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舞囃子「弓八幡」【喜多】 佐藤陽

 
舞囃子「西王母」【宝生】 金森隆晋

舞囃子「桜川」【金春】 柏崎真由
 
狂言「膏薬煉」【和泉】 シテ(都の膏薬煉):野村万之丞  アド(鎌倉の膏薬煉):上杉啓太

能「安達原」【観世】 シテ(里女/鬼女):武田宗典  ワキ(阿闍梨祐慶):野口琢弘
           ワキツレ(同行の山伏):御厨誠吾  アイ(能力):河野佑紀
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国立能楽堂 青翔会3月
父、源三郎と、息子、源太郎。
といえば、こちらのご常連さんは例外なく、畝家の源さんの話に決まってると思いますよね。

いやいや、それが、他にもいたんですね。父源三郎に息子が源太郎。
最近の意外なベストセラーといわれる、『君たちはどう生きるか』の作者、吉野源三郎氏と、その長男でジャーナリストの源太郎氏の話です。

『君たちはどう生きるか』の原作が刊行されたのは昭和12年(1937)。日本が戦争に向ってまっしぐらに進んでいた時代・・・と今でこそ、私たちは客観的に言いますが、当時を生きていた庶民たちはどんなふうに「今」をとらえていたんでしょうか(そして、私たちの孫や曾孫たちは、2018年を振り返ってどのように言うのでしょうか?)

昭和12年、この年の6月、林銑十郎内閣に替って発足したのが近衛文麿内閣。そして7月には盧溝橋事件が起こり、日中は果てしない戦争に突入します。「非戦思想」は糾弾を受けるようになって、キリスト教関係の本などが発禁処分となり、東大の矢内原忠雄総長も筆禍事件で12月に退官に追い込まれます。

今月の文藝春秋誌上で吉野源太郎さんが池上彰さんと対談していますが、源太郎さんによれば、『君たちはどう生きるか』は、「投獄され、自殺まで試みた父が、また検挙されるかもしれない・いずれ自分の命はないかもしれない、という恐怖を抱きつつ、命がけで生み出した物語」だったと語っています。

私は今回の漫画版は未読ですが、原作は小学校高学年の頃に読みました。自分の知らない戦前の話ではあったけれど、主人公の年齢が近いこともあって興味深く、物語に引き込まれて読んだ記憶があります。しかし、そのような「命がけ」というような雰囲気は感じなかったし、左翼とか思想とか検挙とかいう話とは無縁の、とても基本的な古今東西誰もが共感する価値観、でもその価値観に沿って生きる事はなかなか困難、というような事がわかりやすく書かれている話と解釈していたと思います。
そこが池上さんの言う「軍国主義的な価値観とは違うところで、良い人間とは何か、人としてどう生きるべきかを問い直すためにギリギリの線で表現している」努力の成果だったのですね。



ちなみに、池上さんは、やはり小学校高学年の頃、珍しくお父さんから勧められてこの本を読んだそうです。私は何故か、学校の図書館で借りたこの本を親に隠して読んだのですよね。当時、読みあさっていた岩波少年文庫や箱入りの講談社名作全集とか、少女小説、子供向けミステリーのようなものは、普通にその辺に置いたり妹と交替で読んだりしてましたが、これはカバンに入れておいて一人の時にこっそり読んだと思います。
あまりにも「良い本」で気恥ずかしいような気持ちだったのかもしれません。
「そんなに良い本を読んでいるのに、なぜ・・・」と生活態度について親に小言を言われるかもしれないという警戒心もあったかも。
池上家と比べると、男の子と女の子の違いというのもあったかもしれない。あまりにも人生真っ正面みたいな本を女の子が読むのはおこがましいような・・・人前では女の子向けというジャンル(若草物語とか赤毛のアンとかね)を読んでいたほうが、すべて無難におさまるというような無意識の計算があったのかなぁ。今の子供たちはどうなんでしょう。

実は、この話はもっと前にUPして、月末の談話室は、別に何か季節のかわせみ物語を探すつもりでいたんですが、「二月は逃げる」であっという間に日がたってしまい、これを流用してしまいました。
全然「かわせみ談話室」になってないじゃないかと、あちこちからツッコミが入りますよね~~
せめて、畝家の「父源三郎と息子源太郎」の名場面でも探すことにしようかな。
お勤めで留守がちの源さん、案外息子とのツーショット場面は少ないのですよね。
どのお話だったか、庭で源太郎が素振りしているのを、縁側で源さんが立って眺めているというシーンがありました。ごく何でもない、ストーリーにも関係しないシーンですが、こういう場面がさっと挿入されていたのが、江戸編の良いところでしたよね。
源太郎が誕生したときの、みんなの大騒ぎぶりも懐かしい。
ツーショットではありませんが、横浜の先生がらみで源太郎と麻太郎が危機一髪!という話で、源太郎の守袋が落ちているのを見つけた源さんがハッとする所もすごく印象に残っています。
かわせみ談話室 2018 2月
日本ではほとんど知られていないが、今日2月21日は「国際母語の日」である。
新聞を見ても、金子兜太氏死去のニュースと、あとは冬季オリンピックばかりで、今日がこの記念日であることに触れた記事は見つからなかった。

もともとはバングラデシュの祝日(その謂れは ↓ 参照)であるが、日本にも、池袋西口にこのレプリカがある。

http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_column_2.html

池袋は、そう度々行くところではないが、いつ行ってもこれに目を留めたり説明版を読んだりする人を見たことがない。いつもおおぜいの人が周囲にいるのだが、全くこの記念碑には気がつかずに煙草をふかしたり飲食していたり、自転車もゴチャゴチャに駐めてあって、せっかく設置されているのに写真をとろうと思ってもなかなかとれないような記念碑だ。

このような無関心こそ、母国語として日本語を持つ日本人が、いかに世界の中で恵まれた存在であるか、ということを如実にあらわしているのだと思う。
日本人が意識する言語問題といえば英語教育に関することばかりで、小学校から英語を始めるべきか否か、学校の英語教育が間違っているからいくらやっても英語が話せるようにならない、英語コンプレックスをどうやって乗り越えるか、そんな話ばかりだ。

「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言った人がいたそうだが、日本人は「水と安全と母国語を維持するために、苦労が要るとは考えたことが無い」ということだろうか。
自分達の外国語習得には敏感だが、海外で日本語学習のニーズが広がっていることには鈍い。
学習塾で中高生に英語を教えれば、そこそこのアルバイト収入になるのに、海外からの留学生に日本語を教える仕事は、ほとんどボランティアに近い状態だという。
地球上に日本語や日本文化への理解を広めていくことは、防衛費に予算をつぎ込むよりも、長い目で見ればずっと日本の安全保障に役立つと思われるのに。

バングラデシュが舞台の物語というのは、図書館で探してもなかなか無いが、ようやく『リキシャ・ガール』という児童書が見つかった。作者はミタリ・パーキンスという、インド生まれで現在は米国在住の女性作家。彼女の父はバングラデシュで少年時代を過ごし、彼女自身もアジア・アフリカを始め世界中いろいろな所で生活した経験を持つところから、異文化への架け橋となる児童書を書き続けているという貴重な作家である。

この『リキシャ・ガール』の中に、ベンガル語の美しさを国中で祝う「国際母語の日」の様子が描かれている。
世界でも最貧の国という印象の強いバングラデシュであるが、人々はアートを深く愛し、貧しい中でもサリーや装身具・刺繍・「アルポナ」というデザイン画(?)など特に女性たちの手によって素晴らしい作品が生み出され、音楽やダンスを楽しむ生活がある。
女性たちは貧しさと男女差別という、二重の苦しみの中にいるが、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行の小口融資システムのおかげで、起業して経済力を身につける女性も少しずつ増えていく。このあたりは、日本の朝ドラとも共通する感じだ。


 ミタリ・パーキンスと同様、ベンガル系の両親を持ち、欧米人と結婚して欧米で作家生活を送る女流作家といえば、ジュンパ・ラヒリがよく知られている(インド系には彫の深い美男美女が多いが、作者写真を見るとこの人も大変な美女である)。邦訳作品も数多く、日本のファンによるアマゾンレビューや読書ブログなどもたくさんあるようだ。

長年欧米に住んでもアイデンティティは完全にインド(ベンガル)である親世代と、英語で教育を受け英語で仕事をする子供世代の葛藤という、ラヒリ作品によく見られるテーマは、日本人の、地方で家を守る親と都会に出た子供という関係にも共通のものがあり、理解や共感を持ちやすい。しかし、ベンガル語対英語という問題は、方言や訛りだけの違いの日本に比べてはるかに大きなものだ。

ラヒリは英語で発表した多くの作品で非常に高い評価を受けているにもかかわらず、自分にとって「ベンガル語は母、英語は継母」だと書いている。そして自分には本当の祖国、本当の母国語が無いという思いにとらわれている。
普通ならここで、実母であるベンガル語に回帰し、インドやアジアについて、より深く関わっていこう、となると思うのだが、彼女の独創的な、というか特異な所は、イタリア語という第三の新しい言語への挑戦なのである。もちろん大変な苦労ではあるが、ラヒリは「二つの母語から離れた自由」を味わいながら、ローマに移住しイタリア語でエッセイや小説を書き始める。この経緯が書かれているのが『べつの言葉で』という2015年に出版された本である(原書は2014年)。

「完全な母国語である日本語」で出来上った脳で「完全な外国語である英語」の学習に苦労してきた身としては、はっきりいって、そこまでラヒリを突き動かす思いというのがよくわからない。しかし、言語というものは人間そのものなのであり、言葉は単に人間が「使う」ものでなく、人間は「言葉で出来ている」ということなのかなぁと思う。
国際母語の日
三連休中日の今日、三軒茶屋キャロットタワー3Fの生活工房ギャラリーで開催中の「世田谷区を"はかる"プロジェクト」に行ってきた。今日は主催者によるトークイベントもあり、スペース的には小さなギャラリーだが賑わっていた。

 http://www.setagaya-ldc.net/program/394/

 昨年末から今年1月にかけて、4回に分けて行なった「世田谷区一周区境ウォーク」(2017年11月2日のブログ参照)に、このプロジェクト主催者の一人である川上恭輔さんが参加して下さったご縁で行ってきたのだが、実際に歩いて体験したことが、数値的にビジュアル化されていて面白かった。



私たちはそれまで、川上さん達とも面識はなく、「はかる」プロジェクトのことも全然知らなかったので、メールで区境ウォークの申し込みを受けたスタッフが、「はかる」プロジェクトを「はるか」プロジェクトとうっかり読み間違え、「はるかプロジェクトって何だ? はるかっていう名前のアイドルのファンクラブか何か? なんか怪しげだなぁ~」などと言いながら、当日初めてお会いして、建築設計などにたずさわる若いアーティストたちが行っている「"はかる"ことから街の良さに触れるきっかけを作り、街を再発見するプロジェクト」なのだと知り、おおいに共鳴したのだった。

写真でスペースの真中に帯状に下がっているのは、世田谷区と隣接する市・区のそれぞれを町ごとに両端に記したもので、長い境界を持つ町ほど、大きな文字で町の名前が書いてある。世田谷区側は一つの町が長い境界を持っているのに向こう側の町はいくつもの町が並んで境界となっている所もあれば、その逆、あるいは両方とも同じような町割りになっている所など、文字の大きさで一目瞭然。
世田谷区上北沢と杉並区上高井戸は共に長い境界線を共有している所で、これは北西に伸びる形で開発された北沢用水に沿って、世田谷区が杉並区の間に嘴のように入り込んでいることから、複雑に曲がりくねった境界が出来、総距離が長くなったものである。

同じような境界は世田谷区の東側にもあり、本来、世田谷区と大田区の境界である所に、目黒区緑が丘がクサビのように細長く入り込んでいる。これは呑川流域が細長く目黒区となっているためだ。
 
このプロジェクトでは、夏休みに小学生を対象として、実際に自分たちの歩数などで距離を測り地図を作成してみるワークショップもやっているそうだ。"はかる"ことで発見した様々な現象について、さらにその理由を考察したり歴史的経緯を調べるなど、子供たちにとっても大変貴重な体験になるだろうと思った。
世田谷区を「はかる」

「巴」【観世】 シテ(女/巴御前):佐久間二郎  ワキ(旅僧):御厨誠吾 
          アイ(里人):大藏教義

 


「車僧」【宝生】 シテ(山伏/天狗太郎坊):高橋憲正 
         ワキ(車僧):村瀬慧   アイ(溝越天狗):宮本昇

 
先月の月並能に続いて2回目の「車僧」、同じ宝生流だが今度は赤頭でちょっと雰囲気が違う
こちらのほうがデフォルトの演出?
 
狂言「寝音曲」【大蔵】 シテ(太郎冠者):善竹大二郎  アド(主):善竹富太郎

展示室の「作り物」特集がすごく面白い。レジメも充実していて無料で頂けるのは有難い限り(まぁ貧困老人世帯にもかかわらず、大分お能にはつぎ込んでるから、このような所で回収せねば!)
第27回東京若手能

新春のかわせみ物語は数多いですが、今月は『初春夢づくし』を読み返してみました。とてもハートウォーミングで大好きな一篇です。江戸編の中ではかなり最後に近いものですが、オール讀物に掲載されたのが平成14年の正月号のようなので、もう十数年前になるのですね~

おるいさんの母方について新しい情報が得られるのも興味深いですし、本筋とは直接関係ない細かいシーンも生き生きと描かれています。
花世ちゃんのお琴を聞きながら麻太郎は居眠り、源太郎は起きていた、というのもこの話だったんですね。花世の日頃の稽古ぶりを考えると、千春ちゃんの「とてもお上手なのに・・・」という台詞は、千春的ポジティブシンキングの割合が高いといえそうですが、眠気を誘うのはむしろ上手な演奏という事もあるので、案外上達しているのかも。あるいは源太郎が居眠りしなかったのは、間違えないかどうかハラハラして見守っていたのか、という可能性もありますが。

おるいさんとお千絵さんの、女の友情のシーンも好いですね。お互いの身内に関することは親しい友人でも言いにくいという気持ちは現代も変わりませんが、そこをあえて、不要な気遣いをせずに率直に伝えるべきことを伝える。こうした信頼関係のある友人がいてくれるのは、いつの世も本当に貴重なことです。
そしてまた、恋女房たちのトラブルを解決するのは自分達だと張り切る東吾さんと源さんが可笑しい。当事者のお佐代さんも役者の小山三も分別のある人間だったわけだし、おるいさんとお千絵さんに任せておいても結局は解決したものと思われますが、物語的には亭主たちの介入でうんと面白くなった・・・いや長助親分だけは気の毒に、全く貧乏くじでしたがねぇ~~(^o^)

是非とも映像化で見てみたい話でもあります。お佐代さんには、黒木華ちゃんなどピッタリではないでしょうか。小山三役は、モテモテのイケメンだが誠実な性格、というだけならいろいろいそうですが、役者を演ずるとなるとかなり限られますね。舞台姿とか様になってないとマズいしね。やっぱり歌舞伎界からの起用になっちゃうかなぁ。

 
 
 
ところで、お能は最近少し見るようになりましたが、歌舞伎は2回くらいしか見たことがなく、妹背山婦女庭訓の求女といわれても全くピンと来ないので、画像検索したところ、なんと平成叛NHKの東吾さん:橋之助(当時)さんの求女(写真右)が見つかりました。平成6年8月の舞台だそうです。橘姫(写真左)は中村浩太郎さん、お三輪(写真中)は中村福助さん。

求女は実は藤原鎌足の子、淡海公不比等ということらしいですが、お能でも「海士」が淡海公関連のお話ですが、かなり雰囲気違いますねぇ。

かわせみ談話室 2018 1月
先日の関東大雪で、羽根木公園の梅の開花も、梅まつりを目前にしてちょっと足踏み状態のようである。



今年の寒梅忌読書には、『闇の歯車』を選んでみた。1976年に別冊小説現代に発表された長篇で、その時は『狐はたそがれに踊る』というタイトルだったという。別冊といえども長篇が雑誌一冊に一挙掲載されるのは珍しいことだったと、文庫解説の礒貝勝太郎氏が書いている。現在出ているのは2005年刊行の講談社文庫新装版で、作者死去までに至る詳しい年譜もついている。

「ハードボイルド時代劇」などと評されているように、時代小説といっても雰囲気は現代的で、登場する同心や岡っ引きも、かわせみや鬼平と違って、スーツの捜査官と所轄のベテラン刑事だったとしても全く違和感ない。剣の腕や人情味で捜査側が表に出るのではなく、あくまでも主人公は「闇」の側の人々で、追うほうは黒衣に徹しているのもかっこいい。
翻訳ミステリーや洋画も好きで詳しかったという藤沢周平のテイストがいっぱいで、長篇といっても一気読みできる長さなのが嬉しい。

 
これは映像化されてないはずはないだろうと思って検索してみると、やっぱりフジテレビ系で1984年に単発ドラマとして放映されていた。
仲代達矢主演・隆巴脚本で、無名塾・俳優座を中心のキャスト、作者の若い時代が投影されていると思われる元檜物師の佐之助と浪人清十郎はそれぞれ、役所広司と益岡徹が演じている。
昭和末期のドラマ化からちょうど一世代が経過したわけで、ぜひともリメイクしてほしいものだ。
寒梅忌2018

1月第三月曜日は、米国の公民権運動指導者で凶弾に倒れたキング牧師の記念日。今年はちょうど彼の誕生日15日にあたっている。
だからという訳ではなく、たまたまなのだが、昨年の正月読書に「読んでみたい」と書いてから一年もたってしまった、『アラバマ物語』の続編『さあ、見張りを立てよ』をようやく読んだ。

まず最初の衝撃は、『アラバマ』のヒロイン&語り手であったスカウトの、兄のジェムが若くして心臓病のため突然死しており、『見張り』には回想でしか登場しないこと。これは作者自身の兄のことが反映されているようだ。
代わりに、『アラバマ』では存在感の薄かったアティカスの弟、医者のジャック叔父さんが重要シーンで登場するのは嬉しいが、ジェムの不在は『アラバマ』ファンにとってはあまりにも大きすぎる。

大問題となっていた「
アティカスの変節」問題だが、私の読んだ限りでは「変節」とはいえないだろうと感じた。アティカスがKKKや人種差別主義者と同じ行動をとっているわけではなく、地元の付合いとして彼らと同席しているだけだからだ。

考えてみれば、『アラバマ』でも、アティカスは一南部人として普通に社会生活を送っていたのであり、彼が
完全に白人優位思想から脱しているという記述はなかったのだった。
しかし、妻を早く亡くしたシングルファーザーとしてのアティカスが、教育についてはかなり自由な思想を持ち、子供も一人の人格として尊重していたこと、また何よりも、メインストーリーである黒人青年の冤罪を晴らす弁護活動を貫いたことの印象から、読者は彼が黒人公民権活動の活動家でもあるような錯覚に陥ってしまったのだ。

『アラバマ』はこのメインストーリーが感動的で、さらにそれが子供たちの視点から描かれているため非常に読みやすかった。『見張り』はそれに比べるとかなり読みづらい。成長してニューヨークでキャリアウーマン生活を送るスカウト(これも作者の実体験らしい)が、故郷メイコームに帰省して起こるいろいろな出来事と、過去の思い出が交互に出てくるのもややこしいし、子供時代は魅力の一つだった、スカウトのややエキセントリックな性格も、大人として見ると、ちょっと「引いて」しまう感じがある。とくに日本人読者にとっては・・・

ところが、もともと作者が本当に書きたかったのは『見張り』のほうだった、いや先に書かれていたのは『見張り』のほうで、それが編集者による助言の結果、大幅に改変されて『アラバマ』になったと言われている。詳細は不明だが、そうだとすると大変うなずけるのである。
さらに映画化によって、理想的ヒーローとしてのアティカス・フィンチ像が完成されてしまった。 あまりにもハマり過ぎたグレゴリー・ペックは、ある意味、罪造りだったかもしれない。

暮しの手帖社が翻訳出版した『アラバマ物語』を読んだ人は必ず覚えていると思うが、巻頭に作者ハーパー・リーとG・ペックのツーショット写真が載っている。
この写真で印象に残るのは、作者が何だか、とまどったような固い表情をしていることで、自然体で超格好よく写っているペックと対照的。それは単に、田舎で静かな生活を送っていた女性が急にスポットライトを浴びた緊張感のせいだろうと、ずっとこれまで思ってきた。
今、続編(というか実際には元祖作品?)の『見張り』を読んでみて、この作者の表情が腑に落ちた気がする。

G・ペックは数々の栄誉を受け、15年前に世を去った。晩年には度々大統領選への出馬も乞われていたという。この映画がなかったら、ちょっとだけ栄光が地味になっていたかもしれないがそれでも充分に一流の映画人としての生涯を送ったに違いない。
しかし小説については、作者のデビュー作が『アラバマ』ではなく、当初の構想どおり『見張り』のほうで出版されていたら、それは一南部女性作家のデビュー作として、映像化なども無縁な知る人ぞ知る存在、もし邦訳されたとしてもごく限られた読者にとどまっていただろう。
その代わり、作者はスカウトとアティカスの物語をその後も書き続けたに違いない。
初の黒人大統領が米国に出現した時、アティカスはすでにこの世の人ではなかったかもしれないが、スカウトは、メイコームの人々は、それをどう受け止めたか。私たちはそれを知るよし無く、代わりにベストセラーで「米国の良心」を代表する名作『アラバマ物語』の本とDVDを手にしている。

要するに作者が書きたかったのは、自分でもはっきりと整理することのできない、混沌とした思いだったのではないか。故郷の風物人々への深い愛と、決して抜け出すことの出来ない因習に対するいらだち。実母を早く亡した自分を「一人前の南部のレディ」に育てようとする叔母の俗物性に対する許し難い思いの一方で、叔母の家事や社交のスキルに自分は遠く及ばず、故郷で年老いていく父の世話も叔母に任せきりにしなければならない状況。自分は心を許して友人付合いをしているつもりなのに、黒人たちからは最終的に一線を引かれてしまうもどかしさ、等など・・・


そうした思いに揺れ動くスカウトから見ると、父アティカスの態度は偽善的に見えてしまう。アティカスの中には白人優位思想も残っており、急速な平等化は黒人自身のためにもならないという考え方だ。また南部人としての誇りも高く、連邦政府の介入は許しがたいという気持ちを隣人たちと強く共有している。
つまりアティカスの英雄的な冤罪弁護活動は、人種平等主義から出たものではなく、白人優位社会であろうと、冤罪は白人でも黒人でも許せないという、リアリストで誠実な司法人の姿勢だったのだ。あの弁護活動は、もともとの作者の大河のような構想の中での、一つのエピソードにすぎなかったのではないだろうか。


偽善者とは暮らせないという娘に向ってアティカスは言う。
「偽善者だって、この世界で生きていく権利はあるんだよ」

ラストの父娘の論争ははっきりいって読んでもなかなかわかりづらいが、最終的に父親への愛情を再認識したところで終っていることは安心できる。

タイトルの「見張り」とは、「さあ、見張りを立たせ、見たことを告げさせよ」という聖書イザヤ書21章6節の主の言葉から採られたものだそうだ。
作中、スカウトの思いが綴られている。「自分を導いてくれる見張りが欲しい。そして、何を見たか一時間ごとに報告してもらいたい。ある人が何か言っても、実際に彼が言いたいのはこういうことだと説明してくれる見張りが欲しい。真ん中に線を引いて、こちらはこういう正義、あちらはああいう正義だと言い、違いを私にわからせてくれる人。」

子供時代のスカウトの「見張り」はアティカスだったのだろう。全幅の信頼を寄せることの出来る父の存在を当然として育った娘が、大人になって、親子でもわかり合えない部分があると気づくのは自然の成り行きである。そう思って読むと、この物語は黒人白人、米国北部南部というテーマを越えて、古今東西共通の、子の成長とその親の物語であるのかもしれない。 

G・ペックも含め、『アラバマ物語』関係者はほとんど故人となってしまった。
3人の子役の中でも、ディルを演じた俳優はエイズで死去しているという。
ジェム役の子は10年ほど映画やテレビに出演したのち、芸能界を去ってビジネスマンとして活躍しているそうだ。

スカウトを演じたメアリ・バダムだけが今も女優として活躍中で、『見張り』の出版についても思いを語ったりしているのは嬉しいことだ。
そして、隣人ブー・ラッドリーを演じたロバート・デュヴァルが、今なお80代で活躍しているのはとても頼もしい。

正月読書日記 2018
昨年に引き続き、お正月のお能は宝生能楽堂の「翁」、今年のシテは宝生和英さん。
その他「葛城」「車僧」と合わせて三曲というコスパは嬉しいが、番組の1ページに三曲となると、いつも入っている「演者の一言」のスペースがなくなってしまうのは残念。

昨年は確か狂言方が大蔵流だったのが、今年は和泉流? 

「翁」 シテ:宝生和英 千歳:佐野登 三番三:能村晶人 面箱:上杉啓太

「葛城」(小書:神楽) シテ:佐野由於 ワキ:福王和幸 ワキツレ:矢野昌平・村瀬慧
            アイ:山下浩一郎

「車僧」(小書:白頭) シテ:前田晴啓 ワキ:高井松男 アイ:河野佑紀

 狂言「酢薑」  酢売:野村萬  薑売:野村万之丞
宝生月並能1月



おたま:さて今日は、ウォークマップ出版の風人社最寄り駅でもある小田急線の世田谷代田駅からスタート、代田八幡から廻っていくよ。

◇あっ、見て! 富士山だ! こんな駅前から富士山が見えるんだね。

おたま:代田は知られざる富士ビュースポットなのさ。昔はお江戸の中心からでも富士山が見えたんだから、もっと西のここらへんからは見えて当たり前だけど。

◆昔は邪魔になる高い建物もなかったし、空気も綺麗だったから、よく見えただろうね~~

◇環七に出るとすぐ、代田八幡の大鳥居が見えるね。


◆あれ、歩道橋からも入れるんだ。なんか中二階みたいになってて面白い。


おたま:大鳥居のほうは明治以降のものなんだけど、脇の鳥居は天明五年(1785)に作られた、世田谷区で二番目に古い鳥居なんだよ。一番古いのは狛江市との境にある氷川神社の鳥居で、これより百年以上古いけど。

◇茅の輪くぐりがあるほうの鳥居だね。


 
おたま:環七からは、北沢川緑道を通って代沢へ向かうよ。


◆緑道入口に、世田谷一周ウォークのお知らせが貼ってあるね♪


◇ここは元・北沢川だったの? この前、芦花公園の粕谷八幡へ行く時に歩いた緑道は烏山川だったよね。



おたま:そう、烏山川は烏山の鴨池が水源の、本来の川だったけど、北沢川は湧き水や細い流れを調整して、北沢村の人たちが作った農業用水だったんだ。

◆わ~、立派な入口だ。これ北沢八幡? でもここ、神社じゃなくてお寺だよね。

おたま:ここは淡島(粟嶋)の森厳寺。九品仏や豪徳寺と並んで世田谷区名所の一つだよ。もともとは、これから行く北沢八幡の別当寺だったんだって。

◆別当寺っていうのは、平岩先生の代々木八幡と、その隣の斉藤弥九郎のお墓がある福泉寺の関係だよね。

おたま:そうそう。森厳寺は結城秀康ゆかりのお寺らしいけどね、境内にある淡島堂の施灸が大人気だったそうで「淡島さん」の名のほうが有名だね。



◇ほんとだ、入口に「淡島大明神」の立派な石があるね。あっ、道標も兼ねているのね。「北ほりのうち・よつやみち、東あをやま、南ゆふてんじ・めくろふとう」文化十一年だって。 

◆世田谷区の道標って、祐天寺や目黒不動関係が多いよね。

おたま:「北ほりのうち」にも、妙法寺や高円寺の寺町が今でもあるよね。

◆西の行き先は書いてないの?


◇世田谷区の西・・・畑や草っ原ばっかりで何もなかったんじゃない?


おたま:調布市や狛江市の人に怒られるよ!



◆北沢八幡、お詣りの人がたくさんいる~~


おたま:ここは「七沢八社随一正八幡宮」といわれているからね。八八幡巡りも、ここから始めるか、ゴールにするかっていうのが本当みたい。

◇ふーん、ここがトップなの? この前の八幡山の「ザ・八幡」が場所も真ん中だし、トップなのかと思った。

◆あっ、ここにも富士見ポイントがあるんだね。樹と樹の間から、うっすらと見えるよ!

◇昔はビルなど勿論、家も少なくて、ここから見える富士山はさぞ神々しかっただろうね~


おたま:さて次は、茶沢通りでもいいんだけど、一つ西側の鎌倉通りを行ってみよう。
 

◆あ、キャロットタワーが見える。三軒茶屋ゾーンに入って来たんだね~

◇家庭幼稚園って幼稚園がある。珍しい名前だね。なんか昭和っぽい。


 
おたま:戦後、鳩山さんたちと一緒に活躍していた政治家で曹洞宗の僧侶でもあった広川弘禅さんが作った幼稚園だね。弘禅さんが亡くなった時、奥さんの志津江さんが急遽身代わり候補になってトップ当選して話題になった。この幼稚園も長い事志津江さんが園長をしていたけど、今はお嬢さんの静さんが園長らしい。

◇鳩山さんって、鳩山ユキオ?

◆ちょっと、おたま姐さんの歳考えなさいよ。鳩山一郎さんだよ~


◇一郎さんかぁ。ユキオの父ちゃん・・・


◆お祖父ちゃんだよ!!


おたま:(怒)くだらない事言ってる間に、太子堂八幡着いたよ! 

◇太子堂八幡? このあたりの町名も太子堂なんだよね。聖徳太子の太子?

おたま:この近くにある円泉寺っていうお寺がここの別当寺なんだけど、南北朝の頃からそこに聖徳太子の像を安置した太子堂があって、ずっと太子堂という地名になってるらしいよ。この八幡も古いらしくて、八幡神社っていうと八幡太郎義家が奥州征伐の行き帰りの途中で寄って出来たっていう所が多いけど、ここにはもっと前から石清水八幡を勧請した神社があり義家たちがそこで勝利祈願をしたと伝えられているんだって。もともとこの辺には鎌倉道があってね、太子堂と若林の境から、北沢と代田の境の道を通って鎌倉へ道が通じていた(さっきの北沢緑道にも、鎌倉橋というのがあるんだよ)、だから結構開けていたのかもしれないね。

◆若林っていえば、世田谷区で一番古いのが若林小学校って聞いたことがある。

おたま:よく知ってるね。明治維新のすぐ後、太子堂郷学所っていう学校がこの辺に出来て、それが今の若林小学校なんだ。



おたま:さ、次は駒留八幡だよ。烏山緑道と世田谷線の踏切を越えて行こう。

◆わ~細い路地がいっぱい! さすが世田谷って感じ~~でも、おたま姐さん、どの道を行くの?

おたま:駒留八幡は環七沿いだから、適当に向こうの方に進めばどっかで環七に行きあたるよ。

◆アバウトだなぁ~

◇広い通りに出たけど・・・なんか様子が違う、これ環七じゃなくて世田谷通りに出ちゃったみたい?

おたま:あ~もうちょっと右寄りに行けばよかったかもね・・・

◇え~ウソ! どうしよう、迷子になっっちゃたの? あと二つも残っているのに~~

おたま:大騒ぎするんじゃないよ、世田谷散歩ってのは、迷うのも楽しみの内なの!! 世田谷通りをしばらく右に行けば若林交差点で環七に出るよ。

◆あ~ほんとだ、若林交差点に出た。よかったよかった!

◇交差点を過ぎてすぐ、右手に空き地みたいなのが見えてきたね。あぁ、ここが駒留八幡の裏手なのか。

◆駒留八幡は若宮八幡ともいうって書いてある。

おたま:ここを建てたのは世田谷吉良七代、吉良頼康という人で、祀られている若宮というのは頼康の息子にあたるんだよ。

◇吉良といえば、忠臣蔵の吉良上野介を思い出すけど・・・

おたま:吉良家は、清和源氏の流れ、八幡太郎義家の傍流でね。

◆嫡流は義親⇒為義⇒義朝⇒頼朝と続くけど、実朝が暗殺されて断絶しちゃったよね。

おたま:そうそう。まず分かれたのが新田家で、初代新田義重は確か為義の従兄弟になるんだったかな。義重の弟義康の系統が、何代か後に足利と吉良になる。そして吉良は更に西と東に分かれて、西が三河、東が武蔵に拠点を持つわけ。

◇そうか~、三河のほうが三州吉良、上野介の祖先だね。

おたま:うん。そして、これは案外知られてないみたいだけど、東西に分かれた吉良の間にもう一人兄弟がいて、この人は今川家の祖になったんだ。

◆へ~知らなかった! 今川義元・氏真が、足利家の血筋っていうのは聞いたことがあったけど、吉良上野介とも遠い親戚!

◇そういや、キャラもちょっと共通してるかも♪

◆なるほど静岡の今川を間に挟んで、愛知県の三州吉良と、関東の武蔵吉良ってわけね。納得!!

おたま:それで、関東に行った吉良のうち、数代あとの吉良治家という人が世田谷城を拠点に世田谷吉良家と呼ばれるようになったんだ。世田谷吉良家は後北条氏と婚姻関係を結び、七代目頼康の時が最も勢力を伸ばした絶頂期だといわれる。もっとも、頼康の次の代には、北条家が秀吉に滅ぼされて、吉良家も終わっちゃうんだけど・・・

◇若宮のお母さんを祀ったのが厳島神社なんだって。この小さなお社かな?

おたま:吉良頼康の話が出たからには、常盤伝説の話もしなけりゃね。世田谷区の区の花に指定されている鷺草は、常盤の化身とも言われているし・・・

◆常盤って、源義経のお母さんじゃないの?

おたま:もう一人の常盤、この人は、世田谷七沢の一つ奥沢の城主の娘で、頼康の側にあがり寵愛を受けていた。七沢の所で話題に出たけど、今の九品仏浄真寺のある所は昔、城だったんだよね。台地を九品仏川の低湿地帯が取り囲んでいる天然の城郭で、その湿地帯に鷺草が群生していたんだって。頼康が常盤を見初めたきっかけが、鷺の足に結ばれた常盤の和歌だったとか、いろいろエピソードの盛り込まれた物語があるんだよ。

◇へ~面白そう。どんな話なの?

おたま:まぁ大ざっぱにいえば、不倫冤罪の悲劇っていうか、日本版オセロー? 常盤は世田谷のデズデモーナってところかね。常盤への寵愛をねたんだ側室たちが、常盤は家臣の一人と密通しており、腹の子もその家臣の子だと告げ口したことで、常盤はついに自害に追い込まれて胎児と共に落命。その後冤罪だったことがわかったという・・・

◆へぇぇ~~悲劇なんだ。世田谷区民はみんな、この話を知っているの?

おたま:どうだかねぇ。知らない人も多いんじゃないかなぁ・・・冤罪と知って激怒した頼康が、讒言した十二人の側室たちを全員処刑。八幡神社を建てて常盤の腹の子を祀り、境内に弁財天の厳島神社も作って常盤の霊を慰めたという。

◆十二人も処刑?! 他罰的な奴っちゃなぁ。シェイクスピアのオセローは自責の念で自害したのに・・・

◇全く、讒言を信じた自分がまず反省しろって話だよね~

おたま:オセローでは、白人vs有色人種という問題が大きなポイントになっているけど、男の嫉妬にはコンプレックスという要素が重要かもね。

◇あっわかる! 今BSで再放送している「花子とアン」で、白蓮の旦那さんが、どんなに財力を誇示しても妻を振り向かせることが出来ず、妻が求める文学の素養や教養が自分に欠けている事がわかっているけど認めたくないという・・・

◆吉田鋼太郎、最高だよね! あのドラマの後、舞台のオセローもやってたけど、苦悩ぶりが半端なかった。

おたま:常盤伝説があまり世に知られず世田谷限定になっちゃっているのは、コンプレックス問題とかがなく単なる権力者と愛妾ってだけの話に終わってるんで、今いち話にコクがないっていうか、インパクトが不足してるかもね~

◇さてあと残るは一つ、世田谷八幡だけだね。

おたま:途中にちょうど、常盤伝説の由来を説明した「常盤塚」も通るよ。

◆今、思い出したんだけど、駒留神社って、ずっと前に一度来たことがあると思うんだ・・・だけど、こんな環七みたいな広い通り沿いじゃなくて、なんか雰囲気もかなり違ってて・・・ずっと前のことだから記憶がずれてんのかもしれないけど。

おたま:あっ、それはね、あんたが前に来たっていうのは、この駒留神社じゃなくって、きっと駒繋(こまつなぎ)神社のほうだよ! 住宅街の中にあるんだけど、こんもりした森みたいな、ちょっと鬱蒼とした所だったでしょ。

◆そう、それだよ!! ここと違うの? 

おたま:世田谷区民でも結構、混同してる人が多いよ。世田谷八八幡の中に「駒繋神社」って間違って書いてあるサイトとかもある。駒繋神社は八幡様じゃなくって、子(ね)の明神(大国主命)を祀った神社。駒繋の駒は、源頼朝の愛馬で、七沢の一つ「馬引沢」の時に話した、葦毛塚ゆかりの神社なんだ。

◇駒留と駒繋、確かに紛らわしいよね~~

おたま:駒繋神社は、ここから目黒川に続いている蛇崩川緑道沿いだから、こんど目黒川の花見ついでにでも、行ってみようかね。

◆◇楽しみだな~~

おたま:また世田谷通りに戻って、西に進んでいくと世田谷八幡だけど、せっかくだから大吉寺のところで左に折れてボロ市通りをちょっと歩いてみようかね。

◇大吉寺、寺内大吉さんのお寺で伊勢貞丈先生のお墓があるところでしょ! 『目籠』の現場検証に書いてあったよね。

おたま:すごい記憶力だねぇ、書いた当人のあたしも忘れてたよ(^^;

◆これがボロ市通りかぁ。

おたま:大山街道の一部でもあるんだね。毎年1月と12月に開かれる世田谷ボロ市は、北条氏政から楽市の権利を与えられて、430年の歴史を誇るイベント。いつもはこんな静かな通りだけど、ボロ市の時だけ異常な混雑で、世田谷線も増便になる。

◇あっ街灯に「世田谷代官」って書いてある。お代官さま~~~

おたま:ここが代官屋敷だよ。敷地内にある郷土資料館は、知る人ぞ知る小さな資料館だけど、北条幻庵覚書など保管されている史料や時々行われる特別展示の内容充実ぶりには定評があるんだ。去年の年末にやっていた「地図で見る世田谷」展の図録も、こんなに厚いのが千円で、展示物すべての詳細な解説と全部の展示地図が入っているCD込み!

◆ふ~ん、今度ゆっくり来てみよう。ところで、今でもこうして代官屋敷が残っているくらいだから、世田谷の代官って土地の人たちに愛されていたんだね。

◇時代劇なんかだと「越後屋~~おぬしも悪じゃのう、イッヒッヒ」「ムッフッフ、お代官様ほどではござりませぬ~」みたいな感じの悪代官イメージが強いけどね。

おたま:明治維新まで代々ここの代官を勤めた大場さんは相模の豪族大庭氏の流れで、もともとは吉良家の老臣だったけど、北条・吉良が滅亡したあといったん帰農して、そのあと改めて徳川配下の井伊家の代官にリクルートされたらしいよ。

◇勤めていた会社が大企業に吸収合併されて、いったん脱サラしたけど新しい会社にまた就職したって感じかな。

おたま:それだけ大場さんに領地運営の手腕があったんだろうね。徳川にしても井伊にしても、出身地から遠い世田谷のこのあたり、最初は全く勝手がわからなかっただろうから、土地の人々と絆もあり信頼できる管理人が必要だったんじゃない? 今の世田谷区長は保坂さんだけど、前の前くらいまでは代々大場一族の大場さんが区長だったし、区内の学校のPTA会長とかも大場さんが多いんだよ。

◆そういえば世田谷区民だったことのあるタモリさんが「大場区長もお友達」って言ってなかったっけ、まだ「いいとも」やってる頃。

◇ここからは世田谷線の線路に沿っていくんだね。あ、世田谷線宮の坂駅前に出た。

おたま:宮の坂駅には、玉電時代の車輛が置いてあって、子供たちの遊び場にもなっているよ。

◆あっ、新旧の世田谷線車輛が並んだ!

おたま:宮の坂駅からすぐの世田谷八幡、なかなか堂々としたお宮だよね。八幡太郎義家が奥州での戦勝御礼に創建したとも、世田谷吉良氏がここを拠点にした時に鶴岡八幡を勧請したともいわれ、はっきりした由来はよくわからないらしいけど。毎年秋の大祭に行なわれる奉納相撲の土俵もあるんだよ。

◇本日のゴール世田谷八幡に到着!

◆ついに世田谷八八幡、クリアしました!

おたま:この勢いで、今度は江戸の八八幡詣で十五里に挑戦するか?!
 

※参考資料は前篇と同じです。もしかしてブログ開始以来最長?? 長々お付合いいただき有難うございました!

世田谷八八幡めぐり(後篇)