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ついこの前3月の青翔会を見た気がするのに、もう3か月もたってしまった。
というか、昨年の東海道歩きで、「杜若」の舞台、三河八橋の知立の杜若を目の当たりにしてからもう一年とは!

 

舞囃子「清経」【喜多】 佐藤寛泰

 
「世の中の憂さには神もなきものを何祈るらん心づくしに」
「さて修羅道に遠近の・・・げにも心は清経が仏果を得しこそありがたけれ」


舞囃子「野守」【宝生】 武田伊佐
 
両手に扇を持っての舞だが、テキストを見ると開いた方の扇は鬼神の持つ鏡らしい。
「ありがたや天地を動かし鬼神を感せしめ、土砂山河草木も一仏成道の法味に引かれて鬼神に横道曇りなく、野守の鏡は現はれたり」


女性のシテ。宝生流の武田家・・・友志・文志ご兄弟と子方章志くんの観世流の武田家とは全然
別なのか、親戚筋なのか? 検索してみたがよくわからない。青翔会のプログラムが前よりも薄くなり(サイズは一回り大きくなったのだが)前ほど出演者情報が詳しく記載されてないのが残念だ。囃子方にも女性メンバー(小鼓の大村華由さん)。

舞囃子「鵜飼」【金春】 政木哲司
 
「法華の御法の済け舟 篝火も浮かぶ気色かな 迷ひの多き浮き雲も 実相の嵐荒く吹いて 千里が外も雲晴れて 真如の月や出でぬらん」

シテと囃子方は男性だが、地謡がすべて女性であったことに後でチラシを見て初めて気づいた。最近は地謡に女性が混じっていることじたいは全然めずらしくないが、全員というのはあまりないのでは?でもかなり囃子が賑やかな部分ということもあり、声のトーンが高いとか、全然気づかなかった。
 
狂言「鐘の音」【和泉】 シテ(太郎冠者):上杉啓太  アド(主人):能村晶人
 

能「杜若」【観世】 シテ(杜若の精):角幸二郎   ワキ(旅僧):矢野昌平

知立・無量寿寺
 
 
 
「からごろも・・・」の歌碑と在原業平像

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国立能楽堂 青翔会6月

呉服・雲林院ともに二度目だが、あまりよく覚えていない(滝汗)。
月並能の番組にはシテの演者の弁が載っているのが嬉しい。

能「呉服」小書作物出 シテ(呉織/呉織の神霊)當山孝道 
           ツレ(綾織/綾織の神霊)佐野登    
           ワキ(当今の臣下)福王和幸 
           ワキヅレ(従者)村瀬提・村瀬慧 
           アイ(里人)高澤祐介

「演じるにあたって:脇能は謡が命。考えずに謡が出るように稽古して、よどみない華やかな呉服を舞いたいと思います」(當山孝道さん)

「呉服」は知らなければ「ごふく」と読んでしまうのが普通だが、お能の「呉服」は「くれは」である。PC入力で「くれは」と打つと「呉羽」しか出てこないが。摂津の呉服の里は現在の大阪府池田市だそうだが、呉服神社というのがあり、服飾業者がお参りに来るそうだ。
一昨年見た「呉服」は同じ宝生の五雲会だったが「作物出」ではなかったので、機織台は舞台に出なかった。角川本テキストでは小書「作物出」の説明がなく、機織台の写真が載っていたので不審に感じ「作り物が出ない。予算がないのか」と自分のメモにある(赤恥)。
綾織は漢織・穴織などと書かれることもあるようだ。
前シテ・ツレが袖無し割烹着というかワンピース型のエプロンみたいなのをつけているが、これは側次(そばつぎ)といって、これを着ていると唐人女性というお約束らしい。
 
狂言「文荷」 シテ(太郎冠者)三宅右近 (主人)三宅右矩 (次郎冠者)三宅近成

配役は番組に書いてなかったので推測である。父・長男・次男の三宅一家総出演。
破れた恋文を扇であおいで進ませるところが笑える。この恋文は女性でなく、稚児宛てのものらしい。LGBTなどというが日本の伝統ではごく普通のことだったのでは? 謡が「恋の重荷」だったことは後で調べてわかった。「恋の重荷」・「綾鼓」ともに未見なので機会があれば是非見たいと思っている。

能「雲林院」  シテ(老人/業平)金井雄資 
       ワキ(蘆屋の公光)森常好 
       ワキヅレ(従者)舘田善博・森常太郎 
       アイ(所の者)前田晃一

「演じるにあたって:あくまで品格高く瑞々しい流麗な舞が一曲の核をなす「貴公子の能」です。但し情緒一辺倒ではなく、一種貴種流離譚の香りを放てればと考えています」(金井雄資さん)

この曲は世阿弥自筆本といわれる古い形と、現行の曲とで後半が全く違うという珍しいものである。小学館テキストは現行曲で角川本はタイトルに「古形」と但し書つきで世阿弥自筆本に拠っている。古形ではなんと後シテは業平でなく、二条の后高子の兄で業平と対立する藤原基経だという。そして高子自身も登場するらしい。こっちのほうが現代劇的でリアルな感じがするのでこれが世阿弥作というのも意外だ。こちらも是非見たいものである。
伊勢物語については田辺聖子さんの解説本も集英社文庫から出ている。
同じ業平もの「杜若」と共通点がある。基本的にシテとワキのシンプルな曲だが、その割に長い。
今回の二曲、脇能と業平ものだったが、源平ものなどに比べると、やはり少しハードルが高い感じがする。

宝生月並能「呉服」「雲林院」
若手能に続いて春の青翔会。喜多・金春・宝生の各流による舞囃子も、ほとんど半能くらいのボリュームでたっぷりと見られた。


 
舞囃子「半蔀」【喜多】 塩津圭介
 
「折りてこそ、それかとも見めたそかれに ほのぼの見えし花の夕顔」
「明けぬ前にと夕顔の宿りのまた半蔀の内に入りてそのまま夢とぞなりにける」
源平ものと並んで大きな能ソースとなっている源氏物語由来のお能で、光源氏と夕顔のエピから。同じテーマの「夕顔」という作品もある。

舞囃子「玉葛」【金春】 中村昌弘
 
「恋ひわたる身はそれならで玉葛、いかなる筋を尋ね来ぬらん」
これも源氏物語からで、玉葛は先の「半蔀」のヒロイン夕顔の娘。流派によって「玉鬘」の表記になるようだ。

舞囃子「猩々」【宝生】 東川尚史
 
「月星は隈もなし、所は潯陽の酔の内の酒盛、猩々舞を舞はうよ」
「よも尽きじ万代までの竹の葉の酒、汲めども尽きず、飲めども変らぬ秋の夜の盃」
中国伝来もの。舞囃子では面・装束はないが、本曲での赤頭赤づくめの装いを想像しながら勇壮な舞を鑑賞する。

狂言「梟山伏」【和泉】 シテ(山伏):河野佑紀 
            アド(兄):野村万之丞  小アド(弟):能村晶人

 
小中学生の伝統芸能初体験としてもぴったりと思える楽しい狂言。ミイラならぬフクロウ取りがフクロウになってしまう話だが、梟に取りつかれてもあまり不幸そうに見えないという所が、案外に深いオチかも。弟が突然に「ホー!」と叫んで驚かす所から、皆で「ホー・ホー」と退場していくラストまで休みなしに笑える。
兄役の野村万之丞さんは、昨年夏に万之丞を襲名した。「梟山伏」は、彼の虎之介時代に一度見ている(うひゃ~こういう書き方が出来るようになって嬉しいわ~)その時は虎之介さんは山伏役で、実弟の拳之介くんが弟役で「ホー!」と叫んでいた。
狂言では「寿福寺の鐘はゴォォォ~ン」の「鐘の音」と、この「梟山伏」が一番好き。

能「賀茂」【観世】 シテ(里女/別雷神):青木健一
          前ツレ(里女):小早川泰輝  後ツレ(天女):武田祥照
          ワキ(室明神神職):矢野昌平
          ワキツレ(従者):村瀬提・村瀬慧
          アイ(賀茂明神末社の神):上杉啓太
 
「白羽の矢」が出てくるお能。里女と天女は、ツレの前後のようだが今回は別人が演じている。
脇能というのはだいたい退屈なのだがm(__)m、 これは華やかで楽しめる。アイも面をつけて舞う。各人の装束も素敵なのに、「演目別にみる能装束」のⅠにもⅡにも「賀茂」は出ていない。後シテ別雷神の黒い冠に白い爪?のようなものがついているのは何なのか知りたかったのに。前シテ・前ツレは女性らしいカラフルで華やかな唐織、後シテは赤頭、金やオレンジの縫のある黒の上衣(法被?)、天女はクリーム色の上衣に鶯色の袴で春らしい装い。
地謡・囃子方に女性が3人もいるのが目を引いたが、優しげな掛け声もこの曲には合っていると思えた。

国立能楽堂にはギャラリーが付設されており、面や装束を始め、いろいろな資料が展示されている。無料なので、能を見る予定がなくても、近くに来た時は寄って見学できるし、ついでに、毎月美しいデザインで作られている上演チラシもGETして楽しめる。
今回は「能絵の世界」という企画展があり、とても面白かった。
能を題材とした絵は、大名家などで絵師に描かせ、保存されていたようだが、何百年も前に描かれたものが、今も色彩鮮やかに残っており、いかに大切に保管されていたかを物語っている。絵を収納する箱なども、実に豪華な造りである。
今回は「能絵鑑」という有名な能絵シリーズの企画展で、なんとこれは先日、NHKドラマ「忠臣蔵の恋」に登場した六代将軍家宣と、その正室の周辺で描かれたシリーズだという。4バージョンのシリーズがあるそうだが、そのうち一つは行方がわからず、残り三点が、国立能楽堂、法政大学の野上能研、宇和島伊達家にそれぞれ保管されており、今回はそれらを集めて展示したものだそうで、同じ作品の同じ場面を描いていても、それぞれ細かい違いの見られるところなど詳しい説明と共に展示されており非常に興味深かった。

国立能楽堂 青翔会/能絵の世界
国立能楽堂には能楽師の研修所があり、研修発表会である年三回の「青翔会」と研修を修了した若手能楽師が東京・京都・大阪で行う「若手能」がある。いずれも格安のお値段で各流の能が見られる上、番組も初心者用に詳しい解説と、何より出演者全員の詳しいプロフィールが掲載されているので、親子関係・師弟関係もよくわかり、私的には、はずせないイベントとなっている。



とくに今回は「吉野静」なので、とても楽しみだった。四年ほど前の春に吉野の千本桜を見に行き、佐藤忠信の旧蹟も目にしていたので、ようやくこの作品を見る事ができてとても良かった。
 
「吉野静」【宝生】 シテ(静):和久荘太郎 ワキ(佐藤忠信):御厨誠吾 
          アイ(衆徒たち):中村修一・内藤連

 
凛太郎くんのパパ荘太郎氏のシテである。水道橋ではおなじみだが、今日は千駄ヶ谷の国立能楽堂。国立能楽堂は、いろいろな流派が見られるのがよい。(といってもこちとら初心者には、ほとんど流派による違いとかわからないのだけれども)

「須磨源氏」【観世】 シテ(樵の老翁/光源氏):松山隆之 
           ワキ(日向の神官藤原興範):村瀬慧 アイ(里人):竹山悠樹

 
光源氏ゆかりの若木桜のある須磨寺は、清盛ブログの神戸ツアーで訪れた熊谷直実敦盛一騎打ち像のあるところ。
一昨年2月の華曄会の時、大雪で後半のみになってしまったものが全曲見られた。光源氏ものだが、女性は登場せず光源氏が一人注目を集める作品で切能にカテゴライズされるそうだ。現在ものでもないので、四番目にはならないのだろう。
 
狂言「文蔵」【和泉】 シテ(主人):高野和憲 アド(太郎冠者):内藤連

内藤連さんは、吉野静の衆徒についでの大活躍。
この狂言では、シテは主のほうで、太郎冠者が助演。シテの源平盛衰記「石橋山合戦」の一人語りが眼目だそうだが、狂言の方々は、お能の間狂言でも、長々と一人で語るのが普通だから、これくらい何でもなさそうに見える。
タイトルの「文蔵」は、頼朝の家臣で石橋山合戦で討死をとげた真田与市(真田!?地元では佐奈田と表記されているようだが)の守役の名前だが、太郎冠者が禅寺で供される「温蔵粥」と間違えていたというオチ。
第26回東京若手能
七拾七年会とは、1977年生まれ6人の各分野の能楽師・狂言師が「全く初めて能を見る人でも楽しめる能を企画しさらなる愛好者を増やす」をコンセプトに平成20年に旗揚げした会で、私には初めての会だが、今回がちょうど十回目になるという。
 
メンバーがちょうど30歳を迎えた時に若手の会として始まったが、これからは若手から中堅へとなっていく節目という事で、今回はメンバー中囃子方の3人(観世流太鼓方:小寺真佐人、幸流小鼓方:住駒充彦、葛野流大鼓方:原岡一之)それぞれの一調から始まる「より緊張感の高い」公演としたそうである。

素謡・仕舞・舞囃子・一調など、いろいろなパターンがあるのは知っていたが、一調は「わりとシンプルなやつ」くらいの認識しかなかった初心者(恥)であるが、一調とは「囃子一人、謡一人の真剣勝負」なのだそうだ(へ~え、だから緊張感なのか)。そして「通常の謡を囃す囃子と違い、一調では囃子が主役で謡は囃子を盛り上げる役割」なのだそうだ(へ~え~え)。
このように初心者向けの詳しい解説もあるのが有難い七拾七会であった。

一調「屋島」  武田文志 原岡一之
 
一調「西行桜」 武田宗和 小寺真佐人 

一調「女郎花」 味方玄  住駒充彦

狂言「惣八」 山本則重(出家) 山本則孝(有徳人) 山本則秀(惣八)
 
能「海士」 シテ:武田宗典(海人/龍女) 子方:武田章志(房前大臣)
      ワキ:森常好(従者)     アイ:山本則重(浦人)
 
今回は「懐中の舞」で、玉の段・最後の早舞ともに橋掛まで来る演出、シテが長身であることもあって、スケールの大きな感じだった。
「海士」は昨年9月のユネスコ能で、宝生の上演に加えて各流がそれぞれの「玉の段」を競うというのがあって、さすがに「玉の段」だけはおなじみになったが、他の部分はまだまだボヤっと見ているだけで全然わかってない。
子方房前大臣は、ユネスコ能では和久凛太郎くん(シテが荘太郎氏の父子共演)、今回はもちろん武田章志くん、小学生というのに堂々たる舞台ぶり。
後シテの龍女の衣装は『演目別に見る能装束』だと、「紫地菊蝶舞衣・緋大口」という非常に華やかな色合いだが、今回のはサーモンピンクの上着で模様も菊蝶よりもう少しシンプルなものに見えた。袴はレモン色?同じ観世でも武田家はまた違うのね。上着の色とデザインは、ユネスコ能の宝生流の時のと同じみたいに見えたが。袴は宝生流のはもう少しオレンジがかっていたような。

1977年生まれといえば団塊ジュニア世代で、「同い年が多い世代であるという幸運を生かして」結成された会でもあるという。ライバルが多い厳しさの反面、このように協力し合い新しい流れを生み出す機会に恵まれた世代といえよう。
能楽界以外でも、歌舞伎の市川海老蔵・演歌の氷川きよし等ビッグネームが77年生まれの仲間だし、とくに早生まれ組はサッカーの中田英寿・SMAPの香取慎吾・ 作家の冲方丁・劇団ひとり・長谷川博己など多士済々である。
たぶん今年が前厄にあたる皆さんではないかと思うが、この公演が厄落としにもなったのではないだろうか。
七拾七年会 第十回記念公演 (国立能楽堂)

昨夜NHK教育テレビの古典芸能番組で、厳島観月能「羽衣」「高砂」と共に「紀州徳川家版・石橋」が放映された。
「石橋」はいわゆる"唐獅子牡丹"で、お能としては比較的新しい曲であり、歌舞伎に近い、わかりやすい華やかさのある人気作品であると、一般の解説書などには説明されている。

私は初めて「石橋」を見たのは平成26年の三月、国立能楽堂恒例の能楽研修修了発表会を兼ねた「青翔会」で、シテは浅見重好(観世流)、ワキは喜多雅人(福王流)だった。浅見氏は1960年生まれで青翔会出演者としては最ベテラン組であるが、喜多氏は三十代前半の若手である。もっともこの青翔会には平成生まれもゴロゴロ出演していて、21世紀生まれが登場するのも間もなくだろうと思われる。
この時の「石橋」は半能で、ワキの名乗りの後すぐに獅子の舞となり、樵も仙人も登場しなかったが、シテの白獅子に加えて、ツレの赤獅子(角幸二郎、1975年生まれ)、赤白の二頭の獅子が、これも紅白の牡丹にたわむれながら連れ舞う姿は豪華絢爛で、「お能にもこんな派手なのがあるんだ」と興味深かった。若手能ならではのパワフルな舞台だった。

二度目は昨年五月の五雲会@宝生能楽堂。これも若手中心の会だ(シテ内藤飛能、ツレ辰巳大二郎・宝生流、ワキ則久英志・下掛宝生流)。
こちらは半能ではなく、ワキの寂昭法師大江定基が唐の清涼山に着き、文殊の浄土へ至る石橋を渡ろうとすると、ツレの樵童が橋の危険さを述べて去るという前場が、獅子の舞の前に演じられたが、正直あんまり記憶に残っていない。
後場の獅子の舞はシテ一人だけで、青翔会の時の連れ舞いの記憶に比べると、ちょっと寂しい感じもした。演出によっては四頭も出てくるのもあるらしい。また、親子の獅子が登場し「獅子は子を谷に落とす」を表現する舞もあると聞く。

ちなみに宝生流では、樵童はツレが演じるのであるが、観世などでは樵童が前シテ、獅子が後シテになるため、樵童の中入後、間狂言の仙人が登場して、清涼山の解説とか、「これまでのあらすじ」をまとめて述べたりする。小学館の謡曲集テキストもそうなっているが、私の見た五雲会は宝生流なので、樵童と獅子は別人(シテ&ツレ)であり間狂言の部分は無かった。
今回のNHKのは喜多流(香川靖嗣:シテ・樵童/獅子、宝生欣哉:ワキ・寂昭法師、大蔵教義:アイ・仙人)だが、間狂言が演じられるので、その部分は初めて見ることになる。

「石橋」の間狂言といえば、平岩弓枝先生の直木賞受賞作『鏨師』を表題作とする短編集の中に、『狂言師』という寛永の頃の能楽師・狂言師を扱った作品があり、これが能「石橋」それもその間狂言をめぐる物語なのである。
これを読んだ当時は、まだ能楽は見たこともなく興味もなく、したがって読んでも全く訳がわからなかったのであるが、わからないにも関わらず、何故か強烈な印象を残す物語だった。一口で言ってしまえば、芸のために命を懸ける…という話であるが、鼓を打つか打たぬかで遠島だの打ち首だのって、とんでもない話だなぁ、いったい史実なんだろうか?とか、要するに鼓師と狂言師の確執なのであるから、シテがちゃっちゃと出て来ておさめればいいのにとか思ったりもした。
しかしわずかここ数年であるけれど、時々お能に触れる機会を持つようになると、まさか現代ではこの物語のような事がある訳はないが、ある意味あってもおかしくない、というような、なにか張りつめたもの、緊張感が感じられるようになっている。少なくともそうした歴史を背負っている事は確かだという雰囲気を感じる。
この正月には初めて「翁」も見ることができ、『狂言師』の冒頭に出て来る面箱とか翁・三番叟の面の話もようやく理解できた。そういえば宝生能楽堂で正月の「翁」の面箱を務められていた大蔵教義さんが、この紀州家「石橋」のアイである。

『狂言師』で敵役となる小鼓打ちの太秦小左衛門という人物であるが、平岩先生の別の短編『猩々乱』(『ちっちゃなかみさん』所収)に、宮増小左衛門という同じファーストネームを持つ、やはり硬骨の鼓打ちが出てくるので、たぶん作者の創造した架空の人物だと思われるが、内容的にはモデルとなるような事件はあったのに違いない。芸の上での命のやり取りというのは、「富士太鼓」などにも描かれているように、もっと古い時代からあるのだろうから。

で、肝心の、間狂言の出で早鼓が打たれるのかどうかという問題であるが、昨夜のテレビ画面にアイの仙人が写ったときは、小鼓も大鼓も下に置かれていて、囃子は何もなかった。もっともテレビ放映は省略される部分があるので、登場の一番最初には鼓が鳴っていたのかもしれない。
ちなみに青翔会では、半能で間狂言はなかったけれど、小鼓は女性鼓師の岡本はる奈さんだった。
若い狂言師の芸を認めつつ、いや認めるが故に、あえて死に追いやった太秦小左衛門。拝領の鼓を断ち割り「鼓師の意気地、狂言師の意気地、いづれもよき能作らんが為のもの也」という書状を残していずこともなく立ち去ったとあるが、芸のために命を散らすのは悔いない世界とはいえ、この爺さんに共感するのは難しい。今じゃ女が能舞台にも立つし鼓も打つんですよ、と言ってやったらどんな顔をするだろうと思えてしかたない。

この小説の末尾に、作者覚え書のような形で、正徳六年に紀州家で「石橋」の上演があり、その時から「番手替り」間狂言の出は早鼓ありと早鼓なしが交替で行われるようになったとある。
もともと、この「石橋」は、紀州家初代徳川頼宜のお抱え能役者の伝承による紀州家独自の演出があり、選ばれた者のみに相伝されたという。明治になって大名家が消滅したあと、その上演も絶えてしまったが、このたび和歌山市と野上記念法政大学能楽研究所が協力して、紀州家独特の演出法で復曲させた。
通常の紅白牡丹の他に、紅白混じり(赤白に加えてロゼ?)の牡丹が白牡丹の並びに置かれ、合計三本の牡丹でより華やかな舞台装置に、また大きなよだれかけのような「胸掛」を獅子が掛けて登場する。この胸掛のデザイン、首の後ろに廻す部分まで含めた総長が一尺七寸五分、正面から見える部分の長さが一尺三寸とか、ちゃんと設計図(?)も残っておりそのとおりに制作したという。
紀州頼宜といえば、「南海の龍」と言われ戦国武将の気風を忘れず、後には由比正雪の乱の黒幕と疑われたこともあった殿様。いかにも南龍公にふさわしい、華やかで豪放なお能である。

紀州徳川家の「石橋」
宝生能楽堂の月並能1月は毎年「翁」で始まるが、昨年も一昨年も正月の日曜日というといろいろ予定が入ってしまい、今年ようやく「翁」を見ることが出来た。
能楽堂もお正月仕様になっていて、お着物でいらっしゃる方もいつもより多く華やかである。
そこここで「おめでとうございます」「今年もよろしく」の声も聞かれる。



「翁」 シテ:小倉伸二郎 千歳:金野泰大 三番三:大藏基誠

「翁」は本当に特別なお能で、「能にして能にあらず」といわれ「その成立は一般の能狂言よりも古く、猿楽の本芸であった翁猿楽を現在に伝えるもので、一般の能以前の古態をとどめている」(小学館編謡曲集の解説より)。
お調が聞こえた後、演者が登場するまで随分時間がかかると思ったら、「翁」上演に際しては鏡ノ間に祭壇を設け、お供えした神酒を全出演者が頂き、切火で身を清めるのだそうである。なるほど、だから地謡も囃子方に続いてぞろぞろと橋掛を歩いてくるのだ(最初、解説を読んでなかったのでびっくりした)。お正月は地謡・囃子方も裃姿なのはおなじみだが、「翁」では何と全員が烏帽子に素袍上下である。忠臣蔵松の廊下の始まりみたいだ。
この行列の先頭でしずしずと面箱を捧げ持って来るのが「面箱持」という役で、狂言方が務める(今回は大藏教義さん)。シテと千歳は、この面箱に納められている面を舞台上で舞の前に掛け、舞が終るとはずして箱に納める。面の取り外しが舞台上で見られるというのも「翁」だけである。
また、シテが最初に深々と拝礼したり、「鈴の段」で千歳が鈴を四方の柱に向って鳴らし寿ぐのも、神事としての特別な能ということで興味深かった。

「草紙洗」 シテ:東川光夫 ワキ:森常好 子方:和久凛太郎 アイ:善竹大二郎
 
小町ものの一つで、昨年9月に女性シテで見て今回は2度目。小町ものはこれしか見たことが無く、卒塔婆小町も通小町も見てないのに、また草紙洗だけど、これ大好きである。子方ちゃんも出るし! 舞は最後だけでドラマ中心の展開、悪役の陰謀・美女の危機・機転によるどんでん返しと大団円、という、シェイクスピア喜劇のような楽しさがある。欧米人にも受けるのではないかと思う。
ワキが通常のような謹厳で控えめな傍観者と違い、太郎冠者のようなコミカル性も含む人間臭さをもって出てくる。今回の森常好さんは恰幅もよく、憎々しげな敵役にぴったり。悪役がたくらんでいる事を観客に向って堂々と喋ったり、アイが和歌を間違えて唱し笑いを誘ったり、一人語りで「せっかく一曲だけ練習していたカラオケの曲を前の人に歌われてしまった。きっと自分の練習をこっそり聞いてパクったに違いない」などと主筋をなぞるような語りをするのもシェイクスピア喜劇に共通している。
子方は和久凛太郎くんで(冠と衣装がよく似合ってすごく可愛かった。詞章もしっかり言えていた)、和久パパも歌人たちの一人で出演されていた。紀貫之が野月聡さんだったが惺太くんの子方の草紙洗も見てみたい。子方は、船弁慶などでは、静が大人なのに義経が子方というのはちょっと違和感があるが、天皇の役で出る時は全く違和感ないというか、大人が演じるよりもむしろ自然に感じてしまう。平安期は実際、幼児や少年の天皇が多かったからかもしれない。
ちなみにこの「草紙洗」は上村松園が絵を描いており、そのエッセイが青空文庫で読める。昭和12年に書かれたものであるが、大変興味深い。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000355/files/47297_33239.html

「舎利」 シテ:藤井雅之 ツレ:亀井雄二 ワキ:高井松男 アイ:善竹富太郎

「仏舎利」は仏の遺骨のことだとは知っていたが、遺歯も含まれること、またお寿司屋さんの「シャリ」の語源がこれというのはお能を見始めてこの作品の解説で初めて知った。まだまだ日本人の常識が欠けている…白米が非常に貴重だった時代を感じさせる。
足疾鬼(ソクシツキ)vs韋駄天の闘いだが、鬼も韋駄天もちょっとコミカルな感じがあって楽しんで見られる。前半の里人の静かな部分(釈迦と仏法の話が延々と続くあたり)でずっと溜めに溜めておいて、一気に後半の激しい動きへと続くが、腕白小僧が親のスマホを(?)持って逃げ「返すのやだもん」みたいに片袖で舎利を抱え込みもう片袖を頭の上にかぶって座り込むところとか可愛くて笑える。ついに捕まってお尻ペンペン(??)あーあ取り返されちゃった、しおしお…と退場。の所で早目の拍手も許される感じの、わりと敷居の高くないお能?
今回の「舎利」は3回目で、この前和泉流のアイの時は、舎利を奪って逃げ去る鬼に突き飛ばされ橋掛中を転がり回るなど動きが派手だったが、今回は鬼と韋駄天の闘いも含め割におとなしめだった。

狂言「宝の槌」 太郎冠者:善竹十郎 主人:善竹大二郎 素破:野島伸仁

太郎冠者が主人にあれこれと言いつくろう、おなじみのパターンの狂言だが、「やるまいぞ」と追いかけて退場するのでなく、和やかに終わるところが正月らしい。
宝生月並能「翁」ほか