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今日は藤沢周平氏の命日「寒梅忌」、ことしは生誕90年・没後20年にあたるということで、鶴岡市の藤沢周平記念館でも特別展など企画されているようだ。また来月、昨年に続いてBSフジの「三屋清左衛門残日録」が放映予定というのも楽しみ。そうした事がそれほど賑々しく宣伝されていないというのも、故人の人柄を感じさせて気分が良い。
最近ちょっと忙しいので、『
三屋清左衛門』を読み返すのは来月廻しにして、とりあえずの寒梅忌読書用としては図書館でエッセイ集を借りてくる。忠臣蔵関連の短いエッセイが2本入っているのが、「忠臣蔵の恋」つながりで興味を引いた。

ひとつは松の廊下で内匠頭を抱き留めた梶川与惣兵衛についてのエッセイである。
藤沢周平は子供の時に読んだ本の挿絵で、いかにもたおやかな紅顔の貴公子である内匠頭を、手荒く引きずっていく梶川が、憎々し気な剛力の荒くれに描かれているのを見て、梶川に対する憎しみを植え付けられた。この気持は、事件当時の江戸庶民を始めその後ずっと一般民衆に根付いた感情に共通するものだった。史実的にはごく全うで穏やかな生涯を終えた梶川について、世をはかなみ出家したとか、大石瀬左衛門に討たれたというような風説が伝えられていたという。
(もっとも私の知る限りの映画やドラマでは、梶川がそのように憎々しく描かれていた記憶はなく、普通の実直そうなオジサンというのが定番だと思うが…もっとも最近では、吉良上野介でさえ、「実際には良いヒト」に描かれるのが多いようだ。)
後になってはもちろん、梶川の行為はごく常識的なものであったと作者も考えるようになる。「咄嗟の場合に常識的に行動できたということは、むしろ人物がしっかりしていたと言えよう。」
現在でも、自分の意志と無関係に大きな事件に巻き込まれ、常識的な行動をとったにも関わらず、世間の「空気」のおかげで、嫌われ役になってしまう、というような事はあるのかもしれない。
もう一つのエッセイは逆に、たまたま吉良邸の隣に位置していた事から、赤穂浪士シンパとしての名を得ることになった旗本土屋主税について。以前にストファ掲示板で「忠臣蔵でお気に入りのシーン」が話題になったときに、この、隣家から高々と提灯が掲げられるシーンも挙げられていたと記憶している。

ちなみに藤沢周平は人気作品『用心棒日月抄』の中に梶川与惣兵衛を登場させている。『梶川の姪』という短編で、上記の通り、思いがけない人の恨みを買うことになってしまった梶川の身辺警護を主人公が務める話である。ラストシーン、他出する梶川を襲う暴漢と主人公たちが対峙し、首尾よく暴漢は倒されるのだが、その背後の真相は、意外なことに松の廊下事件とも、梶川自身とも無関係であったことを用心棒は知る。「人に見せてはならない、女の底深い場所に棲む生きものを、不用意に見せてしまったのを覗き見た気がしている。」
そして堀部安兵衛ほかの赤穂浪人との一瞬の接点も効果たっぷりに描かれている。用心棒シリーズの中でも屈指の名編だと思う。
シンパの土屋主税のほうも、どこかの短編に登場しているのだったら是非読みたいものだ。

ところでこの巻は「未刊行エッセイ集」で、50編以上の作品が収録されている。各篇ごと末尾に記されている媒体と出版年月を見ても、実にいろいろな媒体に、いろいろなテーマについて書かれたものだと思う。本業の小説でも精力的に作品を発表する傍ら、随分大変だったろうと思うが、きっと頼まれると断れなかったのに違いない。もっとも、そのおかげで我々読者は、珠玉の名エッセイの数々を読むことが出来る訳なのだが。

それにしても、どうしてこんなに未刊行のエッセイが数多くあるのかという事については、文芸春秋社で担当の編集者であった阿部達二氏が後書きで書いている。
「ひとつだけ弁解を許して頂くならば、藤沢は自分の書いたものをすべて保存し記録しておくという、作家としてごく普通の習慣を持たなかった――自分の書いたものはすべて本になる(本にする)ということを考えておらず、望んでもいなかった。エッセイは殆ど書き捨てのつもりであったらしい。」
こうした作家らしくない態度を敬愛しつつも、おかげで散逸する作者の原稿を集めるという大変な作業に振り回され、まだどこかに未刊行の作品が眠っているのではないかという不安に苛まれ、「欲のない人ほど本当に困ったものだ」とボヤく編集者に心から共感。頑張って探し続けて欲しい!

 作者自身の言も引用されている。
「大方はごく無責任な、つまらないことを書きなぐって、そのときどきの責めをはたすだけである。そういう雑文を本にするなどと言われると、待てよという気分になるのはやむを得ない」(『周平独言』あとがきより) 
このような言葉からは、「書く」ということをあまり重要視せず、無造作に書き捨てていたようにも思われるが、これは作者独特の照れ隠しの表現であって、ある意味藤沢周平ほど矜持を持って書いていた作家はいないように思う。それは、このエッセイ集の中の一篇「小説のヒント」からも窺える。テレビドラマがヒットしたことにより、その作品を生み出したのは原作者ではなく自分の方であると勘違いしてしまう脚色者、原作者のクレームに対し「法的には問題ない」と言って平然としている脚色者(とテレビ番組制作者)について、藤沢周平はごく抑えた表現ながら、はっきりと糾弾の姿勢を示している。
「これは法的な問題どころか、良心の問題ですらない。作家(書く側)のプライドの問題である。どんなにささやかなものであれ、自分自身のもので書くプライドがあって、はじめて小説が成り立つのだと思いたい。」
こういう所が周平さんの格好好い所だよなぁ、と思うのだ。まさに「寒梅」の佇まいではないか。

                北沢 森厳寺(淡島さん)
代田川緑道
                


    

 

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寒梅忌2017

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