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台風情報が気になる中、金木犀の香りに、ようやく秋の訪れ、そして今年も残り少なくなったことを実感します。さらに今年は、これから「平成最後の・・・」連呼がますます多くなるんでしょうね。

拙ブログの「かわせみ談話室」も、ちょうど一年を迎え、とりあえずこれで一区切りとしたいと思います。ブログも、街道歩き・お散歩関係は、事実上Twitterのほうに移行してしまっていますが、掲示板やブログのコメントと比べて、書いたその数秒後に反応のあるTwitterは、最初はびっくりして恐ろしくもありました。しかし、何事もスピードが必要な現代、TwitterやLINEがメジャーになるのも仕方ない面もあるなぁと思います。

ウォーク関連のTwitterは、ほとんどが実況でUPされていて、私のようにいったん帰宅してからスマホの写真をPCに取り込み、編集してからUPするのは、何トロトロやってんだ~~という感じですし、歩いた日時とツイート日時がずれるのも不便かもしれませんが、ちょっと時間をかけるとそれだけ情報も付加できるので、受信側としては実況の臨場感を楽しみ、発信側としては、これまでのHPやブログの延長のような気持ちでしばらくは続けることになりそうです。

いま『青い服の女』を、読み返しているところです。巻の最初から読んでみても、いや、最初から読めば読むほど、やはり最後の正吉くんとお晴ちゃんの成り行きには、唐突感が免れないのですが・・・今後の明治編の新刊、どうなるのでしょうね。
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かわせみ談話室 2018 9月

今年の夏は本当に酷暑で、6月後半から延々と続き、立秋を過ぎて台風のため、ようやくちょっと一息ついたものの、残暑はまだまだ続いています。でも、さすがに峠は越したという感じで、日暮れは確実に早くなっていますし、風もかすかに秋の気配を運んでくるようです。
この時期になると、暑い暑いといっていた頃がちょっと懐かしくなったり、行く夏を惜しむ気持ちも出てくるのが普通ですが、今年はあまりにも長すぎて暑すぎた夏、惜しむ気にもなれませんね~~それよりも、涼しくなっても体力気力が戻るのかどうか、あれこれ溜まった事も片付かないうちに秋も一瞬に過ぎて年末が来てしまうのではないか、という不安ばかりが募ります。

さて、『源太郎の初恋』文庫版所収で、はいくりんぐのお題にもなった『月夜の雁』の冒頭を見ると、この年の江戸の人々も、猛暑に悩まされ、秋が来てもなかなか体調が戻らなかったりしていたようですね。
で、この年から次の年明けにかけて、かわせみ大河の中で最も画期的な出来事、東吾さんおるいさんの祝言と並ぶ嬉しいことがあるわけですが、その始まりが『月夜の雁』の前の前の『笹舟流し』なのです。
もっともこの嬉しいニュースは、『笹舟流し』のラストシーンまで読者にも明らかにされず、むしろ不穏な雰囲気で始まります。例の東吾さんの、七重さん祝言の大雪の夜に「やってまった」問題が、ここに来て大変な結果を呼んでいたことがわかっちゃったのです。

かわせみシリーズは、雑誌連載時こそ前編・後編に分れることもあり、ある登場人物がだいぶ後になって再登場したりすることもありますが、基本的に各話は独立しています。ところが『笹舟流し』は例外的に、「日頃、楽天家であまり物事に拘泥しない神林東吾にしても、この問題は笑って忘れてしまうというものではなかった。」と、いきなり前を受けて始まっているんですね。単行本で読んでいる人はいいのですが、オール讀物をたまたまこの号だけ買った人は、「この問題って何だよ!!」とかなり気になったんじゃないでしょうか。まぁ数ページ後に、東吾さんが宗太郎さんに相談する形で、いちおう経緯を振り返っていますので、初めての読者も「ああそうだったのか」と腑に落ちるのは、平岩先生(それとも編集者?)の抜かりないところではありますが。

タイトルの「笹舟」は、この物語のミステリー部分となっている、記憶喪失の女性を巡る悪者退治の話の中で、女性が記憶を取り戻すきっかけとなる、夏らしい風情のあるものですが、読者の立場としては、事件はほとんどどうでもよくって(笑)、東吾さんと麻太郎くん、琴江さんはこれからどうなるのか、おるいさんにはバレずにすむのか、ハラハラが止まらないのですよね。そして最後の急展開で、東吾さんと一緒にびっくりぽん!・・・となりますが、中盤の作者が思わせぶりに書いていた所から、この展開を予想できちゃった読者も多いのかなあ?
私はこの文庫の巻末にある『立春大吉』がオール讀物に掲載された時に立ち読み(おいおい)して、その後文庫が出てから『笹舟流し』を読んだので、この展開はもうわかってましたが、できれば何も知らずに読んで、東吾さんといっしょにビックリしたかったです(^^♪

作者の腕の冴えているところは、東吾が「るい、るい、と大声で呼びながら部屋を出て」行きますが、その後のおるいさんとのやりとりは読者の想像にまかせ、東吾さんが行ってしまった後の宗太郎さんと嘉助さんの表情で物語を締めくくっている所です。舞台の演出家としても名を馳せておられた平岩先生の面目躍如。

嘉助さんの「ばれましたんで・・・」は、かわせみ全巻の中でも名セリフの一つですし、ぐずぐずと居残らずさっさと帰っていく宗太郎さんも江戸前の格好良さですね。

重箱の隅ですが、この『笹舟流し』では、麻太郎の誕生日が大晦日生れの花世ちゃんと一日違いの、12月30日となっています。これは麻太郎本人ではなく、琴江さん⇒七重さん⇒宗太郎さんという、かなりの伝言ゲームの結果ですが。
ところが、江戸編も終わりに近い『浮かれ黄蝶』の中で、麻太郎がかわせみに遊びに来ている時、おるいさんやお吉に、自分の誕生日は10月8日と伝えています。
七重さんと宗太郎さんの祝言『雪の夜ばなし』は、何月という記載はみつからないので、大雪というだけなら早春もありえますが、続く『鬼の面』が節分の話で江戸の節分はご存知のように年内ですから、麻生家祝言=東吾さんと琴江さんの事件は12月20日前後、そうなると麻太郎の父が東吾ならば、次の年の12月30日麻太郎誕生は完全にありえません。確実に大村殿の息子です。10月8日というのも現在の産科学的には遅すぎる感じですが・・・。
平岩先生のウッカリなのか、もしかしたら、琴江さんが東吾さんに疑念を抱かせないように嘘を言っていた可能性も高いですが、『笹舟流し』新装版ではもしかしたら「12月30日」が削除または改訂されているのかどうか、気になります。

かわせみ談話室 2018 8月
殺人的酷暑が延々と続いたと思うと、月末になって台風に振り回された7月でした。
震災後、省エネ・節電の気運がしばらく高まっていたのもどこへやら、熱中症の怖さが喧伝されて、電車やビル内の冷房が最強になっているのは東京だけでしょうか? 内外の温度差というのもかなり身体にはストレスになりそうです。
こんな夏は、難しい仕事は出来るだけ先に延ばし、のんびりと読書、それもストーリーの複雑なものは、暑さでぼーっとした頭では追いかけきれないので、何度も読み返したおなじみの本を広げつつ、とろとろとうたた寝・・・という過ごし方が一番かも!

という訳で、かわせみ夏のお話もいろいろありますが、今月は『一両二分の女』を選んでみました。文庫版では9冊目、まさにシリーズも油がのってきたというあたりのお話ですね。
そして、おるいさんの朝シャンで始まるこのお話、かわせみファンなら「あぁ、あれね!」とニッコリ(ニタニタ、ニヤニヤ?)してしまう、官能系フルスロットルといいますか、ドラマについても「NHKでここまでやっていいんかい」みたいな感想で湧いていましたよね。
ドラマ化といえば、私の記憶ではこのお話、元祖(小野寺&真野コンビ)だけじゃないかと思うんですが、テレビ朝日版やNHKの高島さん版でもやってましたっけ?


このお話、二人のアツアツぶりだけでなく、本筋のミステリーのほうも、なかなか読みごたえのあるストーリー。陰惨な話といえばそうなんですが、まぁ被害者の男性たちに関しては、多少なりとも自己責任の部分もあるともいえます。
加害者の母と娘の方はどうですかねぇ。夫や親戚の男たちに裏切られだまされたとはいっても、「男が憎い。男ほど油断のならないものはない。」といって連続殺人に走るというのも、なにか短絡的に思えます。これだけ計画的に男たちを誘いこみ、だまして殺して金を奪う、というパワーとエネルギーがあるのだったら、それを母娘で必死にまっとうな商売で頑張るほうに向ければ、いくらでも人生の後半に幸せが巡ってきたのではないかと思えますが・・・

「お辰という女の住いはどこだ」
「谷中です。仏心寺という寺のすぐ裏だそうですが……」
その足で、東吾は長助と谷中へむかった。
谷中は寺ばかりというが、仏心寺もその一つで境内は狭いが、裏に墓地があり、その先には湯灌場まである。

慶長元年(1596)浅草馬道に草庵が建立され、慶安年間(1648〜52)に谷中の地に移転されました。
開山は本山・堺妙國寺初世佛心院日珖上人。
お祖師さまのお像は江戸時代の仏師について不明な点が多い中で「大仏師」と記載があり、歴史的に納主・彫師・開眼師が記名されている区内最古となるお像です。
堂内の毘沙門天様は江戸初期に紀州松平家から奉納されました。
                     (日蓮宗HPより)

もしかすると、古典芸能に詳しい平岩先生がこれを書かれた時、「黒塚(安達ヶ原)」や、「殺生石」などのイメージもその根底にあったかもしれませんが、「時代小説ではあるけれど描かれているのは現代の問題」であるかわせみシリーズ。お能ならば仏法によって成仏できるというラストになりますが、より社会的というか、生々しいディテールで迫ってきます。


この文庫に収載の話は、昭和60~61年に書かれたものですが、昭和60年という年は、風俗営業法が改正され、初めてテレクラが出来た年なんですね。
『一両二分の女』では、「安囲いの女」つまり吉原のような遊郭ではなく、素人の女性が風俗業を行うようになった変化が語られていますが、テレクラ等の匿名性が利用され、風俗業など縁のなかった層・若年層がそうした業界に取りこまれていった動きは、江戸末期も昭和末期も共通だったのかもしれません。平成に入り、ポケベル・携帯電話が発達すると「ダイヤルQ2」なるものができ、平成8年には「援助交際」が流行語大賞を受賞します。

この話のラストシーン、盛りの夏の暑さをものともせず、贅沢な衣裳を重ね着して刑場に引かれて行く母娘の姿が非常に印象的です。
このシーンは別になくても、事件が解決したところで終ってもストーリー的には問題ないのですが、このシーンがあることで、ぐっと物語にインパクトが加わりましたよね。
結局、この母娘の最終の目的は何だったのか、男への復讐だったのか、それとも奪った金での贅沢三昧だったのか。
現在大きな問題になっているMeTooなどにしても、単純に、男性=加害者、女性=被害者という図式だけでとらえていては解決できないのではないか、という気がします。
かわせみ談話室 2018 7月
梅雨はどこへ行ったという真夏日が続くと思ったら早くも梅雨明けとか・・・皆様お元気でしょうか。
今月のお話は『水戸の梅』を選んでみました。『白萩屋敷の月』の中にある初期のお話ですが、この本には、表題作のほか、宗太郎さん初登場の『美男の医者』、NHKドラマにも登場した『恋娘』や『幽霊亭の女』があり、それらと比べると、ちょっと地味な話かもしれません。
ですが、このお話の中で長助親分に孫が生まれていますよね。
「長助も、いよいよじいさんか」
「男の児で、けっこう大きい」とあるので、これが長吉くんに違いありませんが、どうも、これより後の話で、「これまで女の子の孫はいたが、初の男の孫が生まれた」っていうのもあったような記憶があるのですが・・・


それはともかく、この『水戸の梅』は、殺人事件などもなく、あわや心中かという騒ぎはあっても無事に命を取り留め、その救命の決め手となったのが、水戸の梅を煮詰めて作った毒消しの薬ということで、冒頭の梅の実のシーンが単なる季節感だけでなく、重要な伏線であったことがわかる、巧妙な構成となっています。
そして、梅を煮詰めている土鍋に指をつっこんで梅をなめようとする、悪戯坊主な東吾さんなど笑える場面と、ラストシーンの庄兵衛とおまきが蕎麦を食べて雨の中を帰っていくシーンのようなペーソスあふれる場面が、うまくバランスが取れていますね。

「いったい、なにが面白くて生きているんだか、不思議な夫婦でございます」
という、家主の評も、昔読んだときは読み流していましたが、今読むと我が身を言われたような気がしないでもなく「それがどうした、ほっといてくれ」みたいな(笑)

ちなみに偕楽園の観梅で有名な水戸ですが、「水戸の梅」という銘菓もあります。しかしこれは、作中に出てくるような実を煮詰めたものではなく、白餡と求肥を赤紫蘇の葉でくるんだ甘いお菓子。京都の八ツ橋と同様、元祖・本家を競う数店によって同じ「水戸の梅」という名で販売されています。



ところで、気の強い女房の尻に敷かれて、一見気の毒に見える男だけれども、本人は案外幸せなのだという話は『麻生家の正月』の伊助さんもそうでした。庄兵衛・おまきと違って、伊助夫婦には子供たちもいて、しっかり育ってバリバリ家業を手伝っているのですから、夫婦の在り方として全く問題はなかった訳です。
伊助が気の毒という近所の声は、実は女房たちの焼き餅が本音で、実は互いに惚れ合っている良い夫婦ですよ、と見解を述べる長助親分の奥さん、まことに慧眼です。

そして『麻生家の正月』では、伊助夫婦にさんざん振り回された東吾さんがラストシーンでなんと宗太郎先生のイクメンぶりを目の当たりにして慨歎。今はすっかりおなじみになった男性の家事育児風景ですが、この作品が発表された平成元年頃は、まだかなり衝撃的だったんですね。
かわせみ談話室 2018 6月
早いものでもう5月も終わりです。先月お知らせしましたように、ほぼ業務用ですがTwitterを始めました。Twitterは誰がフォロワーになるかわかりませんし、リツイートなどでフォロワー以外の目に触れることもあるので、Twitterではこのブログの事はわからないようにしています(会社の人々にも、ブログの存在は一切秘密です(^^ゞ)
しかし逆に、このブログに来て下さる数少ない方々は長い「かわせみ」ご常連のおなじみさんですから、ブログの横にTwitterを反映できれば、アカウントを持たない方にも見ていただけると思いつき、やってみました。無料ブログではダメかなと思ったのですが、画面に出るのに少し時間がかかりますが、ブログの左側に見えてますよ~と確認を頂いたので安心しました。

すっかり更新も放りっぱなしですが、アクセス解析を見ると毎日のように訪れて下さっている方も多いので、「今日もまた前と同じだなぁ」とガッカリさせてばかりだったのが、これで2~3日に一回は一言でも上積み出来たり、自分では書きこまなくても誰かの興味深い発言をリツイートして見てもらったり出来るのは良かったなぁと思います。
Twitterを通じて、これまであまり知らなかった分野の情報を取り込んだり、逆に業務関係に「かわせみ」関連情報を流したり(新八シリーズは街道そのものですし、かわせみにも結構、探せばいろいろご当地情報がありますのでアピールしなくては!)相互乗り入れを目指します♪

さて今月のお話は、『十三歳の仲人』所収の『成田詣での旅』を選んでみました。
これは好きなお話というよりは、なんとなく心に引っ掛かっている話かもしれません。
例の、お名前の読み方の質問がご本家掲示板に来たりしていた茶道の師匠、寂々斎楓月先生の喜寿の祝で、おるいさん・お千絵さんがご町内のご一行様で成田への旅に出る話です。といっても肝心の成田山新勝寺については、1ページの半分もない位にスルーされちゃってるんですがね(笑)
かわせみシリーズでは、これまでも旅先でのいろいろな事件の話はありましたが、今回は何もトラブルもなく、無事お詣りもすませます。そして、ちょっとした出来事がきっかけで、ご一行メンバーの深川の料理茶屋の主人新兵衛が女番頭のお篠と、慌しくも旅先で祝言を挙げるという運びになります。
このあたりまでは何となく、人情コメディか、落語みたいなオチがつくのかと思いつつ読み進む訳ですが、ラストに向かってはなかなか、重苦しいというか、苦い味の展開になってしまいます。殺人事件ではないのだけれど、事件ではないだけいっそう、かけ違ってしまった成り行きの後味悪さが際立ちます。
読む人によって、いろいろな側面から、いろいろな感想が出てくるだろうと思われる話ですね。

↓は、成田山よりも行数を割いて説明されている?道中一泊した船橋の「なんだか難しい名前のお宮」意富日神社(おおいじんじゃ)のHPからお借りしてきた、江戸名所図会の図です。現在は船橋大神宮とも呼ばれているらしい。

昔は泊りがけだった成田も船橋も、国際空港と首都を結ぶ「千葉都民」の街となり、船橋などは下手な東京23区内よりも、都心への通勤が便利なベッドタウンになっています。



ずっと前にHPの「かわせみ心模様」に書いたこともあるんですが、「出来る女の明暗」というジャンルが、かわせみシリーズの中にあって、このお話もその一つかな~という気がしています。
これまでに出てきた「出来る女」の両典型は『奥女中の死』の悲劇と『師走の客』のハッピーエンド、その対比が印象に強いのですが、この『成田詣での旅』のお篠さんはその中間くらいでしょうか。

お篠さんへの共感度・評価もかなり割れると思いますが、私は、彼女がいったい何を求め、誰を愛していたのかなぁと考えてしまいます。最もやりたかった事はやっぱり、自分の力で店を繁栄させたいという事業欲(?)だったのでしょうかね。
愛情に関しては、新兵衛旦那は全く役者不足・・・ハッキリ言って魅力は彼の「旦那という立場」だけだったと思われるし、弥七さんをひたすら待ちわびていたとも思えない。

もしかしたら彼女が最も愛したのは、一から仕事を教えてくれ、自分の才能を引き出してくれた先代の旦那だったのかもしれません。
しかし先代の旦那は、お篠の手腕を見込んで、女番頭というこの時代は珍しい地位(ふつう料理茶屋だったら、出来る奉公人といっても女ならば仲居頭ですよねぇ)につけたけれども、息子の嫁にしようとは考えなかった。能力は見込んでも、人格的に今ひとつ惚れこめない、冷やりとしたものを感じていたのかもしれませんね。

もし、先代の旦那がお篠の性格も能力も信頼していて、でも息子の嫁には出来ない(親類の反対が強いとか昔からの許嫁がいるとか)のであれば、男の奉公人で見どころのあるのを番頭として鍛え、お篠と夫婦にして実質的経営を任せたのでは・・・という気がするのです。お篠の手腕を利用すると同時に彼女のプライベートな幸福も保証してやる。それが最も将来の店の安泰につながると。出来る男の奉公人が全く一人もいなかった?っていうのも考えにくいです。

いずれにしても、お篠さんはちょっとやり過ぎでした。旅先の祝言も無理がありますし、小細工に頼っても、長い目で見たら良い事はひとつもないですもんね。
しかし、三十を出たばかりという年齢なら、まだまだやり直しはききます。
当時は今と違って四十代で初老といわれた時代(笑)といっても、おるいさんが千春ちゃんを産んだのは結構年がいってからですし、七十七歳で旅に出かける楓月先生だって平成の七十七歳をしのぐ元気ぶりです。

立ち直って明るい笑顔を見せてくれるお篠さんが、明治編のどこかで再登場しないかなぁと思う次第です。
かわせみ談話室  2018  5月
桜も終わり、早くも季節は春から初夏へ。
この季節のお話というと、やっぱり『江戸の子守唄』ですね~
かわせみ物語全体がギュっと濃縮されたような名作です。
「はいくりんぐ」のお題になったときも、非常に盛り上がりました(七重ちゃん泣かないで!宗太郎さんがそこまで来ていますよ!!というエールが谺しておりました♪)し、これまでの掲示板でも何度となく話題になってきたので、東吾さん・おるいさん・七重さんの心模様や、ストーリー展開の妙については今さら触れる必要もないでしょう。

平岩先生はいくつかのエッセイで「かわせみ物語がこんなに長期化して、明治編まで突入せざるをえなくなってしまったのは、うっかり源太郎を誕生させてしまい、子供の成長に合せて時を進めなければならなくなったため」と書いておられ、その通りだろうとは思いますが、その前の段階での、「プレ長期化きっかけ作品」みたいなものとして、この『江戸の子守唄』もあるのじゃないかな~という気がします。
七重さんというキャラがここでハッキリ出てきていること。七重さんが単なるヒロインの引き立て役・敵役ではなく、おるいさんとは違うけれども、また別の魅力的な女性としてレギュラー入り、そしてそんな七重さんが不幸になってはならないと、後に宗太郎さんも登場(「やっぱり医者が一人いると何かと便利だし」という理由もあったそうです:笑)だんだん、群像劇として拡大されていった訳ですね。
もっとも、この時点では、作者のゴールは、二人の晴れて祝言あたりだったと思います。「もしかして明治以降も続くのでは」という、作者にとっても読者にとっても最初は冗談だったであろう話が現実になりました。まさに、小説の登場人物って作者の手を離れて活躍するのだなという経緯を読者は目の当たりにすることができたわけですね。

『江戸の子守唄』では、おるいさんのお買いものシーンも見どころの一つ。ここでお文ちゃんの身元が判明して、事件が急展開、解決に向かうわけですが、おるいさん達が訪れた「尾張町の蛭子屋」私の文庫版(1991年、20刷)では「ひるこや」とルビがふってあります。実在の店だったのだろうかと調べてみると、どうも「蛭子屋」と書いて「ゑびす屋」と読む店があったようです。
松坂屋のHP店の歴史を解説した「松坂屋「ひと・こと・もの」語り」のページで、八代将軍吉宗と幼馴染だった大坂の商人が、吉宗から贈られた蛭子(ゑびす)像にちなんでゑびす屋呉服店を開業、その後江戸にも進出して尾張町に店を出したとあり、蛭子像の写真も載っています。明治になってこの蛭子屋は松坂屋に吸収合併されたのだそうです。

広重の「名所江戸百景」には、大伝馬町の木綿店・駿河町の越後屋・下谷広小路の松坂屋・日本橋通町の白木屋などが描かれていますが、尾張町は、江戸百景ではなく、初期の作品「東都名所」のほうにありますね。(東都尾張町繁栄之図)
この図では「恵美壽屋」となっていて、恵比寿神を描いた暖簾が見えます。



このお話で事件解決の手がかりになる「紅花」には、作者の思い入れがあったようで、はやぶさ新八シリーズの奥州編でも「紅花染め秘帳」として登場しています。
登場人物も多く、入り組んだ人間関係がややこしくて、なかなか頭に入らないのですが、天領として代官支配を受けたり大名の藩となったりした山形の複雑な歴史的背景、産業にからむ幕閣・藩・商人の思惑などスケールの大きな、本来ならば御用旅シリーズ中でも最長編になりそうなところ、文庫200ページほどで、なんだかススス~と終わってしまったような、ちょっと物足りない印象です。誰か実力のある脚本家が、細部をじっくりねっちり膨らませて、NHK=BSとかで半年くらいかけて映像化しないかな~(もっともNHKさんも最近、経費節減のためか、有名作家+実力派脚本家っていう昔の大河ドラマパターンはいっこうにやろうとしませんね。オリジナル脚本ばっかり。)

紅花といえば、先月亡くなられた内田康夫さんの浅見シリーズにも『紅藍(くれない)の女殺人事件』という、紅花の名産地山形県河北町を舞台にした作品があります。「花いちもんめ」の童歌の「花」が実は紅花で、花一匁が金一匁といわれる高級品だった・・・
これはフジテレビの中村俊介@浅見バージョンで大河内奈々子・江波杏子・峰岸徹出演で映像化されているようですが、沢村一樹バージョンはないのかな?

最近では関東地方でも、桶川などで紅花を見ることができますが、やはり本家山形のは違うのでしょうか。一度見てみたいものです。

かわせみ談話室 2018 4月
この時期は特に何もなくても年度末で慌しいですが、今年の3月は本当にいろいろな事がありましたね。政局も天候も大荒れな中、パラリンピック選手たちの活躍は、オリンピックに続き大きな感動を呼びました。障碍のあるなしと運動神経は、全く別物だということをつくづく感じました。

個人的に大変悲しく思ったのは、13日に作家の内田康夫さんが亡くなられたことでした。病気療養のため執筆中の浅見シリーズ作品を作者自身が完結させるのが難しく、ファンクラブの合作による完結編を準備中というニュースを聞いて心配していたのですが・・・浅見光彦と兄の刑事局長兄弟が、通之進様と東吾さん兄弟に共通するイメージもあって、かわせみファンで同時に内田ファンという方も多かったですよね。浅見や信濃コロンボなどの人気連作シリーズ以外の初期作品にも力作がありました。
弱小出版社勤務の私としては、内田さんが自費出版の作品でデビューされたということも、非常に親しみを感じていました(もちろん、いつの日か内田作品やハリー・ポッターや、うんこドリルのような、誰もまだ知らないお宝作品が突然我が社に持ち込まれ、空前の大ヒットとなって社屋一新・給与倍増・・・を夢見ているわけです)。
朝日新聞24日の文化文芸欄に、赤川次郎さんが書いていた追悼記事がとても良かったです! 多大な読者に愛され出版界に大きな貢献をしながら文学賞とは無縁のミステリー作家の同輩として、「大人の美学をサラリと貫いた」作家であったと賛辞を贈っておられました。赤川さんの所に来た女性読者からの手紙に「私はこれから内田康夫さんの作品を読むことにしましたので、先生の作品は卒業させていただきます」と書かれていたというエピソードも大笑いでしたが、確かに中学高校生時代に赤川作品を愛読し、大人になって内田作品のファンに移行するという層も厚いかもしれません。

さて今月は我が弱小出版社も春を迎えて「ホントに歩く中山道」の刊行開始となりました。東海道ウォークマップに続き「今度は中山道を是非」という声が前々からあったのにお応えして、東海道五十三次と京街道(五十七次)・佐屋街道・姫街道までがようやく完了して、中山道シリーズを始めることになったわけですが、調査・編集・印刷コストと売れ行きを較べてみれば、社屋一新給与倍増には程遠いのは一目瞭然(泣)ですけれども一同頑張っております。


この中山道シリーズは、東海道シリーズとは逆に、西から東、つまり京都三条大橋から日本橋をめざす作りになっているのが他社マップと違う所です。東海道で京へ上り、帰りを中山道でというコンセプトで、これは偶然ですが、平岩先生の隼新八シリーズの東海道・中山道と同じです。改めてこの二作を読み返し、街道初心者にうってつけの作品だなぁと思いました。


かわせみシリーズには、「春」のつく作品は多数ありますが、「春」が「初春」のことを指しているものも多いですね。
その中で『春風の殺人』という、明治編の作品は、まさに今の時期にぴったりで、江戸から東京になった首都の花の名所がいろいろと出てきます。


↑は、三代広重の「東京名所第一の勝景・墨水堤花盛の図」ですが、冒頭に登場する麻太郎・源太郎の周囲も、こんな感じだったのでしょうか。
もっとも、バーンズ先生と同じく花より団子のほうな私は、物語の中に出てくる「泉谷」という料理屋が気になって、どこかモデルの店があるのかなぁ等と思ったのですがよくわかりません。京都には「泉仙」という「鉄鉢精進料理」で有名なお店があり、その系統で「泉◎」という料理屋もいくつかあるみたいですけどね。

『春風の殺人』は、タイトルから連想されるような加害者vs被害者という殺人事件ではないのですが、誰ひとり幸せにならない非常に苦い後味の作品です。背景が春爛漫、満開の桜景色であるだけ一層、周囲の利己主義と興味本位な世間の目に振り回されて死に追いやられる芸者の哀れさが際立ちます。昔捨てた子を探す親、候補者が二人いてどちらが本当の子か、というようなストーリーは、江戸編にもいくつかありましたが、いずれもハッピーエンドには至らなくても、もう少し情感のある、救われる終わり方でしたよね。
このお話で一つ気になるのは、死んだ八重丸に対して、梅千代のほうがよくわからないまま終わってしまっていることです。もしかして、本当の娘は梅千代のほうだったのか? 彼女の真意は何だったのか、最後にもう一度登場させてほしかった気がします。
前にも書きましたが、明治編になってから人生の苦さ・不条理さが色濃くなっているようで、作者の意図的なものか無意識のうちかはわからないのですが、これもその典型的な一つだと思います。
かわせみ談話室 2018 3月
父、源三郎と、息子、源太郎。
といえば、こちらのご常連さんは例外なく、畝家の源さんの話に決まってると思いますよね。

いやいや、それが、他にもいたんですね。父源三郎に息子が源太郎。
最近の意外なベストセラーといわれる、『君たちはどう生きるか』の作者、吉野源三郎氏と、その長男でジャーナリストの源太郎氏の話です。

『君たちはどう生きるか』の原作が刊行されたのは昭和12年(1937)。日本が戦争に向ってまっしぐらに進んでいた時代・・・と今でこそ、私たちは客観的に言いますが、当時を生きていた庶民たちはどんなふうに「今」をとらえていたんでしょうか(そして、私たちの孫や曾孫たちは、2018年を振り返ってどのように言うのでしょうか?)

昭和12年、この年の6月、林銑十郎内閣に替って発足したのが近衛文麿内閣。そして7月には盧溝橋事件が起こり、日中は果てしない戦争に突入します。「非戦思想」は糾弾を受けるようになって、キリスト教関係の本などが発禁処分となり、東大の矢内原忠雄総長も筆禍事件で12月に退官に追い込まれます。

今月の文藝春秋誌上で吉野源太郎さんが池上彰さんと対談していますが、源太郎さんによれば、『君たちはどう生きるか』は、「投獄され、自殺まで試みた父が、また検挙されるかもしれない・いずれ自分の命はないかもしれない、という恐怖を抱きつつ、命がけで生み出した物語」だったと語っています。

私は今回の漫画版は未読ですが、原作は小学校高学年の頃に読みました。自分の知らない戦前の話ではあったけれど、主人公の年齢が近いこともあって興味深く、物語に引き込まれて読んだ記憶があります。しかし、そのような「命がけ」というような雰囲気は感じなかったし、左翼とか思想とか検挙とかいう話とは無縁の、とても基本的な古今東西誰もが共感する価値観、でもその価値観に沿って生きる事はなかなか困難、というような事がわかりやすく書かれている話と解釈していたと思います。
そこが池上さんの言う「軍国主義的な価値観とは違うところで、良い人間とは何か、人としてどう生きるべきかを問い直すためにギリギリの線で表現している」努力の成果だったのですね。



ちなみに、池上さんは、やはり小学校高学年の頃、珍しくお父さんから勧められてこの本を読んだそうです。私は何故か、学校の図書館で借りたこの本を親に隠して読んだのですよね。当時、読みあさっていた岩波少年文庫や箱入りの講談社名作全集とか、少女小説、子供向けミステリーのようなものは、普通にその辺に置いたり妹と交替で読んだりしてましたが、これはカバンに入れておいて一人の時にこっそり読んだと思います。
あまりにも「良い本」で気恥ずかしいような気持ちだったのかもしれません。
「そんなに良い本を読んでいるのに、なぜ・・・」と生活態度について親に小言を言われるかもしれないという警戒心もあったかも。
池上家と比べると、男の子と女の子の違いというのもあったかもしれない。あまりにも人生真っ正面みたいな本を女の子が読むのはおこがましいような・・・人前では女の子向けというジャンル(若草物語とか赤毛のアンとかね)を読んでいたほうが、すべて無難におさまるというような無意識の計算があったのかなぁ。今の子供たちはどうなんでしょう。

実は、この話はもっと前にUPして、月末の談話室は、別に何か季節のかわせみ物語を探すつもりでいたんですが、「二月は逃げる」であっという間に日がたってしまい、これを流用してしまいました。
全然「かわせみ談話室」になってないじゃないかと、あちこちからツッコミが入りますよね~~
せめて、畝家の「父源三郎と息子源太郎」の名場面でも探すことにしようかな。
お勤めで留守がちの源さん、案外息子とのツーショット場面は少ないのですよね。
どのお話だったか、庭で源太郎が素振りしているのを、縁側で源さんが立って眺めているというシーンがありました。ごく何でもない、ストーリーにも関係しないシーンですが、こういう場面がさっと挿入されていたのが、江戸編の良いところでしたよね。
源太郎が誕生したときの、みんなの大騒ぎぶりも懐かしい。
ツーショットではありませんが、横浜の先生がらみで源太郎と麻太郎が危機一髪!という話で、源太郎の守袋が落ちているのを見つけた源さんがハッとする所もすごく印象に残っています。
かわせみ談話室 2018 2月

新春のかわせみ物語は数多いですが、今月は『初春夢づくし』を読み返してみました。とてもハートウォーミングで大好きな一篇です。江戸編の中ではかなり最後に近いものですが、オール讀物に掲載されたのが平成14年の正月号のようなので、もう十数年前になるのですね~

おるいさんの母方について新しい情報が得られるのも興味深いですし、本筋とは直接関係ない細かいシーンも生き生きと描かれています。
花世ちゃんのお琴を聞きながら麻太郎は居眠り、源太郎は起きていた、というのもこの話だったんですね。花世の日頃の稽古ぶりを考えると、千春ちゃんの「とてもお上手なのに・・・」という台詞は、千春的ポジティブシンキングの割合が高いといえそうですが、眠気を誘うのはむしろ上手な演奏という事もあるので、案外上達しているのかも。あるいは源太郎が居眠りしなかったのは、間違えないかどうかハラハラして見守っていたのか、という可能性もありますが。

おるいさんとお千絵さんの、女の友情のシーンも好いですね。お互いの身内に関することは親しい友人でも言いにくいという気持ちは現代も変わりませんが、そこをあえて、不要な気遣いをせずに率直に伝えるべきことを伝える。こうした信頼関係のある友人がいてくれるのは、いつの世も本当に貴重なことです。
そしてまた、恋女房たちのトラブルを解決するのは自分達だと張り切る東吾さんと源さんが可笑しい。当事者のお佐代さんも役者の小山三も分別のある人間だったわけだし、おるいさんとお千絵さんに任せておいても結局は解決したものと思われますが、物語的には亭主たちの介入でうんと面白くなった・・・いや長助親分だけは気の毒に、全く貧乏くじでしたがねぇ~~(^o^)

是非とも映像化で見てみたい話でもあります。お佐代さんには、黒木華ちゃんなどピッタリではないでしょうか。小山三役は、モテモテのイケメンだが誠実な性格、というだけならいろいろいそうですが、役者を演ずるとなるとかなり限られますね。舞台姿とか様になってないとマズいしね。やっぱり歌舞伎界からの起用になっちゃうかなぁ。

 
 
 
ところで、お能は最近少し見るようになりましたが、歌舞伎は2回くらいしか見たことがなく、妹背山婦女庭訓の求女といわれても全くピンと来ないので、画像検索したところ、なんと平成叛NHKの東吾さん:橋之助(当時)さんの求女(写真右)が見つかりました。平成6年8月の舞台だそうです。橘姫(写真左)は中村浩太郎さん、お三輪(写真中)は中村福助さん。

求女は実は藤原鎌足の子、淡海公不比等ということらしいですが、お能でも「海士」が淡海公関連のお話ですが、かなり雰囲気違いますねぇ。

かわせみ談話室 2018 1月
あっという間に今年も御用納めに・・・

尽句@「御宿かわせみ談話室」も3回目を迎え、とりあえず最低の「三日坊主レベル」までは達することが出来て良かったです。皆様のご支援ご協力に感謝いたしますm(__)m
三日・三月・三年などと言いますが、まぁ先のことはあまり心配せずに、今後とも気楽にまいりましょう(^^;

さて「かわせみ」には「師走」のつくお話が二つありますね(御本家データベースに感謝!!)
一つは何といっても、かわせみ第一巻に『初春の客』と対のように並ぶ名作『師走の客』、そしてこれも初期の、心に残るお話『師走の月』です。

『冬の月』という話もあるので、ごっちゃになってしまうのですが、『師走の月』は、畳職人として良い腕を持ちながら、親心故に犯してしまった罪の自責で悲劇に終わる老職人、『冬の月』は経済的には不足のない老後を過ごしながら孤独に苛まれ、ほの見えた癒しもすぐに奪われて、さらに深い孤独に陥る老商人、と、どちらも悲しい老人の話でした。
シリーズを読み始めた頃は、源さんとかお吉さんのような傍観者的立場で読んでいたものですが、この頃はもう、当事者の老人の気持ちにすっかり入り込んでしまいます(-_-)

『師走の月』は確か、山本学さんが畳職人の鉄五郎を演じていたような記憶がありますが、テレビ朝日版だったでしょうか。NHK元祖版だと山本さんじゃちょっと若いですもんね。『冬の月』のほうは映像化されてましたっけ・・・
『師走の月』の登場人物で、もう一人印象に残るのは、女たらしの新三兄さん。
「たしかに、東吾さんと一脈、通じるものはありますな」
という源さんの台詞が笑えますが、一見いかにもモテそうには見えないし自堕落で傍迷惑なのに、なぜか女のほうが、迷惑をかけられた事を愛されていると勘違いしてしまうようなタイプ、平成の(そして平成の次の)世の中にも、結構いそうですよね。この人物を誰が演じていたかというのは覚えていないんですが、またリメイクするとしたら、「直虎」で龍雲丸をやっていた柳楽優弥くんあたりかな?
江戸編ではこうした、かわせみレギュラー以外の、その一話にしか出てこないキャラたちが、本当に生き生きと物語の中で動いてましたね。明治編ではそのあたりがちょっと(以下略)



『師走の客』はもう、今更コメントの必要もない初期を代表する名作の一つですが、やっぱりハッピーエンドっていうのがいいですね!
代々木野の稲垣先生は、1993版の文庫本ではまだお名前が出てこないで「老師」としかなってませんが、新装版では改訂されているんでしょうか?
写真は代々木八幡の隣の福泉寺にある、斉藤弥九郎の墓です。
かわせみ談話室 2017 12月