舞囃子「松虫」【金春】 山中賢人
舞囃子「龍田」【喜多】 塩津圭介
舞囃子「海士」【観世】 木月宣行
狂言「昆布売」【和泉】 シテ(昆布売):上杉啓太 アド(何某):野村万之丞
能「猩々」【宝生】 シテ(猩々):内田朝陽 ワキ(高風):矢野昌平

以前にも、図書館の本来の意義は専門書の貸し出しにあるので、ベストセラー本を、それも何冊も図書館が購入するのはおかしいという論議があった。確かにそれは一理あるのかもしれない。しかし、一般シロウトの読書好き、それも決して高級な本や純文学ではない、ミステリーやテレビドラマの原作本などを、仕事や子育てや介護の息抜きとして楽しむ面々にとっては、出版社と図書館がいがみ合っている、という事じたいが、あ~あ、世も末だなぁ、とうんざりさせられるのだ。
文春さんなら、文庫本は売れなくたって、「文春砲」と名を馳せている週刊誌の売り上げで稼げるだろうが。これからもおおいに正義面して、不倫だのなんだの暴いてまわればいいじゃないか、憲法改正して戦前の「強いニッポン」に戻したいどこかのどなたさん達も、マスコミが他人の色事ばかり追っかけているほうが嬉しいだろうしね、とイヤミの一つも言いたくなる。
いやいや、一般書籍や文庫が売れないから、週刊誌を売るしかないんですよ、こちとらも好きで人の恋路を邪魔したいわけじゃないんですよ、という事なのかもしれませんがね~~
でも、別に図書館で文庫が借りられなくなったって、どうってことないんだよね。
Amazonのユーズドで買って、BookOffで売っ払えばいいんだから。
往年のベストセラーがゴロゴロ、本代¥1でマーケットに出ているから、送料の何百円か払っても書店で文庫を買うよりずっと安い。
そもそも、紙の本なんかもう読まない、っていう人も多い。電車の中でも、ちょっと前はタブレットで読書している人がいると、さりげない「ほ~」という注目を集めていたが、今やスマホでメールやゲームをしているのと全く同じ当たり前の光景になってしまった。
ところで、出版社だけでなく、作家さんたちも、図書館を敵視している人は多いんだろうか。
かねがね、新聞とか雑誌で、是非やってもらいたいと思っているアンケートがあるんですよね~
「あなたのお書きになった本、図書館で何度も借りて繰り返し読んでいるという読者と、全部買ってるけど一冊も読んだことない、応接間の本棚に並べてるだけという読者(これはまぁ、読者とはいえないので購買者ですな)と、どちらが有難いですか」
って、有名無名を問わず、できるだけ多数の作家に聞いて、答を並べてほしいんです。

今年のユネスコ記念能のテーマは「葵上」、そして仕舞も能のシテも全員、各流派の女性能楽師という点がユニークだ。囃子方でも小鼓・笛が女性。
仕舞 枕崎真由子【金春】 羽多野良子【金剛】 土屋周子【宝生】 大島衣恵【喜多】
タイトルは「葵上」だが葵上は登場せず、シンボル的な「出小袖」が舞台に置かれるのみで、シテは六条御息所。そのいわゆる「うわなり打ち」のサワリの部分が仕舞である。金春流だけは仕舞のタイトルが「枕ノ段」になっている。
シテの持つ扇は赤地に大輪の椿をあしらったもので(大輪の花であることはわかったが、牡丹かしら何だろうと思って、後で能装束の本を見たら椿だった)、鬼扇といわれるもの。「ひと皮剥いたら鬼」ということだそうだ。
「いやいかに思ふとも、今は打たではかなふまじと、枕に立ち寄りちやうと打てば・・・」
「今の恨みはありし報ひ 瞋恚のほぶらは身を焦がす 思ひ知らずや 思ひ知れ」
「恨めしの心や、あら恨めしの心や 人の恨みの深くして 憂き音に泣かせ給ふとも 生きてこの世にましまさば・・・」
「昔語になりぬれば なほも思ひは真澄鏡 その面影も恥づかしや 枕に立てる破れ車 うち乗せ隠れ行かうよ うち乗せ隠れ行かうよ」
狂言 因幡堂【和泉】 シテ(夫):深田博治 アド(妻):中村修一
能 葵上【観世】 シテ(六条御息所怨霊):鵜沢光 ツレ(照日巫女):多久島法子
ワキ(横川小聖):則久英志 ワキツレ(廷臣):御厨誠吾
アイ(従者):善竹大二郎
中入りはなく、シテは後見座で面を泥眼から般若に変えて、後半のワキの調伏との闘いになる。
解説の観世喜正先生によれば、現在1100人くらいの能楽師のうち、女性能楽師の割合というのは2割弱くらいだそうだ。1割もいないくらいかと思っていたので、意外だった。昨今の「女性の活躍する社会」ブームのもっと前、白洲正子さんの頃から、白洲さんのように有名ではなくても、能楽を志す女性たちは着実に地盤を築いてきたのですよというようなことを、やや自慢げにおっしゃっていた。
喜正先生おん自ら、入口で資料パンフなどを手渡しされていたので、驚いてしまった。淡交社の『演目別にみる能装束』(近くの図書館で、借りては返し、返しては借りでほぼ私物化している。買えよっつー話だが、この手の本ってAmazonのユーズドでも結構するので…)のお写真でおなじみの顔がヌーっと眼の前にあるんだもん。
まぁ能楽師っていうのは、他の芸能人に比べると、ずっと一般人に近い位置におられますよね。観客の多くは、私などと違ってちゃんと舞や謡のお稽古をしてらして、その日の舞台上にいる誰かが師匠で毎週じかにお付合いされているっていうケースも多いんだし、チケット申し込みを電話ですると、事務所とかでなく、そのお家の奥様やお母様らしい方がお出になることも多い。
野村四郎喜寿記念公演「安宅」のチケットを申し込んだ時は、本当に昔ながらのいいとこの奥様っていう感じのお声が出られて(まさか大師匠の奥様!?)、丁寧に受け答えして下さったが、こちらの住所を言うときに、◆◆区◇◇の後、〇の〇の〇(住所)の〇(部屋番号)と、貧乏臭く数字を4つ並べて言う所、2つ目で「はい、ではお電話番号を」と言われてしまい、昭和30年代くらいの渋谷や世田谷の住宅地の、〇丁目の〇、という住所を当然として暮らしておられるんだな~と思った。
お若い方でも、長山桂三さんの奥様(凛三くんママ)はいつも桂三さん出演の会には受付にお着物姿でいらっしゃるし(女優さんみたいに綺麗!)、凛三くん出演の会に休憩時間ロビーをウロチョロしている武田章志くんと馬野訓聡くんを見かけたこともある(洋服を着ていると、単につるんで歩いてる二人の小学生だ)。
お能の子方ちゃんたちは、容姿といい芸の確かさといい、大河ドラマの子役とかで世間に披露される機会があれば、もうホントにすごい人気を博すと思うのだが、一人前の能楽師になるには毎日毎日がお稽古で、土日はあっちこっちの公演に引っ張りだこみたいだし、とてもテレビなどに出ているヒマはないのだろう。

久々、というか考えてみたら五雲会は今年初めてだった。月並能は、お正月と春に行ったけれども。
五千円でお能四番と狂言二番という最高なコスパと、予約なしで当日券が買えて20分くらい前に行けば何とか正面席にもぐりこめるし、脇・中ならいつ来ても余裕でOKという有難さ。若手能とはいえ、子方ちゃんたちのパパ年代のパワフルな演能も見られるし、毎月行きたいのは山々だが、なにせ四つも見るとなると、前の晩は早めに寝ないといけないし、それでもどれがどれだったか、ゴッチャになってしまう。
今回は、例のお晴ちゃんゆかりの「六浦」、観世喜正氏の講演を聞いてハマるきっかけとなった「敦盛」もあるので、仕事も遊びもスケジュールが押している中、是非にと出かけたものであるが、やっぱり行って好かった。
能「岩船」
能「敦盛」
能「六浦」
能「夜討曽我」
狂言「因幡堂」
狂言「柑子」

能「橋弁慶」
能「船弁慶」
狂言「雷」
仕舞「白楽天」
仕舞「花筐」
仕舞「竜虎」

会社のお盆休みが前倒しになったので、この一週間はのんびりと早朝ウォーキングの後に昼寝で過ごし、夜は少しでもブログ更新!という心つもりでいたが、昼寝までは実行できたもののブログはさっぱり・・・
しかしこの夏の最高気温を記録したと思ったら急に涼しくなって、怠け心を暑さのせいにすることも出来なくなり、これを機会にずっと自分の中で懸案事項だった「明治編かわせみの急展開」について考えてみることにした。
懸案事項とは、ご本家かわせみ掲示板でも4月に話題になっていた、あの思いがけないカップル(?)の成り行きである。ネタバレは基本的に文庫が出てから・・・というのが、かわせみ掲示板の不文律だったように思うけれど、このブログなら訪れる人も殆どいないし大丈夫だろう(^^;
明治編衝撃の展開といえば、もちろん第一作の、東吾さんの行方不明・宗太郎先生と花世を除く麻生家の全滅・源さんの殉職という悲劇の大連打が起こした読者の阿鼻叫喚。これは私も大ショックではあったが、作者が考え抜いた上であえて行った大鉈振いという事は理解できた。
その後、麻生家と源さんの仇は、麻太郎・源太郎そして何とお千絵さんまで奮闘して見事に討つことが出来たし、後は東吾さん問題の決着が何とかハッピーな形でつけばよいがと、少し読者も安心したところで、『青い服の女』巻末作品『安見家の三姉妹』において、正吉とお晴という、たぶん99パーセントの読者がノーチェックだったと思われる二人のこの成り行き。
とくに正吉は江戸編の初期に幼児として登場して以来、読者にとっては愛されキャラの一人であり続けた人物で、このショックのため、この話の本来のテーマである「安見家の三姉妹」がどうなったのかは、すっかり頭から飛んでしまった・・・というのは私だけではないだろう。
驚かされるのは、事の展開だけでなく、お晴の口にする台詞である。
「御存知だと思いますけれど、あそこは大昔から金沢八景の名所の一つで一年中、見物客が押しかけて旅籠の数も多いし、料理茶屋も有名な店が並んでいます。ですから働き手はいくらあってもいいし、お給金も東京よりずっと沢山頂けるんです」
「とんでもない。あちらは御立派なお袋様を背負っているんですから、とても重くて六浦まで来られる筈はありませんよ」
お晴ちゃんってこんな事を言う子だったかしら・・・
いかにも、かわせみが安月給と言わんばかりの言い方だが、お晴の言う観光名所の旅籠の女中の高収入というのは、かわせみのような純粋な宿屋女中とは違う、まぁ「その手の仕事」であることは容易に想像がつくし、自分でもそれをよくわかった上で言っているようだ。
「お袋様」というのは方月館にいるおとせさんの事である訳だが、お晴とおとせが顔を合わせるシーンというのは記憶にない。しかし、お晴のこっちの台詞のほうは、なんとなく理解できる気もする。
とりあえず、登場人物の立場・作者の立場という二つの視点から、考察いや妄想を進めてみた。
◆お晴になったつもりで考えてみる
お晴の初登場は『稲荷橋の飴屋』で、金沢八景の料理茶屋の女将をしている、お吉の姪おすぎの世話で新参女中としてかわせみにお目見得。六浦の漁師の娘だが、幼い時に両親を亡くし天涯孤独の身の上、「雨がどんなに続いても晴れる日は必ず来る」とつけてもらった「晴」という名前にふさわしい、努力家で辛抱強い性格、観察眼もなかなか鋭い賢い娘として描かれていた。
その後、それほど目立った活躍はなかったようだが、女中奉公に慣れるまで何かと大騒ぎだったお石に比べれば、かなりスムーズにかわせみに溶け込んでいったようで、明治編ではすっかりベテランになり、お吉の跡継ぎ的な立場になっていることに、読者は何ら違和感を感じなかったはずである。
しかし、最新刊の展開を知ってから改めて、明治編最初の『築地居留地の事件』を読み直すと、麻太郎が英国から帰ってかわせみに顔を出すシーンで、千春にるい、嘉助にお吉の出迎えがそれぞれのキャラ全開で描かれるのと同時に、正吉が千春に「嘉助さんの跡継ぎ」と紹介されているのに対し、お晴の名はこの重要シーンに記されていないことに気がつく。「続いて女中たちや板前までが出迎えに出て来た」とある中にたぶん居たのであろうというだけだ。
そして驚いたことには、『新・御宿かわせみ』まるまる一冊の中に、ほとんどお晴の名が見られないのである。私の読み逃しかもしれないが、最終話の麻太郎・源太郎の仇討譚『天が泣く』でも正吉はかなりの出番があるのに、お晴は全然出て来ない。この「注目されていないお晴」の立場というのは、作者のうっかりか、実は意図的な伏線だったのか?
お晴が明治編で明確に登場するのは、二冊目の『華族夫人の忘れもの』の冒頭で、いきなり「女中頭代理のお晴」が茶を運んでくるシーンだが、読者としてはこれで、前の明治編初巻でも「女中頭代理に出世したお晴」が何度か登場していたような錯覚を起こしてしまうのだ。この『華族夫人・・・』では乱闘シーンなどにも参加しているお晴であるが、その後『花世の立春』『蘭陵王の恋』と進む中も存在感は希薄であり、たまに女中としての仕事をしている様子がちょっと出てくるのみである。
まぁ、明治編になってから、かわせみ自体の登場が少なくなっており、麻太郎のいる築地居留地の診療所や源太郎・花世の新居など、江戸編には無かった新しい舞台が増えているので仕方のない面もあるのだが。
こうした中で、お晴自身はいったいどんな気持ちで日々暮らしていたのだろうか・・・と考えてみると、案外、今回の「衝撃の展開」はそれほど衝撃的でもないのかもしれない、と思えてくるのだ。
第一に、「かわせみの女中頭代理」という立場は、本当にお晴が望んでいるものだったのか。
正吉のほうは、かわせみに就職した時点で、嘉助の跡継ぎになることは想定内であっただろう。千春が一人娘であることを考えれば、さらに嘉助以上の、かわせみの実質的CEOとしての将来性も含んでいたと思われるし、それにふさわしい文武の鍛錬も東吾たちから受けていたようだ。実父は医者、継父も、早くに縁が切れたものの大商人であり、背景に不足はない。人柄からいっても、かわせみとの付合いの長さからいっても、千春が他家に嫁いでしまっても乗っ取りなどは露ほども考えず誠実に、かつ経営者としては果断に、かわせみを預かり管理していくことが期待できる、これ以上の人材はないと言えよう。
こうして成長していく正吉に対して、お晴が淡い恋心を抱いたとしても全く不思議はない。しかし、お晴にとって恋とは、るいの東吾に対するような、命かけてもという類のものではなかったと思う。
先に述べたように、お晴は少女時代から観察力に優れており、冷静・客観的に物事を見るタイプだった(たぶんこの観察力で、正吉のマザコン傾向も察していたとすると、「お袋様」云々の台詞も納得いく)。悪く言えば計算高い・打算で動きやすいともいえる。
「幼い時から、天涯孤独で人を頼らず生きてきて、その場限りの方便で嘘をつくのが生きる智恵のようになっていた」と評されているのもしかりである。
ちなみにこの言葉は麻太郎のもので、仮にもかわせみの一員であるお晴について、こんなに突き放した見方を彼がしていたんだというのも、軽いショックではあるが。
ところで、これまでのかわせみの女中たちは皆、かわせみに嫁入り仕度のサポートを受けて、適当な嫁入り先に片付いていた。お晴としてもそれを望んでいたのではなかろうか。
正吉に淡い恋心を抱いたとしても、かわせみの人々や正吉のお袋様が想定している正吉の嫁の範疇には、自分は入っていないことは敏感に察していただろうし、実際に正吉の妻となって一緒にかわせみを切り回していくというのも、よく考えてみれば荷が重いと思っただろう。
自分の前任者のお石の幸福な(&ちょっと笑える)結婚のいきさつも、お晴は詳しく聞いていたに違いないし、そんなに御立派な男でなくてもいいから、どこかの職人か商人と縁を結んでもらって、子供も作り、安定した家庭を築きたい、と考えていたのではないか。良家に嫁ぐよりは、自分と同様に親を早く亡くして苦労した働き者の男と水入らずで暮らしたかったかもしれない。しかし、お晴は自分から周囲に心を開こうとするタイプではないし、そういう事をハッキリ口に出来る機会もなかったのだろう。
嫁入り先も世話してもらえず、ずるずると古参になってしまい、女中頭代理とか言われているけれど、このまま自分はずっとここで働き続けるしかないのだろうか、お吉さんがもっと年取ってボケてきたら、責任持って世話しなければならないのは自分だが、自分が老いた時は・・・?そんな考えもお晴の頭をよぎっていたことだろう。
「女中頭代理」というのも、悪く解釈すれば、維新のごたごたと次第に老いゆくお吉の都合で、なんとなく諸々がお晴の肩にかかってきているだけともとれる。
嘉助のほうは割に計画的に正吉へ引継ぎ・指導していると思われるが、お吉のキャラだと、決して悪気は無いのだが、その時の気分で「もう女中頭代理なんだから、あれこれ言わなくても自分で判断してほしい」と言ったり、「まだまだ私が指示しないとやっていけない」としゃしゃり出てきたり、当節ブラック企業の「肩書だけ店長」ほどではないにしても、お晴の労働量と裁量権とが結構アンバランスだった可能性も少なくはない。
本来ならおるいさんがその辺きっちり修正するはずだが、おるいさんも東吾行方不明のショックや、千春の結婚騒ぎなどでスルーしてしまっていたかもしれない。
◆実は張られていた作者の伏線?
この展開に限らず、明治編の物語全体で考えてみても、江戸編の明るさとは対照的な、独特の陰というか淀む澱のようなものがあることに気づく。
源太郎母子の不協和音。あの強気な花世が「固くなりかけたぼた餅を食べながら、ほろほろと」涙を流さねばならなかった、源太郎との新生活の出発の日のほろ苦さ。幸せな結婚をしたはずなのに何故か影の薄い千春夫婦(同じ東京に住んでいるはずなのにほとんど里帰りもしていない?)
「お袋様」の件は江戸編からの伏線といえる。美しくいつまでも若く、その上家事万端そつなくこなしてしまう姑という存在が、ロクな事にならないというのは、『時雨降る夜』を始め初期作品からたびたび描かれてきたことだった。
そして今思えば、『文三の恋人』で、小源やお石に続いて幸せなかわせみ準レギュラーになるかと思われた元水売りの文三が、意外にも庭師の修業を捨てて年上の恋人と駆け落ちしてしまったのも意味深だ。
「文三さんはなんといっているのですか。あちらの気持は・・・」(るい)
「知りません。聞いたこともありません」(お幸)
「あんな女じゃ文三さんと不釣合ですよ」「女のほうが文三さんにのぼせ上ったんですよ。文三さんは優しいから・・・」(お吉)
「文三のほうは女房にしようと思ってお幸って女とつき合っていたわけじゃねえのかも・・・」(東吾)
文三を正吉に置き換えても、そのまま成り立つような展開になっている。
しかし救いは、『文三の恋人』が決してバッドエンドではなかったことだ。「生きてさえいれば、人はそれなりの幸せを摑むことが出来る」
正吉とお晴は、文三たちのように二人で去るのではなく、別々の道をたどる事になったが、いつかそれぞれに、それなりの幸せを摑んだ姿が、再び登場することを心から願う。
明治編の回を重ねるごとに、Amazon のカスタマーレビューも辛口評が多くなっている。
『お伊勢まいり』では星五つを探すと皆「古本だが状態が良かった」という意味の星五つばかりなのが悲しい。最新刊の『青い服の女』は読むのも辛い評ばかりだが、それでもわざわざ時間を割いてカスタマーレビューを書く人が多いのは、長年のかわせみファン健在ということであろう。

小町ものは「草紙洗小町」しか見たことがなく、今回「卒塔婆小町」だというので早速申し込んだ。
能「卒塔婆小町」【宝生】 シテ(小野小町): 田崎隆三
ワキ(高野山の僧):野口能弘 ワキツレ(従僧):野口琢弘
小町を主題にしたものは他にも「通い小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」など数多いが、現役時代の小町がヒロインのものは草紙洗だけで、あとは老残のホームレス老女として登場する小町っていうのが面白い。
狂言「栗焼」【和泉】 シテ(太郎冠者):野村万作 アド(主):深田博治
「立派で粒のそろった丹波の栗」が出てくる話(嬉)
趣旨としては、附子とか柑子などのように、主家の食材をうっかり食べ尽くしてしまい、どうやって言い抜けるか・・・という話の一つだが、これはそれよりも美味しそうな栗を焼いていく実況中継(?)が見所かも(万作師の神演技に観客席が吸いこまれていた)ラストも「やるまいぞ」と追いかけるのでなく、静かな終わり方。
能「殺生石」【金春】 シテ(里女/野干):櫻間右陣
ワキ(玄翁和尚):野口敦弘 アイ(能力):石田幸雄
「殺生石」は何度か見ているのだが、恥ずかしながら「黒塚/安達原」(これも何度か見ている)とゴッチャになっている。同じような青いツクリモノが出てきて、前シテが女性で作り物から出てくる後シテが鬼で・・・
舞台もそんなに離れてはいない?今のでいうと黒塚は福島県で殺生石は栃木県か。
玉藻前というのはフィクションだと思うが、玄翁和尚と安倍泰成は実在の人物。玄翁は喜多方に示現寺という寺を開いた人で、安倍泰成は清明の七世の子孫だそうだ。
今回、脇正面の後ろの一番はじっこの席しか取れなかったのだが、そのおかげで揚幕から登場するワキやシテが手を伸ばせば届くような距離で、足運びとかもよく見えた。また、作り物の中での衣装替えの様子もわかって面白かった。アイが喋っている時間目いっぱい使って、二人の後見が(奥のほうにいる一人は見えないけれども)大わらわで着付けていた。囃子方(とくに大鼓と小鼓)が邪魔!って感じなのが笑える。
お能日記とは何の関係もないが、今回上演の宝生能楽堂のすぐ裏手にある女子校が、このところ話題の某暴言暴力議員の母校である。これまで能楽堂を訪れた時には、あまり遭遇しなかったのだが、今回はちょうど定期試験期間であったものか、桜バッジをつけて水道橋駅のほうに下りてくる女子高生たちの群れとすれ違った。さすがに皆頭の良さそうな子ばっかりで、一般に女子高生の群れとすれ違う時のキャピキャピ感は低いが、困った先輩の事などは気にせずそれぞれ充実の学生生活を楽しんでいるふうで良かった。地の利を生かしたお能サークルとかあるんだろうか?

萬斎(池坊専好)を取り巻くキャストも豪華版である。脚本は現在、NHKの直虎を鋭意執筆中の森下佳子さん。大河ドラマのシナリオを書く直前に映画も一本片づけるなんて、すごいパワーだ。
もっとも、大河ドラマ直虎と違って、この映画には原作がある。ハデハデな映画ポスターの印象か、少し前に評判になった「へうげもの」の記憶のせいか、なんとなく漫画が原作のような気がしていたが、漫画ではなく活字の小説だ。
作者は歴史小説家というわけではなく、若い時に世界を放浪し、その後サラリーマンをしながらいろんな分野の小説を書いている人らしい。
はっきり言って原作の方はやや薄味という気もした(原作と映画がちょうどよく組み合っていた「のぼうの城」に比較すると、、)が、作者プロフィールから見ると、グローバルな視点というか、日本の戦国史や幕末史タコツボ的な小説とはまた違った好さがあるのかもしれない。
いずれにしても、映画は原作の薄さを幸い(?)、これでもかと濃いキャラの面々をぶちこんだ上、その面々が束になってかかっても、主人公の貫禄はビクともしない萬斎さんの力技で、いちおう面白く見られた。ラストの度肝を抜く松の大木&猿を始め、数々の生け花作品も楽しかった。華道の心得のある人ならもっと楽しめるに違いない。
最初に書いたように、お茶お花といえば、今の人間には「花嫁修業」がまず連想されるが、それは明治以降の話であって、利休や池坊専好の時代の華道や茶道は、大名や武家、大商人や僧侶たちの「男の芸事」であった。澤田ふじ子の「高瀬川女舟歌」シリーズにも、ヒロインが「女だてらに花など習って」と言われながら烏丸六角の池坊に通うというシーンが登場する。
原作にある説明によれば、六角堂の開祖は聖徳太子で、太子が四天王寺の建材を求めに山城に来たとき、この地に持仏を祀れとのお告げがあったという。後に平安京に遷都した桓武天皇が道路を作る際、この六角堂が自ら動いて道路を作りやすくしたという言い伝えもあり、また親鸞聖人が浄土真宗を開く前に参籠したのも、この六角堂だそうだ。
今日の朝日新聞の広告特集に、「花戦さ」と萬斎インタビューが載っていたが、萬斎さんは今は京都のビル街の真ん中にある六角堂を、人々が近道するために通り抜けていく光景を見て、厳格なイメージの存在ではなく、町の人々が気軽に立ち寄れて心の拠り所としている、皆に愛された場所だったのだと感じだという。そして池坊専好という人物もきっと、皆に慕われる愛すべき人物だったのだろうと。狂言の「太郎冠者」とも共通点があり、以前に演じたクールな陰陽師の安倍清明とは真逆に演じたというのが面白かった。
朝日新聞には、映画の封切前、故遠藤周作がこの六角堂を非常に愛していたという記事もあり、現在の家元池坊専永とは共に「違いのわかる男」CMに出演した縁もあって、対談や人物評も書いているそうだ。
京都市内をバスで通ったとき、立派な池坊学園のビルを見て、ここがあの池坊の拠点かぁと
思った記憶はあるが、六角堂については全く意識していなかった。こんど京都に行くときは、是非とも寄ってみたいものだ。

というか、昨年の東海道歩きで、「杜若」の舞台、三河八橋の知立の杜若を目の当たりにしてからもう一年とは!
舞囃子「清経」【喜多】 佐藤寛泰
「世の中の憂さには神もなきものを何祈るらん心づくしに」
「さて修羅道に遠近の・・・げにも心は清経が仏果を得しこそありがたけれ」
舞囃子「野守」【宝生】 武田伊佐
両手に扇を持っての舞だが、テキストを見ると開いた方の扇は鬼神の持つ鏡らしい。
「ありがたや天地を動かし鬼神を感せしめ、土砂山河草木も一仏成道の法味に引かれて鬼神に横道曇りなく、野守の鏡は現はれたり」
女性のシテ。宝生流の武田家・・・友志・文志ご兄弟と子方章志くんの観世流の武田家とは全然
別なのか、親戚筋なのか? 検索してみたがよくわからない。青翔会のプログラムが前よりも薄くなり(サイズは一回り大きくなったのだが)前ほど出演者情報が詳しく記載されてないのが残念だ。囃子方にも女性メンバー(小鼓の大村華由さん)。
舞囃子「鵜飼」【金春】 政木哲司
「法華の御法の済け舟 篝火も浮かぶ気色かな 迷ひの多き浮き雲も 実相の嵐荒く吹いて 千里が外も雲晴れて 真如の月や出でぬらん」
シテと囃子方は男性だが、地謡がすべて女性であったことに後でチラシを見て初めて気づいた。最近は地謡に女性が混じっていることじたいは全然めずらしくないが、全員というのはあまりないのでは?でもかなり囃子が賑やかな部分ということもあり、声のトーンが高いとか、全然気づかなかった。
狂言「鐘の音」【和泉】 シテ(太郎冠者):上杉啓太 アド(主人):能村晶人
能「杜若」【観世】 シテ(杜若の精):角幸二郎 ワキ(旅僧):矢野昌平
知立・無量寿寺
「からごろも・・・」の歌碑と在原業平像

杉本苑子さんが5月31日に亡くなられたという。
最近しばらく新作の発表がなく、さすがにお歳で現役は引退されたのかなと思っていたが・・・享年91歳は、しかたがないとはいえ、やはり寂しい。
学生時代、歴史の時間=睡眠の時間であった私は、社会人になってから、杉本さんと永井路子さんの本で日本史の知識のほとんどを得たようなものだ。
奈良時代を描いた大河小説『穢土荘厳』、奈良から平安へ嵯峨天皇の后として激動の時代を生きた橘嘉智子の生涯『檀林皇后私譜』、徳川秀忠・江の娘で京都朝廷に嫁し女帝明正天皇の母となった東福門院和子『月宮の人』などについては、ブログ前身のHPの読書日記でも少し触れている。
http://sfurrow.warabimochi.net/gensan/gb_books/history03.html
杉本さんのデビュー作はというと、1951年に『申楽新記』、1952年に『燐の譜』という作品が書かれており、いずれもサンデー毎日の賞に入選している。
この2編は、図書館やアマゾンで検索してみてもわからないのだが、『申楽新記』は、その後『華の碑文―世阿弥元清』として代表作の一つになったそうだ。『華の碑文』なら、瀬戸内寂聴さんの『秘花』そして我らが平岩弓枝先生の『獅子の座』と3冊まとめて本棚に並べてあり、それぞれの作品に登場する世阿弥を比べてみたいと思っているが、いつになるやら・・・
『燐の譜』のほうも、後に何かの作品に発展したのかと思い調べてみたが、よくわからない。ようやく検索の結果、富山県のある高校のOB会ブログで詳しい解説があるのを見つけた。非常に興味深い内容だ。
http://www.ofours.com/higashi5/2014/1110_070000.html
なぜ富山県かというと、『燐の譜』の主人公が、「越中氷見村朝日山の観音堂」に住んでいた面打ちの僧侶、氷見宗忠という人物である故。つまり2編のデビュー作はいずれもお能関係だったわけで、杉本さんの若い頃からの能楽への造詣を示している。
そういえば『能の女たち』という新書も持っていたはずと引っ張り出してみると、ありましたありました! 十一章「『藤戸』の母―権力を屈伏させた底辺の力」の中で触れられている。能「藤戸」の後ジテがつける「痩男」の面を打った氷見宗忠という僧侶の逸話で、納得のいく面が打てず、墓から死人を掘り出しその顔貌を見つめてようやく面を完成させたという話(岡本綺堂の『修善寺物語』などと共通の感じ?)。
杉本さんは戦前・戦中に活躍した面打ち作家入江美法氏の『能面検討』という著作でこの痩男面について知り、「戦後しばらくして、私は氷見宗忠を主人公にした『燐の譜』という短編を書き、図々しくも毎日新聞社の懸賞小説に応募。まぐれ当りの入選をはたした」と書いておられる。
この『能の女たち』は、わかりやすくかつ奥の深い、お能初心者必携の本である。
古代の女帝やお能以外でも、杉本さんの守備範囲はたいへん広い。
(追記:6月4日)
今朝の朝日新聞「天声人語」が杉本さん逝去を取り上げている。紹介されている作品は『孤愁の岸』と『春風秋雨』。『春風秋雨』は随想集で(最近はほとんど「エッセイ集」と言うようだけれど、「随想集」っていうのはいいよなぁ)、「葬式も墓も無用、骨は海に撒いてほしい」という言葉が紹介されている。最近では作家に限らず、墓を建てず散骨してほしいという人は多いけれど、杉本さんの場合は、墓の代りということだろうか、「使い古した広辞苑を一冊だけ埋めてほしい」という言葉も載っているそうだ。
『孤愁の岸』は直木賞作品なので、やはりこれが杉本さんの代表作ということになるのだろうか。「宝暦治水」の話ですよね。
私はこれの十年後に書かれた『玉川兄弟・江戸上水ものがたり』のほうは大分前に読んだ。都民としてはやっぱり毎日お世話になっているこの地の水道の設立についてちょっとは知っておかなければならないし、玉川上水は、近場でも少し遠出したい時にも、便利なお散歩コースだから。
しかし『孤愁の岸』のほうは読んでいない。『翔ぶが如く』もそうだけど、「薩摩の話ねえ・・・ま、時間あったら読もっか」みたいな感じになっちゃうのです(^^;
ところが、東海道を歩いていたら、思いがけない形でこの宝暦治水・孤愁の岸に出会った。
桑名の、旧東海道から少し美濃街道のほうに入ったあたりに海蔵寺というお寺があり、そこが宝暦治水に関わった薩摩藩士たちの墓所があるのだ。っていうか、この寺が大々的にそれを売りにしているわけだ。(右の写真でわかるとおり、祭壇の前に『孤愁の岸』が積み上げられ販売されている)
確かに、身を削って治水事業に貢献したにもかかわらず、多くの犠牲者と巨額の経費の責任をとって自害に追い込まれた平田靱負ほか薩摩藩士たちの苦悩と無念さは、思っても余りある。しかし、丸に十字の薩摩ロゴが境内いたる所にはためいているのはともかく、「薩摩義士」っていうのはどうなんだ。忠臣蔵か?!なんて思ってしまうのは、4分の1長州人の僻みですかねぇ。玉川上水の開削だって大変な苦労があったわけだし、伊奈半十郎だってそれで切腹している。。。とずっと思っていたのですが、最近調べてみたら、これは杉本さんのフィクションで、実際には伊奈半十郎は自害してはいなかったんだそうですね(@_@)
まぁ、木曽川・揖斐川・長良川という大きな三つの川の水難に悩まされていた当地の人々にしてみれば、はるばる九州の地からやってきて、さんざん苦労してくれたのに報われなかった薩摩藩士たちを「義士」と奉る気持ちもわからなくはない。保身と都合の悪いことはすべて隠蔽で動く国家権力のもとで、現地のリーダーが血のにじむ苦労を強いられるという構図は、先年の震災を始め、今でもあちこちで見られる事態なのである。
