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会社のお盆休みが前倒しになったので、この一週間はのんびりと早朝ウォーキングの後に昼寝で過ごし、夜は少しでもブログ更新!という心つもりでいたが、昼寝までは実行できたもののブログはさっぱり・・・
しかしこの夏の最高気温を記録したと思ったら急に涼しくなって、怠け心を暑さのせいにすることも出来なくなり、これを機会にずっと自分の中で懸案事項だった「明治編かわせみの急展開」について考えてみることにした。

懸案事項とは、ご本家かわせみ掲示板でも4月に話題になっていた、あの思いがけないカップル(?)の成り行きである。ネタバレは基本的に文庫が出てから・・・というのが、かわせみ掲示板の不文律だったように思うけれど、このブログなら訪れる人も殆どいないし大丈夫だろう(^^;

明治編衝撃の展開といえば、もちろん第一作の、東吾さんの行方不明・宗太郎先生と花世を除く麻生家の全滅・源さんの殉職という悲劇の大連打が起こした読者の阿鼻叫喚。これは私も大ショックではあったが、作者が考え抜いた上であえて行った大鉈振いという事は理解できた。

その後、麻生家と源さんの仇は、麻太郎・源太郎そして何とお千絵さんまで奮闘して見事に討つことが出来たし、後は東吾さん問題の決着が何とかハッピーな形でつけばよいがと、少し読者も安心したところで、『青い服の女』巻末作品『安見家の三姉妹』において、正吉とお晴という、たぶん99パーセントの読者がノーチェックだったと思われる二人のこの成り行き。
とくに正吉は江戸編の初期に幼児として登場して以来、読者にとっては愛されキャラの一人であり続けた人物で、このショックのため、この話の本来のテーマである「安見家の三姉妹」がどうなったのかは、すっかり頭から飛んでしまった・・・というのは私だけではないだろう。

驚かされるのは、事の展開だけでなく、お晴の口にする台詞である。

「御存知だと思いますけれど、あそこは大昔から金沢八景の名所の一つで一年中、見物客が押しかけて旅籠の数も多いし、料理茶屋も有名な店が並んでいます。ですから働き手はいくらあってもいいし、お給金も東京よりずっと沢山頂けるんです」

「とんでもない。あちらは御立派なお袋様を背負っているんですから、とても重くて六浦まで来られる筈はありませんよ」

お晴ちゃんってこんな事を言う子だったかしら・・・

いかにも、かわせみが安月給と言わんばかりの言い方だが、お晴の言う観光名所の旅籠の女中の高収入というのは、かわせみのような純粋な宿屋女中とは違う、まぁ「その手の仕事」であることは容易に想像がつくし、自分でもそれをよくわかった上で言っているようだ。
「お袋様」というのは方月館にいるおとせさんの事である訳だが、お晴とおとせが顔を合わせるシーンというのは記憶にない。しかし、お晴のこっちの台詞のほうは、なんとなく理解できる気もする。

とりあえず、登場人物の立場・作者の立場という二つの視点から、考察いや妄想を進めてみた。

◆お晴になったつもりで考えてみる

お晴の初登場は『稲荷橋の飴屋』で、金沢八景の料理茶屋の女将をしている、お吉の姪おすぎの世話で新参女中としてかわせみにお目見得。六浦の漁師の娘だが、幼い時に両親を亡くし天涯孤独の身の上、「雨がどんなに続いても晴れる日は必ず来る」とつけてもらった「晴」という名前にふさわしい、努力家で辛抱強い性格、観察眼もなかなか鋭い賢い娘として描かれていた。
その後、それほど目立った活躍はなかったようだが、女中奉公に慣れるまで何かと大騒ぎだったお石に比べれば、かなりスムーズにかわせみに溶け込んでいったようで、明治編ではすっかりベテランになり、お吉の跡継ぎ的な立場になっていることに、読者は何ら違和感を感じなかったはずである。

しかし、最新刊の展開を知ってから改めて、明治編最初の『築地居留地の事件』を読み直すと、麻太郎が英国から帰ってかわせみに顔を出すシーンで、千春にるい、嘉助にお吉の出迎えがそれぞれのキャラ全開で描かれるのと同時に、正吉が千春に「嘉助さんの跡継ぎ」と紹介されているのに対し、お晴の名はこの重要シーンに記されていないことに気がつく。「続いて女中たちや板前までが出迎えに出て来た」とある中にたぶん居たのであろうというだけだ。
そして驚いたことには、『新・御宿かわせみ』まるまる一冊の中に、ほとんどお晴の名が見られないのである。私の読み逃しかもしれないが、最終話の麻太郎・源太郎の仇討譚『天が泣く』でも正吉はかなりの出番があるのに、お晴は全然出て来ない。この「注目されていないお晴」の立場というのは、作者のうっかりか、実は意図的な伏線だったのか?

お晴が明治編で明確に登場するのは、二冊目の『華族夫人の忘れもの』の冒頭で、いきなり「女中頭代理のお晴」が茶を運んでくるシーンだが、読者としてはこれで、前の明治編初巻でも「女中頭代理に出世したお晴」が何度か登場していたような錯覚を起こしてしまうのだ。この『華族夫人・・・』では乱闘シーンなどにも参加しているお晴であるが、その後『花世の立春』『蘭陵王の恋』と進む中も存在感は希薄であり、たまに女中としての仕事をしている様子がちょっと出てくるのみである。
まぁ、明治編になってから、かわせみ自体の登場が少なくなっており、麻太郎のいる築地居留地の診療所や源太郎・花世の新居など、江戸編には無かった新しい舞台が増えているので仕方のない面もあるのだが。

こうした中で、お晴自身はいったいどんな気持ちで日々暮らしていたのだろうか・・・と考えてみると、案外、今回の「衝撃の展開」はそれほど衝撃的でもないのかもしれない、と思えてくるのだ。

第一に、「かわせみの女中頭代理」という立場は、本当にお晴が望んでいるものだったのか。
正吉のほうは、かわせみに就職した時点で、嘉助の跡継ぎになることは想定内であっただろう。千春が一人娘であることを考えれば、さらに嘉助以上の、かわせみの実質的CEOとしての将来性も含んでいたと思われるし、それにふさわしい文武の鍛錬も東吾たちから受けていたようだ。実父は医者、継父も、早くに縁が切れたものの大商人であり、背景に不足はない。人柄からいっても、かわせみとの付合いの長さからいっても、千春が他家に嫁いでしまっても乗っ取りなどは露ほども考えず誠実に、かつ経営者としては果断に、かわせみを預かり管理していくことが期待できる、これ以上の人材はないと言えよう。
こうして成長していく正吉に対して、お晴が淡い恋心を抱いたとしても全く不思議はない。しかし、お晴にとって恋とは、るいの東吾に対するような、命かけてもという類のものではなかったと思う。

先に述べたように、お晴は少女時代から観察力に優れており、冷静・客観的に物事を見るタイプだった(たぶんこの観察力で、正吉のマザコン傾向も察していたとすると、「お袋様」云々の台詞も納得いく)。悪く言えば計算高い・打算で動きやすいともいえる。
「幼い時から、天涯孤独で人を頼らず生きてきて、その場限りの方便で嘘をつくのが生きる智恵のようになっていた」と評されているのもしかりである。
ちなみにこの言葉は麻太郎のもので、仮にもかわせみの一員であるお晴について、こんなに突き放した見方を彼がしていたんだというのも、軽いショックではあるが。

ところで、これまでのかわせみの女中たちは皆、かわせみに嫁入り仕度のサポートを受けて、適当な嫁入り先に片付いていた。お晴としてもそれを望んでいたのではなかろうか。
正吉に淡い恋心を抱いたとしても、かわせみの人々や正吉のお袋様が想定している正吉の嫁の範疇には、自分は入っていないことは敏感に察していただろうし、実際に正吉の妻となって一緒にかわせみを切り回していくというのも、よく考えてみれば荷が重いと思っただろう。

自分の前任者のお石の幸福な(&ちょっと笑える)結婚のいきさつも、お晴は詳しく聞いていたに違いないし、そんなに御立派な男でなくてもいいから、どこかの職人か商人と縁を結んでもらって、子供も作り、安定した家庭を築きたい、と考えていたのではないか。良家に嫁ぐよりは、自分と同様に親を早く亡くして苦労した働き者の男と水入らずで暮らしたかったかもしれない。しかし、お晴は自分から周囲に心を開こうとするタイプではないし、そういう事をハッキリ口に出来る機会もなかったのだろう。
 

嫁入り先も世話してもらえず、ずるずると古参になってしまい、女中頭代理とか言われているけれど、このまま自分はずっとここで働き続けるしかないのだろうか、お吉さんがもっと年取ってボケてきたら、責任持って世話しなければならないのは自分だが、自分が老いた時は・・・?そんな考えもお晴の頭をよぎっていたことだろう。
「女中頭代理」というのも、悪く解釈すれば、維新のごたごたと次第に老いゆくお吉の都合で、なんとなく諸々がお晴の肩にかかってきているだけともとれる。

嘉助のほうは割に計画的に正吉へ引継ぎ・指導していると思われるが、お吉のキャラだと、決して悪気は無いのだが、その時の気分で「もう女中頭代理なんだから、あれこれ言わなくても自分で判断してほしい」と言ったり、「まだまだ私が指示しないとやっていけない」としゃしゃり出てきたり、当節ブラック企業の「肩書だけ店長」ほどではないにしても、お晴の労働量と裁量権とが結構アンバランスだった可能性も少なくはない。
本来ならおるいさんがその辺きっちり修正するはずだが、おるいさんも東吾行方不明のショックや、千春の結婚騒ぎなどでスルーしてしまっていたかもしれない。

◆実は張られていた作者の伏線?

この展開に限らず、明治編の物語全体で考えてみても、江戸編の明るさとは対照的な、独特の陰というか淀む澱のようなものがあることに気づく。
源太郎母子の不協和音。あの強気な花世が「固くなりかけたぼた餅を食べながら、ほろほろと」涙を流さねばならなかった、源太郎との新生活の出発の日のほろ苦さ。幸せな結婚をしたはずなのに何故か影の薄い千春夫婦(同じ東京に住んでいるはずなのにほとんど里帰りもしていない?)

「お袋様」の件は江戸編からの伏線といえる。美しくいつまでも若く、その上家事万端そつなくこなしてしまう姑という存在が、ロクな事にならないというのは、『時雨降る夜』を始め初期作品からたびたび描かれてきたことだった。

そして今思えば、『文三の恋人』で、小源やお石に続いて幸せなかわせみ準レギュラーになるかと思われた元水売りの文三が、意外にも庭師の修業を捨てて年上の恋人と駆け落ちしてしまったのも意味深だ。

「文三さんはなんといっているのですか。あちらの気持は・・・」(るい)
「知りません。聞いたこともありません」(お幸)

「あんな女じゃ文三さんと不釣合ですよ」「女のほうが文三さんにのぼせ上ったんですよ。文三さんは優しいから・・・」(お吉)

「文三のほうは女房にしようと思ってお幸って女とつき合っていたわけじゃねえのかも・・・」(東吾)

文三を正吉に置き換えても、そのまま成り立つような展開になっている。

しかし救いは、『文三の恋人』が決してバッドエンドではなかったことだ。「生きてさえいれば、人はそれなりの幸せを摑むことが出来る」
正吉とお晴は、文三たちのように二人で去るのではなく、別々の道をたどる事になったが、いつかそれぞれに、それなりの幸せを摑んだ姿が、再び登場することを心から願う。

明治編の回を重ねるごとに、Amazon のカスタマーレビューも辛口評が多くなっている。
『お伊勢まいり』では星五つを探すと皆「古本だが状態が良かった」という意味の星五つばかりなのが悲しい。最新刊の『青い服の女』は読むのも辛い評ばかりだが、それでもわざわざ時間を割いてカスタマーレビューを書く人が多いのは、長年のかわせみファン健在ということであろう。

 

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かわせみ明治編の新展開

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本当に、正吉&お晴ちゃんのお話は、びっくりでした。
どうして、なぜ、と、自分なりに考えてみたりしましたが…
「お晴になったつもりで考えてみる」を拝見して、なるほどなぁ~言われてみれば確かにそうかもなぁ~と、納得でした。
たまこさまが仰るように「いつかそれぞれに、それなりの幸せを摑んだ姿が、再び登場すること」を楽しみに待つ事にします。

麦わらぼうし  2017/08/13 (Sun.) 21:15 edit

麦さま早速のコメント有難うございます。
長年のかわせみファン・平岩先生ファンには、不快なブログになってしまったかなぁとちょっと心配でもあったのですが、単刀直入に思ったことを記してみました。でも本当は「いやいや、そう思わせておいて、本当は~~~の狙いがあったのでは?」という、目からウロコな別の解釈を求めている自分がいます。
いずれにしても、平岩先生もまだまだお元気で新聞のエッセイなどにご登場ですので、かわせみの続きを早く書いていただきたいなぁと思いますよね。

ところで、以前に麦さまから、今川氏真が長寿を全うして今川家も続いていたことを教えていただきましたが、先日「ヒストリア」でそのことをやっていましたね。そして何と、東京都杉並区に氏真の墓所もあるというのを初めて知り、この間訪れてまいりました。これも早くUPしたいと思っていますが・・・墓は京都あたりにあると思っていましたので、こんなに近くにあったとは驚きです。氏真も先ほど炎の中を逃走してましたが、北条を頼って行く所だったんでしょうか。松也さんの氏真すごくリアルでいいですよね、ドラマの最後までずっと登場してほしいです。

ストファ管理人  2017/08/13 (Sun.) 21:46 edit

たまこ様のお晴目線の考察をじっくりと拝読しました。自分も
正吉&お晴さんの展開には、明治編に入って、二度目の驚きでした。
勿論、明治編初回のあの天変地異にも似た展開に比べれば、二人のことは
時代が変わって行くうちは、人の考え方も変わっていくのが当たり前ですが・・
あのお話では、二人のキャラクターが余りに変わってしまい、ことに
正吉さんは、幼い頃からずっと知っているつもりだっただけに失望感が
ありました。これで、大河小説の『御宿かわせみ』が本編完結だとは
とうてい思いたくありません。
平岩先生は、以前のどこかのインタビューで、『御宿かわせみ』への
思いを述べておられる中で、お話への大団円への構想があるような記事を
読んだような記憶があるのですが(自分の希望的妄想なのかも・・)
大団円な終わり方とは?筆者には筆者のそれがあり、読者には読者の
それがあるのでしょう・・平岩先生が考えておられる大団円は、果たして
どのような展開なのでしょうね・・先生の健筆で是非とも読者に読む機会を与えていただきたいと、切に願っています。
自分的な感想は・・平岩先生なりのお話の大団円へ向かっての一種の
断捨離なのかなぁと、考えています。おるいさんがかわせみを自分の一代で終わりと決心する為の・・・正吉さんとお晴さんが夫婦になって、
嘉吉さん、お吉さん、そして、るいさん亡き後に「かわせみ」を続けて
いくのよりも潔い終わり方になるかもしれません。
千春さんは、嫁ぎ先からして、お宿を片手間に営業できる環境ではないし、なんて・・東吾さんが行方不明のままなのか、今の朝ドラのお父ちゃんみたいに、記憶喪失でどこかに生きているのか、妄想は各自に色々
あることでしょうね・・ああ、本編再開が待たれます。

すみれ  2017/08/14 (Mon.) 13:08 edit

すみれ様いつも有難うございます。
「大団円へ向かっての一種の断捨離」ってすごく鋭いですね!!
江戸編における、大団円ならぬ小団円(?)としては、るい・東吾の祝言や、千春ちゃんの誕生、お石と小源(&その仲人)などがありました。これらは、物語の進行と読者の思いがぴったり合っていた状態だと思いますが、どうもよくよく考えてみると、平岩先生には江戸っ子気質というか反骨精神というか、「そうそうは読者の思い通りにはしてやらないよ!」っていう気持ちもおありだったんじゃないかと思います。それが明治編になって表に出てきたというか。
麻太郎と千春が兄妹ということがわかってから、「ならば、麻太郎&花世、源太郎&千春という組み合わせにすれば問題ないんじゃ?」という声が出たことがありましたよね(私も、ご本家掲示板で、この組み合わせだったら麻生源右衛門さんも喜ぶだろうし、お千絵さんも内心嫁としては花世ちゃんより千春ちゃんのほうがいいんでは、等と書き込みした覚えがあります(^^;)、しかし、その後どこでだったか忘れましたが、平岩先生が「いろいろ憶測を呼んでいるが、狭い範囲内でカップルをいくつも作るつもりはない」というような事を書かれていました。そして源太郎は花世と初恋成就結婚、千春は新規の登場人物が出てきたと思ったらあっという間のゴールインということになりました。
作者の考えている「大団円」というのがどういうものか、ここに至って読者にはかなりわからなくなってしまっていますが、それこそ作者の思うツボ、ムッフッフとほくそ笑んでおられるのかもしれませんね。
それにしても、姑世代の私としてはおとせさんの反応が気になるんですがね~~(すみれさんもそうでしょ?)

ストファ管理人  2017/08/15 (Tue.) 06:32 edit

たまこ様、こちらこそお世話になっております。
平岩先生の江戸っ子気質、読者の思いとおりの展開への反骨精神、
なるほど・・さすがの読みに脱帽です。そうですね・・あれほどの
作者が読者好みの安易なお話の展開を良しとして満足されることが、
無い・・変な言い回しですが、自分は納得できました。ありがとう
ございます。
麻太郎さんの誕生と成長の過程からして、読者をハラハラドキドキさせて下さったのですから、大団円へ向かっての新展開を待つことにします。

姑同世代として、おとせさんの目線ですか・・お晴さんと本当の夫婦に
なるのでもなく、孫とも多分会えない距離?・・仕事も辞めて、ほぼバツイチの中年息子が帰ってきたっていう展開ですよね・・しばらくは落ち込んでから、まぁいいか!やり直しだ!って、正吉さんのお尻を叩いているのではないでしょうかね。色んな修羅場を経験した人は強いはずですからね・・そのうちに、自分が見立てた近所の娘を嫁にして、びしびし鍛えて強い姑さんになっているのかもしれませんね(爆)

さて、日曜の大河もいよいよ、今川家が退き、あの政次さんも・・の
山場となりましたね・・13日の徳川との書状のやり取りがあって、
自分的にかなり注目して直虎さんの書き込み場面に見入ってしまいました
・・昔の字(行書?草書?)楷書でも上手く読み取りできない現代人って一体日本人で良いのかしらね(汗)
今川氏真さん、松也さんの公家風のキャらクターがぴったりで、好演でしたね・・来週はブレイク中の一生さんの最後の熱演を堪能します。

すみれ  2017/08/15 (Tue.) 09:29 edit

すみれ様、おとせさん論ありがとうございました。すごく納得でした! まさに「母は強し」ですね。長らく、おるいさんの「心のライバル」だったおとせさんですが、今は、寡夫になった宗太郎先生が方月館で暮らしていて、これもちょっと気の揉めるところですね(笑)

井伊直虎の史料って殆ど残っておらず、謎の存在だったようで、その中で唯一?残っているのが、関口氏経と一緒にサインしている徳政令発行書なんだそうです。先日、両国の江戸博でも目玉の展示になっていましたが、徳川との書状はフィクションだと思いますが、そのサインは徳政令のサインをそのまま使っていたようでしたね。
すみれ様のおっしゃる通り、せっかく展示などされていても、戦国時代、江戸時代どころか、明治時代あたりでも読めないのは情けないです。今の子供たちなどそのうち、ペンで書いてあっても手書きの文字はすべて読めなくなってしまうのかも・・・
大河ドラマは視聴率は低いらしいですが、ツイッター等では真田丸と同様、盛り上がっていますね。それにしても、次回のサブタイ「嫌われ政次の一生」って、もしかしてこのサブタイが先にあってキャスティングしたのではと脱力しました。もちろん高橋一生さんの「嫌われ」名演技は拍手喝采ですが♪

ストファ管理人  2017/08/16 (Wed.) 14:20 edit