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深大寺・神代植物園には、年2回の植物園無料の日や、いつでも無料の水生植物園などに時々行っているし、深大寺がゴールの武蔵野ウォークイベントなどもあるけれど、「だるま市」はこれまで行ったことがなかった。何でも深大寺のだるま市は、全国三大だるま市の一つだという。あとの二つは、だるま生産量が日本一の高崎だるま市と、製紙工業で出る屑紙を利用して作られる富士市の毘沙門天祭だるま市だそうだ。

深大寺は東京郊外の北部を走るJR中央線と南部を通る京王線の間に位置し、三鷹駅と調布駅から、それぞれバス便もあるが、京王線の各駅からもいろいろなルートがある。今日はお天気も好いので、一番東寄りの京王線柴崎駅から、野川沿いに歩いていくことにする。
(ちなみに、かわせみの『玉川の鵜飼』で、おるいさん達が「日野の一つ手前の柴崎の宿から玉川に沿って登って行く」とあるのが、ずっと不思議に思っていた。柴崎駅は急行も止まらない京王線でも最も地味な駅の一つで、日野からも多摩川からもかなり離れているからだ。多摩モノレールが出来て「柴崎体育館前」という駅があるのを見てようやく、日野にも柴崎という町があって、それのことなんだと気がついた。日野の柴崎と、もっと東寄りの調布の柴崎と、何か関係があるのか全くの偶然なのか、検索してもよくわからない。)
                  

柴崎駅から甲州街道に出て西へ向かって進むと、間もなく野川と交差する。右折して川沿いを歩く。数年前のNHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」では、ヒロインが自転車に乗って野川辺を走る姿がよく写っていたが、平成21世紀になっても変わらぬのんびりした風情。散歩する老夫婦や、河原に出て遊んでいる保育園児のグループ。風はやや冷たいが、すっかり春になった陽射しが河原に濃い樹の枝の影を落としている。
十数分歩いて榎橋の所で、また右折して三鷹通りを北上。中央自動車道のガードをくぐると、左手はもう、神代植物園の水生園(初夏は花菖蒲ほかの水生植物が多数、無料で見られる)とその奥の深大寺城址になり、ガードを出てすぐ直接に裏口から入れるルートがないかずっと探しているのだが見つかっていない。
三鷹通りを進み交差点の東参道の道標を左折して、おなじみの深大寺通りに入る。いつもは静かな通りだが、今日は露店がぎっしりと立ち並び、まるで違った風景で、山門の前もうっかり通り過ぎそうな感じである。

                                                                                                                    これは通常の山門
        

 
山門をくぐり境内に入ると、だるま・だるま・だるま・・・の光景。一抱えもある大きなものからカラフルなミニだるままで。

       

 
虚子の胸像と「遠山に日の当りたる枯野かな」の句碑が境内にあるが、今日は虚子もだるまの店番に駆り出された格好である。おなじみの「鬼太郎茶屋」も珍しく存在感がちょっと薄い。

           

 
深大寺のだるまの特徴は、目玉が普通の●でなく、梵字を入れること。新しく求めたダルマの左目には物事の始まりを意味する「阿」字を入れて開眼し、心願叶ったダルマの右目には物事の終わりを意味する「吽」字を入れ感謝の意を込めて納めるのだそうだ。
お坊様じきじきの筆による「目入れ」を待つ行列が長々と続く。
とてもこの行列に並んで待つ根性はないので、小さなストラップを買って記念にする。梵字は目玉でなくお腹に書かれていて、傾けると目玉が飛び出すのがご愛敬。

       

 
不信心者にはこれで用済みのだるま市だが、午後から「お練り行列」があるので、それまでの時間つぶしにまずは蕎麦店へ。このぶんでは、蕎麦屋もどこも行列かと思ったが、信心厚い皆さんは、だるま選びや目入れ行列並びのほうにいるので、店はどこもそれほど混んでいない。いつもの「青木屋」さんで盛蕎麦を頼む。深大寺のお蕎麦屋さんはどこもコシがあって美味しいお蕎麦でハズレはないので、お財布に優しい所が一番よい。店内は半分くらいの席が埋まっているが、普段からみるとこれでも混雑状態らしく、臨時アルバイトのお兄ちゃんが、箸も取らぬうちからもう蕎麦湯を持ってくる。さっさと食し、回転率向上に貢献する。

          

 
時間つぶしで深大寺門から植物園に入場。高齢者割引が有難い(^○^) 
冬枯れで見るものはないかと思ったが、辛夷の芽や、マンサク、山茱萸など、春の訪れを感じさせる木々がいろいろ。


 
梅は終わりかけているが、大木の椿や、クリスマスローズ・福寿草などの草花も楽しめる。野草園はまだほとんど花は見つからないが、小さな小さな白い花が開きかけているのを、膝をついて熱心にカメラにおさめている人もいる。

   

 
花を上手に写真で記録できればいいなぁと、お仲間のブログなどを見てもよく思う。私は下手くそでいつも紙クズみたいにしか撮れない。カメラに頼らず心の中にとどめておいて、来年また見に来ればよいとも思うのだが、ついついシャッターを押しては「携帯カメラじゃやっぱりしようがないなぁ」とガッカリの繰り返し。
 
落ち椿
     

 
深大寺に戻ると、すでにお練り行列がスタンバイしていて、カメラを構えた人々も脇に並んでいる。講中の人々が小さい食膳のようなものを捧げ持っているのは「百味献膳」の儀式によるものだそうだ。雅楽衆を先頭に正装の僧侶たち・裃姿の講中・木遣り衆が続く。

                  

 
唱えられる聲明は比叡山以外では滅多に聞くことのできない天台宗に古くから伝わるものだというが、これらはすべて帰宅してからHPで見て知ったこと。


                 

 
帰りは、三鷹通りから野川沿いに折れず、そのまままっすぐ南下して往きと逆の西回りで、布多天神に寄る。非常に古い神社で、第十一代垂仁天皇の代の創建とも言われている。もっともその当時は菅原道真よりずっと前だったわけで、15世紀になって多摩川の洪水を避けるため、現在の場所へ遷座された時に道真を祀り天神となったそうだ。という事は元々は多摩川の川辺にあったらしいが、調布という地名も、多摩川の水で「布を調え」帝に献上したことからついた名といわれる。
                                            寛永期の狛犬
       




  
また江戸時代に甲州街道が作られてからは、『玉川の鵜飼』にも書かれていたように、上石原・下石原・上布田・下布田・国領の五宿が布田(=布多)五宿と呼ばれるようになり、布多天神社は布田五宿の総鎮守として、五宿天神ともいわれ道中の無事を祈る旅人たちの信仰も得るようになった(東海道・中仙道と違い、賑わうまではいかなかったかもしれないが)
調布駅から帰宅。

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話は全然変わるが、帰宅してNHK=BSの「五辨の椿」を見たら(「雲霧」のあとそのまま録画設定になっていたので)堺雅人さんが出ていたのでビックリ。これ何年前だろう。確かリアルタイムのときも見ていて秋吉久美子の悪女ぶりに感心した覚えがあるけど、堺さんが出ていたことは全然記憶になかった。まだ主役級ではなかったけど、結構いろいろなドラマに出ていて良い味を出していたんだなぁ。今見るとなんとなく真田源次郎に見えてしまい、何かやらかしそうな期待を持ってしまう(笑) 

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深大寺だるま市

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こんにちは。だるま市のレポート、楽しく拝見しました。
いつもながらの、健脚ぶりと観察眼の丁寧さに、自分もご一緒している
気分にさせてもらいました。本当に有り難いです。(大感謝)
写真もいっぱい載せていただいていて、十分楽しめています。
カメラ・・自分もまだガラケーで、昨日は、兼六園へ梅見に行ってきました。そして、ガラケーで紅梅、白梅の写真を撮り、
たまこ様と同じことを思ったところでした(爆)・・
自分は、技術の下手さはもとより、構図の取り方もめちゃくちゃなので、
写真を撮っても、がっかりするだけなのですが、梅見見物の人々が
スマホで写真を撮っているのに、つられてしまい、下手な画を撮って
しまいました。(昨日の兼六園内はまるで、人の万国博覧会みたいで、東洋、西洋、タイのお坊さんも居て、盛況でしたよ。)
それから、国仲涼子さんの「五辨の椿」・・自分も見ました・・
若き日の阿部さん、堺さん、まだ初々しい雰囲気があって、
アンコール放送も良いなぁと感じました。多分、リアルタイムでも
見た筈ですが、遠い記憶になるこの頃は、いつも新鮮な感じて
見られます(汗)

すみれ  2017/03/05 (Sun.) 18:19 edit

すみれ様 いつも有難うございます。
兼六園の梅、素晴らしかったことでしょう。

写真のボケボケは、ご常連の皆様には昔からよくわかっていただいているので、居直って並べていますが(笑)ブログのレイアウトは、まだわからない事が多くて、写真がはみ出していたり、文字が写真の横に回り込んで読みにくくなったりすることがあります。遠慮なく指摘して下さるほうが今後続けるのに助かりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(ちなみに、私も構図は全くお構いなしに写し、後でトリミングしています)

「五辨の椿」はWikiを見たら、2001年の年末に放映されたものの再放送でした。2001年の春の朝ドラ「ちゅらさん」が大好評を博したため、その年のうちに国仲さんの起用となったものらしいです。
阿部寛さんは今や歴史・時代ドラマに引っ張りだこですが、当時はまだ丁髷もやや板につかなくて、それだけファンの「見守り心」を刺激してたかもしれませんね(^^♪ 「相棒」で大活躍だったミッチーさんも出てきていたと思いますが、確かすぐ殺されちゃってあまり出番が無かったような(すぐネタバレする悪い癖)
あの当時はまだまだ、各局でいろいろ時代劇が作られていた頃でした。新しいのを作るのが難しければ、昔の名作をどんどん再放送してほしいですね。

ストファ管理人  2017/03/07 (Tue.) 08:22 edit