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◆この前の「世田谷七沢」の話から大分たっちゃったけど、今日はその続きで「世田谷八八幡」を巡ってお散歩します!

◇お正月、七福神巡りもいいけど、八幡様もいいよね。

おたま:八幡様といえば、富岡八幡は災難だったよねえ。長助親分はじめ、深川の皆さんもさぞ歎いていなさるだろうに。

◇でもツイッター見てたら「鎌倉の鶴岡八幡宮も、実朝が暗殺されるという大事件があったんだから大丈夫!」って誰かが投稿してた。

◆そうだよね、人生なにごとも前向きに行かなくちゃね~

◇ところで、八八幡って、江戸全体にもあるんでしょ。

おたま:そうそう、江戸の八八幡(ややはた)詣でっていうのが本家本元だよ。『六阿弥陀道しるべ』(御宿かわせみ14『神隠し』)で長助親分が説明してくれてる。
「まずは八八幡詣でと申しまして、深川の富岡八幡、市ヶ谷の八幡、高田村の穴八幡、ちょいと遠くになりますが青梅街道の妙法寺の先の大宮八幡、ここはなんでも八幡太郎義家のゆかりの社なんだそうで、それから、ずっと戻って来て千駄谷八幡、青山を抜けて行きまして渋谷八幡、渋谷川を行きまして大木戸の先の田町が稗田八幡、それから赤羽橋を渡って来て西の窪八幡、つまり八軒の・・・」

◇あれ? 平岩先生のご実家、代々木八幡は入ってないの?

全員:・・・・・・

おたま:ま、まぁ何だね、代々木八幡は鎌倉時代の創建でわりと新しいから、場所的にかぶる千駄谷の八幡(鳩森八幡)や渋谷の八幡(金王八幡)に比べると新参者ってことで、奥ゆかしくご遠慮申し上げたんじゃないかねぇ。なんせお宮さんって、いつ創建されたかわかんないくらい古い所もたくさんあるからねぇ。とにかく長助親分の説明の続きを読むよ!
「つまり八軒の八幡詣でをするってえと御利益があるんだそうですが、なんてったって十五里も歩き廻るんで、一日でお詣りしようとなると、なかなかえらいことになります」

◆げっ、十五里!60キロを一日で?!

おたま:世田谷八八幡はそれに比べりゃ世田谷区内だけだし、それも今回は2回に分けて行くんだからずっと楽だよね。今日は西側の三つを巡りま~す。出発は京王線の下高井戸駅から。

◇駅前の通りをいくと小学校が・・・あ、ここがこの前話題に出た松沢小学校か。松原の松と北沢の沢で松沢、住所は赤堤だったよね。

おたま:小学校の前は五差路になっていて、前方右手にあるのが鯛焼きで有名な居酒屋「たつみ屋」さん。今日は正月でまだ店やってないね~残念。松沢小のPTAの打上げも、この先の日大の学生さんたちのコンパも、みんなここ!

◆日大文理学部・日大桜丘高校・区立緑丘中学校と、学校の並ぶ間を抜けて右折すると、まず最初が「勝利八幡」だね。

◇八幡様は応神天皇とその母神功皇后をお祀りして、戦の勝利をお願いする神様だけど、名前も「勝利八幡」っていうのは珍しいね。



おたま:万寿三年(1026年)に京の石清水八幡宮から勧請、もともとこの地にあった山谷稲荷の御神体と合祀して上北沢村の鎮守となってきた神社なんだね。天明八年(1788年)に再建された旧社殿は世田谷区の有形文化財になってるんだって。「勝利八幡」の名前から、スポーツ関係者の参拝が多いことでも知られているよ。

◇そういや隣は日大陸上部の寮だね。入口に「闘志なき者は退去すべし」って看板がかかってる。

◆う~ん気合入ってるな~。

◇勝利八幡の前を西へ進んで荒玉水道道路と赤堤通りを越えると、次の八幡宮が。

◆これは何八幡?

おたま:ここはね~ただの八幡(笑)っていうか「八幡山の八幡」。最寄りの京王線の駅の名が「八幡山」で、鳥居の扁額も「八幡社」「八幡宮」だけなんだよね。


 
◇○○八幡と言わなくても、八幡様といえば地元の人たちにはわかったって事よね。「ザ・八幡」っていうことか~

おたま:創建は鎌倉時代とも室町時代とも言われていて詳細は不明なんだけど、この八幡が出来て以来現在までこの地が八幡山と呼ばれているんだね。その前の中世時代は「鍛冶山」と呼ばれていて、鍛冶屋が使う炭をまかなう森だったとも言われてる。徳川幕府が出来ると井伊領になって、井伊家の御用林になったそうだよ。

◇「木材」は、大河ドラマの直虎でも、井伊家の重要なアイテムだったよね!

◆八幡山っていうのは、昔はこの辺って山だったの? あんまり高低差とか坂道も無いようだけど・・・

おたま:「山」って、平地でも樹木がこんもり茂ったところを言うこともあったみたいだよ。このあたりは、ずっと杉と雑木の林だったらしいけど、まぁ人里離れた所だったんだろうねぇ。『新編武蔵風土記稿』にも「山林の内」に鎮座していたとあるそうだから。でもここの山車は世田谷区内で一番立派なんだって。

◇あ、八幡山遺跡の立派な石碑が・・・。

おたま:ここから縄文時代の土器などが発掘されているんだよ。また、江戸時代のものと思われる炭焼窯も発掘されている。

◆明大八幡山グランドと日大学生寮の前を過ぎると環八だね。あっ、千歳台交差点の歩道橋に「七沢」の話題で出た「廻沢」の名が!

おたま:この交差点を渡れば芦花公園だけど、ちょっと戻って烏山川の流れをたどりながら、もう一つ北側の交差点で渡ろう。数年前まではまだ水路があったんだけど、今は緑道になっているよ。

◆このうねうね加減がいい感じ!

◇交差点を渡れば粕谷八幡が!本日のゴールだぁ~~

おたま:粕谷八幡のある蘆花恒春園、通称芦花公園は、徳富蘆花の旧宅と墓所で有名だね。蘆花は明治40年に粕谷村に移転、夫人と共に晴耕雨読の生活を送った。当時の粕谷村は、家が二十数戸しかない寒村だったけれど、蘆花はこの地に深い愛着を持ち「世界を一周してみて、日本程好い処はありません。日本では粕谷程好い処はありません。」と書いているんだって。

◆そんなふうに言われたら地元の人は嬉しかっただろうね!



おたま:著書『みみずのたはごと』には、村の人々の生活や村祭りの様子などが詳しく書かれている。「徳富蘆花粕谷村入り百年記念碑」の裏側に当時の粕谷村の地図が描かれているね。

◇わ~ほんとに数えるほどしか家がない!

◆鳥居のそばに「別れの杉」の説明があるね。今は枯れてしまっているけど、蘆花が、訪ねてくる人が帰っていくのをこの杉の木の下で見送ったんだって。

◇この、切株が金属の笠をかぶっているみたいなのがそう?

おたま:うん、二代目の若い杉が植えられたけれど、古い切株も大切に保存しているんだね。蘆花の客だけでなく、その後の戦争で出征する村の若者たちを、村人が見送ったのもこの杉の木のところだったそうで、地元の人々には深い思い入れのあるものなんだろうね。
さっ、この次は残りの五つ、一気に行くからね!

参考:区制50周年記念 世田谷、町村のおいたち(世田谷区区長室広報課)
   せたがや社寺と史跡(世田谷区教育委員会)
   世田谷区史跡散歩(学生社)

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世田谷八八幡めぐり(前篇)

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たまこ姐さん、八幡さまのレポート、いつもながら、
詳しくて読み応えあります。青空の八幡さまの写真が眩しい・・
当地にも、ついに大雪が降りましたよ・・一晩で50cm・・ここ
十年間でも一度に降った量では久々の大雪です(汗汗)
どうしても行かねばならぬ所があり、車は使えず、頑張って歩いて
行ってきました。いつもの散歩より少し多めの距離ですが、雪道の歩き
難さを久々に味わいました。
車道は融雪水でバシャバシャ水がかかるし、歩道は圧雪の凸凹・・
ここら辺の皆が、雪除けで、明日は筋肉痛、決定です(爆)
麦さまの所は、もっと多い雪なのかな?
雪には、慣れているつもりでしたが、結構まいりました(汗)

すみれ  2018/01/12 (Fri.) 15:07 edit

すみれ様、いつもコメントありがとうございます。
50cmの雪ですか~~~身長の約三分の一?! そんな中を歩いて往復されたとは、さぞ大変だったことでしょう。
各地の吹雪や積雪との闘いの様子をテレビで見るたび、青空に恵まれている関東の冬の有難さ、風が冷たいなどと文句を言っては罰があたると反省します。
麦さまの所はどうでしょうか、確か以前、新潟も広いので豪雪地帯ばかりではないとおっしゃっていたような記憶もありますが・・・
明日はいよいよ、世田谷一周ウォークの最終回で、八八幡の残りのUPが遅れてしまいましてすみません。いつも読んで下さって感謝しております。
今夜はゆっくりお休みになって疲れが取れますように!

ストファ管理人  2018/01/12 (Fri.) 20:11 edit

すみれさま、たまこさま、気にかけていただいてありがとうございます。
そうなんです、新潟は広いので云々…と確かに以前書いた事がありますが、今回ばかりは、豪雪で有名な魚沼地域などはたいした事がなくて、県内では新潟市が一番降りました。昨日、今日で70~80㎝ぐらいでしょうか。この辺でそんなに降る事はめったにないから、除雪が追い付かなくて、道路は大渋滞、バス通学の二男は、普段一時間弱のところ、三時間(!)かかったそうです。
本当に、青空の写真が眩しいです。

麦わらぼうし  2018/01/12 (Fri.) 22:08 edit

麦さま早速ありがとうございます。50cmをさらに越え、70~80cmですか~~息子さんも大変でしたね。
毎年この季節になると、どうしてこの、一番雪で大変な時期が受験シーズンなんだろうと疑問を感じます。11月くらいに決着がつくようにして、結果はどうあれ落ち着いてお正月を迎えることが出来、ヒマになった都会の若者たちを雪国に運んで、雪かきを手伝わせるとか、できないもんでしょうかね~~

ストファ管理人  2018/01/13 (Sat.) 08:22 edit