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4月から始まった新しいNHK朝ドラ「ひよっこ」は、昭和三十年代の茨城県の農村が舞台だ。茨城といえば東京からすぐ近くの土地なのに、何もかも都会とは対照的な「田舎」の代表として描かれている(当時はもちろん、教育大学もまだ筑波に移転する前だった)。
ヒロインの父親は、オリンピックに向けて急再開発途上にある東京へ出稼ぎに行っており、建設現場で働いているという設定だ。

しばらく前に大ヒットした映画「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズでは、東京タワー・東京オリンピック・新幹線などが、未来への希望の象徴となっていた。「ひよっこ」も、それと共通の雰囲気から始まる。若者も子供も大人も老人も、みんな前向きに明るく生きている。しかし、序盤すぐに物語に暗雲が・・・家族思いで頼りになる「お父ちゃん」の消息が突然途絶え、杳として行方が知れなくなってしまうのだ。

『オリンピックの身代金』を読んでみようと思ったのは、この小説が東京オリンピックの「裏の顔、陰の部分」を描いたものとして話題になったのを思い出したからである。確か映像化もされたようだ。

作者の直木賞作家奥田英朗は、中学3年生で東京オリンピックを体験した私よりちょうど十年下の世代、開催当時は小学校にあがるかあがらないかだろう、実体験としての記憶はごくわずかに違いない。しかし膨大な資料と徹底取材の結果と思われる当時の世相の鮮やかな描写、本筋も面白いが、ディテールが非常な魅力で、一気読みしてしまう。
主人公は東北の農村出身の優秀な学生。兄は「ひよっこ」の父親と同様、出稼ぎで東京の建築現場で働いている。この兄の突然死をきっかけに、東京オリンピック開催に向けての急激な再開発が、下請け孫請けの過酷な労働条件をエスカレートさせ、理不尽な社会格差を広げていることに憤りを感じ、手作り爆弾を製造してオリンピックを粉砕しようと目論む。

「ひよっこ」でも、東京の建設現場で事故のあったことをテレビのニュースで知り、まさかお父ちゃんでは…と家族が胸を痛める場面があったが、小説にも「環八の陸橋工事で作業員が三人も死んだのに、新聞の扱いは写真すらないベタ記事」という箇所がある。具体的に書かれているのでたぶん、縮刷版など探せば実際にこのような記事があるのだろう。
「ひよっこ」の、行方不明となった父親がいた東京の宿泊所を母親が訪ねるシーン。当時としては、まだ労働条件の良い現場だったように見えるが、もちろん個室など望むべくもない、「お父ちゃんはこんな所に寝泊まりして、稼ぎの大部分を仕送りしてくれていたんだ」と言葉にはせずに思いを噛みしめる木村佳乃の表情がとても良かった(このシーンでは無言だった彼女が警察署で、「一人の出稼ぎ作業員」ではなく、名前と家族を持った一人の人間を探してほしいと思いのたけを訴える、その伏線にもなっていた)。

当時の出稼ぎ労働者の蒸発が珍しくなかったことは、朝ドラでも小説でも触れられている。苛酷な労働条件も、みな軍隊経験者であった当時の男性たちにとっては今ほど耐えがたいものではなかったのかもしれないが、重労働で稼いだ金もほとんど仕送りで消える生活。よほどの家族との信頼・絆がなければ、金さえあれば面白おかしく生きられる都会の闇に飲み込まれてしまうだろう。さらに、都会に慣れない人々を狙うスリや詐欺、疲れを取るという名目ではびこる粗悪なヒロポン・・・

多数の個性ある人物が登場し、さまざまな側面から事件に関わっていく。ほんのちょっとのシーンでも印象に残る描き方は、突飛な精神科医を主人公にした「空中ブランコ」のシリーズなどと共通している。シリアスなテーマを、アップテンポで時々笑いも入れながら描いていくのが、この作家の特徴であるようだ。
五輪警備の総責任者である警察庁エリートと、その息子でテレビ局に勤める親子が対比的に描かれる。今でいう「チャラ男」なテレビ業界人は、往年のフジテレビプロデューサー横澤彪あたりがモデルか。テレビは新聞社には格下と見られているが「百万語を費やすより世紀の一瞬を映像で見せ」るほうが勝つに決まっている、と草分けテレビ人は言い放つ。「新聞記者なんてニ年目ならペーペーの使い走り」に過ぎないが「テレビ界は上がいないから俺でも即戦力」当時のテレビ界は、インターネットが登場した頃のIT企業のような感じだったに違いない。

開会式の入場券に十倍の値段がつき、ダフ屋が暗躍、人々はコネを求めて走り回る。
オリンピックイヤー昭和39年といえば、ちょうど終戦直後に生まれた世代が高校を卒業して就職した頃、「戦後生まれなのかぁ」というオジサンオバサン族の嘆息を聞いて育った記憶は私にもある。
今時はこれさえも多分死語の「OL」が「BG」と言われていた頃だった。洋楽と日本の歌謡曲とは完全に断絶しており、若いBGたちの中ではビートルズファンは少数派だったというような、事件とは直接関係のない描写も物語に厚みを加えている。(ただ言わせてもらえば、登場する二人組のBGがジョンとポールのファンというのはどうだろう、彼女たちのキャラならばジョージとポールのそれぞれのファンというほうがふさわしいと思う。ジョージ・ハリソンは若死にしてしまったので今の若者たちの間では存在感が極薄になってしまったが、当時はジョージとポールが人気を二分していた。ジョンのファンは変人というか孤高のタイプ、リンゴーのファンはウケ狙いだったと思う)。
 
松戸の常盤平団地に新婚家庭を構える警視庁の若い刑事(彼がもう一方の主人公になるわけだが、犯人も刑事も応援したくなってしまう)。警視庁の会議室は扇風機の騒音ともうもうたる煙草の煙に包まれている。
東京湾から漁業が失われ失業する漁師たち。江戸前の寿司ネタや海苔の養殖は新設の品川埠頭と火力発電所に取って替わられる。 

東京と地方の格差に怒りを覚えながらも、「東京がながっだら日本人は意気消沈してしまうべ。今は不公平でも石を高く積み上げる時期。横に積むのはもう少し先」と言うスリの老人。このスリがなぜか犯人に協力し、彼の裏世界とのつながりで犯行計画はあと一歩まで進む。
有色人種として初のオリンピックは日本の国力を世界に示す最高の機会であり、国家はその威信をかけてその妨害者を葬り去ろうとする。
国力とは? 国民の生活こそが国力ではないか、と犯人は思う。
東京オリンピックから半世紀、国民の生活は大きく向上した。しかし現在、当時とはまた違った大きな格差が社会に広がる。一握りの組織の上部が権力と情報と報酬を手にし、一兵卒の生命と生活はあまりにも軽いという状況は、今もなお変わっていない。

川本三郎の文庫解説も読みごたえがある。この解説の中で、中国でも北京オリンピック(まさに『オリンピックの身代金』が発表された年に開催)の暗部である底辺の労働者を描いた映画が作られていたことを知った。2004年の「世界」という、中国の若手監督ジャ・ジャンクー(賈樟柯)の作品である。もっともこの映画は、直接にオリンピックの暗部を描くというよりは、どの時代も共通の、恋愛や生き方に悩む青春群像劇という性質の濃いものであるようだ。

ところで『オリンピックの身代金』という、まったく同じタイトルの小説はもう一つある。
直木賞作家としては奥田英朗の大先輩、昭和ヒトケタ世代で陸軍幼年学校卒という経歴を持ち、読売新聞記者から作家に転身した三好徹の作品だ。この作品のオリンピックは、東京オリンピックではなく、その20年後の米国ロスオリンピックである。 

これは光文社の推理小説雑誌「EQ」にロス五輪の年昭和59年に連載され、同年11月にカッパノベルスから出版されたものだが、奥田作品とは全く異なるテイスト。だからこそ、奥田氏も安心して自作に同じタイトルをつけたものと思われる。
また、三好氏は『オリンピックの身代金』の前に『コンピュータの身代金』『モナ・リザの身代金』を書いており、身代金三部作という構成になっている。犯人グループも共通しているらしいので、三冊とも読まないと動機や背景の真相がよくわからないようだ。

この犯人グループの狙いは実は、テレビ局によるオリンピック中継であり、オリンピック放送を妨害すると言って身代金を要求する。オリンピック自体の遂行には全く問題はないわけで、オリンピック「報道の」身代金という設定が斬新だ。
NHKと思われるNBCという半官半民のテレビ局が舞台で、磯村尚徳と久米宏を合体させたようなキャスターが登場して犯人グループと対峙する。犯人グループの狙いが、政界の黒幕の隠し金にあることも、ロッキード事件の余波が続いていた時代を思い出させる。

テレビの草創期であった東京オリンピックの頃からさらに一世代過ぎて、テレビの速報性・視覚的インパクトがすでに圧勝となった時代である。この小説の出た翌年、昭和60年の御巣鷹山の日航機事故で、テレビそれも民放が生存者の存在をいちはやく伝えたことは、世間に大きな印象を与えた。
しかし新聞記者出身の作者は、テレビと新聞の決定的な違いを鋭く突く。どこからも制約を受けず発行する新聞と、政府の許可を得なければ電波の割り当てを受けられないテレビ局と。
電波妨害は法で処罰されるが、日本の領海外で、外国籍の船舶から妨害される場合は日本の法律は及ばない。
奥田作品のように、社会的理不尽に対し情緒に訴えるものではなく、あくまでもクールでドライ な知能ゲームを通じて、社会問題が浮き彫りにされる。日本のハードボイルドの草分けと言われたこの作者にふさわしい作品だ。 

朝ドラ「ひよっこ」に戻るが、行方不明のお父ちゃんの運命はネットでも全く公開されていないようだ。最近はネットやNHK情報誌で「予習」しながら朝ドラを見る面々も少なくないので、父親が間もなく失踪してしまうことは番組が始まる前から一部には知られていたようだが(「朝イチ」でも柳沢さんがうっかり口走って、イノッチと有働アナにボコられていたけど(^○^))、失踪の原因や、家族との再会シーンなどはどういう展開になるのか、全く不明である。

朝ドラでは、お父さんや叔父さんが失踪するのは珍しい展開ではないが、今回の父親はそういうキャラではないので、何か突然の事件にでも巻き込まれたのか…キャラ的には、往年の名作「澪つくし」の「遭難⇒記憶喪失」みたいなのが合っていると思われるが、東京のど真ん中で目撃者も誰もおらず記憶喪失っていうのも納得しがたい成行きだ。ここは脚本家のアイデアと出演者たちの好演に期待しつつ、お父ちゃんの行方はいったん置いて当面のヒロインの新社会人生活を応援したい。

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『オリンピックの身代金』

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