題になった。城山三郎の『毎日が日曜日』が大きな共感を呼び、女性陣からは「濡れ落ち葉」などと容赦ない言葉も投げつけられる。

そうした中で、『三屋清左衛門残日録』は、充実した老後の過ごし方を模索してきた男性たちにとって最適のモデルとなった。現代そのままで書けばあまりに理想的すぎる展開も、時代小説であるために成功したといえよう。
清左衛門のリタイア生活――読書・学習に散歩、渓流釣り、道場で子供たちにボランティア指導――これだけでも、インドア・アウトドアに渡り理想的だと思われるが、さらにはお家の跡継ぎを巡る派閥争いについても、水面下で調整役を期待される。現役を退いたと見えて、その見識とコミュニケーション力が密かに現役に影響力を与えている。読者のリタイア男性たちが最もあこがれを覚えたのも、この部分ではないだろうか。

ドラマ化は今回の北大路欣也主演のが初ではなく、1993年にNHKで仲代達矢主演で映像化されている。私は、原作は出版されて間もなく読んだけれど、このドラマは見逃していた。原作はそれなりに面白く読んだのだが、映像化を録画してまで見ようという思い入れは無かった。何より老後の過ごし方というのは、自分にとってまだまだ先のことだった。
今思うと、仲代達矢の清左衛門も見てみたかったと思うのだが、実はこのNHKドラマは、藤沢周平全集の解説では、中野孝次氏によって一刀両断、というか殆ど罵詈雑言を浴びせられている(^○^)
「仲代の演ずる清左衛門はいいのに、嫁の里江がへんに色っぽすぎ、涌井のおかみもダメで、あとは見る気が起きなかった」
まぁこのドラマ自体がどうこうというよりも、中野氏は一昔前の文化人にありがちな、テレビというメディアそのものにアレルギーを持った方だったようで、「テレビというのは実に下品で劣等なメディア」「テレビマンの触れるところ物みな下品になる」等など、もう言いたい放題。
実を言うと私も、「活字>漫画」「舞台>映像」という確固たる価値観から抜け出せずにいて、本と舞台(演劇)は同等だけれども、漫画やテレビはワンランク落ちる(映画は少数の選ばれたものが活字・舞台と同等)と思っているので、中野氏の言を読んだ時は密かに「もっと言ってやれ」と心の中で拍手を送った。もっとも今では、ネットという、下品さから言ったらテレビも裸足で逃げ出すようなメディアが出て来てしまった訳であるが…

それはともかく、今回のBSフジのドラマ化は、民放にも関わらずなかなか良かったと思うのだが、中野氏が存命だったら果たして合格点をつけるだろうか? 2004年に逝去されてしまったのは大変残念だ。
今回は前篇・後篇で脚本家が違っていた(息子役の俳優も違った)のがちょっと気になったが、総じて原作どおりに作られており、お家騒動の主筋(藩主とその弟または叔父との争いという、海坂藩もののお約束)を中心に、原作エピソードの取捨選択も適切で、うまく脚色されていたと思う。配役もハマり過ぎ(笑)で安心して見られた。

とくに前編は、びっくりするくらい原作に忠実で、唯一(?)脚色で膨らませた部分が、村の大地主多田掃部と偶然に清左衛門が釣で会い、その後彼の家を訪ねるという所。この脚色は秀逸で、この人物が後篇には全然出て来なかったのは残念だった。もともと、作者ももう少し活躍させたかった登場人物だったのではないかと思われるし、配役もぴったり(大河ドラマ直虎にも出演中で良い味を出している、アマチュア考古学者にして元石原軍団俳優の苅谷俊介さん。ファンです。)だったので惜しい。

後篇は、若い頃の友人たちと、晩年になってからの境遇の違いが主要なテーマとなり、同じ作者の『風の果て』を思い出させて面白かった。
実は私は、『残日録』の前年に出たこの『風の果て』のほうが、原作・映像ともに好みである。ドラマ化はNHKで2007年、昨年再放送もされたが、主人公が清左衛門のように悟りすましてはいない、もっとアクの強い男である所がリアリティがあった。
また、『残日録』の大塚平八(笹野高史)と金井奥之助(寺田農)の対比も面白いが、『風の果て』に登場する、出世した主人公とはすっかり身分の開いた貧しい下級武士ではあるが、幸福に生きていて、主人公とも対等に接する、救いのある人物がいないのがちょっと物足りない。たぶん読者の大部分はこの男性に自分を重ねて読むのではないかと思うが、『残日録』は清左衛門の一人勝ちみたいなところがあって、金井奥之助ではないが、「どうしてあいつばかりが何事もうまく行って、かっこよく生きられるんだ!」という気がしてくるのも否めない。

原作では「行間を読んで感じる」部分を、映像化ではどうしても具体的に説明せざるをえない、というのがドラマ化の苦労するところだろう。全く小説どおりにしてしまっては薄味すぎる、あるいは原作を読んでない人にはわからない、しかし原作を読んでいる人には余計に感じられる…難しいところである。
今回でいえば、後篇の、金井奥之助の葬送シーンでの清左衛門と金井の息子とのやり取りあたりであろうか。やや「しゃべり過ぎ」かとも思われたが、全体的に見て、納得できる補足だったように思う。

逆に小説どおりにやられてちょっと白けたのが、ラストの居酒屋の女将との抱擁シーンで、せめて遠景とかにしてほしかったような。私が脚本家だったら、この女将は原作と違い、もう少ししたたかな女で、元用人の威光を利用して自分の幸せをゲットするような形にしたいかもしれない。

藤沢周平の小説の経緯としては、初期の、クオリティは高いけれども「暗い」短編群から、中期の、波瀾万丈で面白い長編や連作と、同時期に並行して書かれた実在人物が主人公のきっちりした歴史小説。そして後期の、あっさり薄味ながら味わい深いと評されるもの。
『三屋清左衛門残日録』は、この晩年の代表作品であろう。
長らく中期の作品(といってもちゃんとした歴史小説のほうは未読多)を中心に読んできたが、そろそろ、後期作品がお友達になりそうだ。



 

『三屋清左衛門残日録』  藤沢周平

今日は藤沢周平氏の命日「寒梅忌」、ことしは生誕90年・没後20年にあたるということで、鶴岡市の藤沢周平記念館でも特別展など企画されているようだ。また来月、昨年に続いてBSフジの「三屋清左衛門残日録」が放映予定というのも楽しみ。そうした事がそれほど賑々しく宣伝されていないというのも、故人の人柄を感じさせて気分が良い。
最近ちょっと忙しいので、『
三屋清左衛門』を読み返すのは来月廻しにして、とりあえずの寒梅忌読書用としては図書館でエッセイ集を借りてくる。忠臣蔵関連の短いエッセイが2本入っているのが、「忠臣蔵の恋」つながりで興味を引いた。

ひとつは松の廊下で内匠頭を抱き留めた梶川与惣兵衛についてのエッセイである。
藤沢周平は子供の時に読んだ本の挿絵で、いかにもたおやかな紅顔の貴公子である内匠頭を、手荒く引きずっていく梶川が、憎々し気な剛力の荒くれに描かれているのを見て、梶川に対する憎しみを植え付けられた。この気持は、事件当時の江戸庶民を始めその後ずっと一般民衆に根付いた感情に共通するものだった。史実的にはごく全うで穏やかな生涯を終えた梶川について、世をはかなみ出家したとか、大石瀬左衛門に討たれたというような風説が伝えられていたという。
(もっとも私の知る限りの映画やドラマでは、梶川がそのように憎々しく描かれていた記憶はなく、普通の実直そうなオジサンというのが定番だと思うが…もっとも最近では、吉良上野介でさえ、「実際には良いヒト」に描かれるのが多いようだ。)
後になってはもちろん、梶川の行為はごく常識的なものであったと作者も考えるようになる。「咄嗟の場合に常識的に行動できたということは、むしろ人物がしっかりしていたと言えよう。」
現在でも、自分の意志と無関係に大きな事件に巻き込まれ、常識的な行動をとったにも関わらず、世間の「空気」のおかげで、嫌われ役になってしまう、というような事はあるのかもしれない。
もう一つのエッセイは逆に、たまたま吉良邸の隣に位置していた事から、赤穂浪士シンパとしての名を得ることになった旗本土屋主税について。以前にストファ掲示板で「忠臣蔵でお気に入りのシーン」が話題になったときに、この、隣家から高々と提灯が掲げられるシーンも挙げられていたと記憶している。

ちなみに藤沢周平は人気作品『用心棒日月抄』の中に梶川与惣兵衛を登場させている。『梶川の姪』という短編で、上記の通り、思いがけない人の恨みを買うことになってしまった梶川の身辺警護を主人公が務める話である。ラストシーン、他出する梶川を襲う暴漢と主人公たちが対峙し、首尾よく暴漢は倒されるのだが、その背後の真相は、意外なことに松の廊下事件とも、梶川自身とも無関係であったことを用心棒は知る。「人に見せてはならない、女の底深い場所に棲む生きものを、不用意に見せてしまったのを覗き見た気がしている。」
そして堀部安兵衛ほかの赤穂浪人との一瞬の接点も効果たっぷりに描かれている。用心棒シリーズの中でも屈指の名編だと思う。
シンパの土屋主税のほうも、どこかの短編に登場しているのだったら是非読みたいものだ。

ところでこの巻は「未刊行エッセイ集」で、50編以上の作品が収録されている。各篇ごと末尾に記されている媒体と出版年月を見ても、実にいろいろな媒体に、いろいろなテーマについて書かれたものだと思う。本業の小説でも精力的に作品を発表する傍ら、随分大変だったろうと思うが、きっと頼まれると断れなかったのに違いない。もっとも、そのおかげで我々読者は、珠玉の名エッセイの数々を読むことが出来る訳なのだが。

それにしても、どうしてこんなに未刊行のエッセイが数多くあるのかという事については、文芸春秋社で担当の編集者であった阿部達二氏が後書きで書いている。
「ひとつだけ弁解を許して頂くならば、藤沢は自分の書いたものをすべて保存し記録しておくという、作家としてごく普通の習慣を持たなかった――自分の書いたものはすべて本になる(本にする)ということを考えておらず、望んでもいなかった。エッセイは殆ど書き捨てのつもりであったらしい。」
こうした作家らしくない態度を敬愛しつつも、おかげで散逸する作者の原稿を集めるという大変な作業に振り回され、まだどこかに未刊行の作品が眠っているのではないかという不安に苛まれ、「欲のない人ほど本当に困ったものだ」とボヤく編集者に心から共感。頑張って探し続けて欲しい!

 作者自身の言も引用されている。
「大方はごく無責任な、つまらないことを書きなぐって、そのときどきの責めをはたすだけである。そういう雑文を本にするなどと言われると、待てよという気分になるのはやむを得ない」(『周平独言』あとがきより) 
このような言葉からは、「書く」ということをあまり重要視せず、無造作に書き捨てていたようにも思われるが、これは作者独特の照れ隠しの表現であって、ある意味藤沢周平ほど矜持を持って書いていた作家はいないように思う。それは、このエッセイ集の中の一篇「小説のヒント」からも窺える。テレビドラマがヒットしたことにより、その作品を生み出したのは原作者ではなく自分の方であると勘違いしてしまう脚色者、原作者のクレームに対し「法的には問題ない」と言って平然としている脚色者(とテレビ番組制作者)について、藤沢周平はごく抑えた表現ながら、はっきりと糾弾の姿勢を示している。
「これは法的な問題どころか、良心の問題ですらない。作家(書く側)のプライドの問題である。どんなにささやかなものであれ、自分自身のもので書くプライドがあって、はじめて小説が成り立つのだと思いたい。」
こういう所が周平さんの格好好い所だよなぁ、と思うのだ。まさに「寒梅」の佇まいではないか。

                北沢 森厳寺(淡島さん)
代田川緑道
                


    

 

寒梅忌2017