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朝刊を見たら、悲しいニュースが目に飛び込んできた。
杉本苑子さんが5月31日に亡くなられたという。
最近しばらく新作の発表がなく、さすがにお歳で現役は引退されたのかなと思っていたが・・・享年91歳は、しかたがないとはいえ、やはり寂しい。
学生時代、歴史の時間=睡眠の時間であった私は、社会人になってから、杉本さんと永井路子さんの本で日本史の知識のほとんどを得たようなものだ。

奈良時代を描いた大河小説『穢土荘厳』、奈良から平安へ嵯峨天皇の后として激動の時代を生きた橘嘉智子の生涯『檀林皇后私譜』、徳川秀忠・江の娘で京都朝廷に嫁し女帝明正天皇の母となった東福門院和子『月宮の人』などについては、ブログ前身のHPの読書日記でも少し触れている。

http://sfurrow.warabimochi.net/gensan/gb_books/history03.html

杉本さんのデビュー作はというと、1951年に『申楽新記』、1952年に『燐の譜』という作品が書かれており、いずれもサンデー毎日の賞に入選している。
この2編は、図書館やアマゾンで検索してみてもわからないのだが、『申楽新記』は、その後『華の碑文―世阿弥元清』として代表作の一つになったそうだ。『華の碑文』なら、瀬戸内寂聴さんの『秘花』そして我らが平岩弓枝先生の『獅子の座』と3冊まとめて本棚に並べてあり、それぞれの作品に登場する世阿弥を比べてみたいと思っているが、いつになるやら・・・
『燐の譜』のほうも、後に何かの作品に発展したのかと思い調べてみたが、よくわからない。ようやく検索の結果、富山県のある高校のOB会ブログで詳しい解説があるのを見つけた。非常に興味深い内容だ。

http://www.ofours.com/higashi5/2014/1110_070000.html

なぜ富山県かというと、『燐の譜』の主人公が、「越中氷見村朝日山の観音堂」に住んでいた面打ちの僧侶、氷見宗忠という人物である故。つまり2編のデビュー作はいずれもお能関係だったわけで、杉本さんの若い頃からの能楽への造詣を示している。
そういえば『能の女たち』という新書も持っていたはずと引っ張り出してみると、ありましたありました! 十一章「『藤戸』の母―権力を屈伏させた底辺の力」の中で触れられている。能「藤戸」の後ジテがつける「痩男」の面を打った氷見宗忠という僧侶の逸話で、納得のいく面が打てず、墓から死人を掘り出しその顔貌を見つめてようやく面を完成させたという話(岡本綺堂の『修善寺物語』などと共通の感じ?)。
杉本さんは戦前・戦中に活躍した面打ち作家入江美法氏の『能面検討』という著作でこの痩男面について知り、「戦後しばらくして、私は氷見宗忠を主人公にした『燐の譜』という短編を書き、図々しくも毎日新聞社の懸賞小説に応募。まぐれ当りの入選をはたした」と書いておられる。

この『能の女たち』は、わかりやすくかつ奥の深い、お能初心者必携の本である。



古代の女帝やお能以外でも、杉本さんの守備範囲はたいへん広い。

(追記:6月4日)

今朝の朝日新聞「天声人語」が杉本さん逝去を取り上げている。紹介されている作品は『孤愁の岸』と『春風秋雨』。『春風秋雨』は随想集で(最近はほとんど「エッセイ集」と言うようだけれど、「随想集」っていうのはいいよなぁ)、「葬式も墓も無用、骨は海に撒いてほしい」という言葉が紹介されている。最近では作家に限らず、墓を建てず散骨してほしいという人は多いけれど、杉本さんの場合は、墓の代りということだろうか、「使い古した広辞苑を一冊だけ埋めてほしい」という言葉も載っているそうだ。

『孤愁の岸』は直木賞作品なので、やはりこれが杉本さんの代表作ということになるのだろうか。「宝暦治水」の話ですよね。
私はこれの十年後に書かれた『玉川兄弟・江戸上水ものがたり』のほうは大分前に読んだ。都民としてはやっぱり毎日お世話になっているこの地の水道の設立についてちょっとは知っておかなければならないし、玉川上水は、近場でも少し遠出したい時にも、便利なお散歩コースだから。
しかし『孤愁の岸』のほうは読んでいない。『翔ぶが如く』もそうだけど、「薩摩の話ねえ・・・ま、時間あったら読もっか」みたいな感じになっちゃうのです(^^;
ところが、東海道を歩いていたら、思いがけない形でこの宝暦治水・孤愁の岸に出会った。
桑名の、旧東海道から少し美濃街道のほうに入ったあたりに海蔵寺というお寺があり、そこが宝暦治水に関わった薩摩藩士たちの墓所があるのだ。っていうか、この寺が大々的にそれを売りにしているわけだ。(右の写真でわかるとおり、祭壇の前に『孤愁の岸』が積み上げられ販売されている)
 


確かに、身を削って治水事業に貢献したにもかかわらず、多くの犠牲者と巨額の経費の責任をとって自害に追い込まれた平田靱負ほか薩摩藩士たちの苦悩と無念さは、思っても余りある。しかし、丸に十字の薩摩ロゴが境内いたる所にはためいているのはともかく、「薩摩義士」っていうのはどうなんだ。忠臣蔵か?!なんて思ってしまうのは、4分の1長州人の僻みですかねぇ。玉川上水の開削だって大変な苦労があったわけだし、伊奈半十郎だってそれで切腹している。。。とずっと思っていたのですが、最近調べてみたら、これは杉本さんのフィクションで、実際には伊奈半十郎は自害してはいなかったんだそうですね(@_@)

まぁ、木曽川・揖斐川・長良川という大きな三つの川の水難に悩まされていた当地の人々にしてみれば、はるばる九州の地からやってきて、さんざん苦労してくれたのに報われなかった薩摩藩士たちを「義士」と奉る気持ちもわからなくはない。保身と都合の悪いことはすべて隠蔽で動く国家権力のもとで、現地のリーダーが血のにじむ苦労を強いられるという構図は、先年の震災を始め、今でもあちこちで見られる事態なのである。

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追悼:杉本苑子さん

4月から始まった新しいNHK朝ドラ「ひよっこ」は、昭和三十年代の茨城県の農村が舞台だ。茨城といえば東京からすぐ近くの土地なのに、何もかも都会とは対照的な「田舎」の代表として描かれている(当時はもちろん、教育大学もまだ筑波に移転する前だった)。
ヒロインの父親は、オリンピックに向けて急再開発途上にある東京へ出稼ぎに行っており、建設現場で働いているという設定だ。

しばらく前に大ヒットした映画「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズでは、東京タワー・東京オリンピック・新幹線などが、未来への希望の象徴となっていた。「ひよっこ」も、それと共通の雰囲気から始まる。若者も子供も大人も老人も、みんな前向きに明るく生きている。しかし、序盤すぐに物語に暗雲が・・・家族思いで頼りになる「お父ちゃん」の消息が突然途絶え、杳として行方が知れなくなってしまうのだ。

『オリンピックの身代金』を読んでみようと思ったのは、この小説が東京オリンピックの「裏の顔、陰の部分」を描いたものとして話題になったのを思い出したからである。確か映像化もされたようだ。

作者の直木賞作家奥田英朗は、中学3年生で東京オリンピックを体験した私よりちょうど十年下の世代、開催当時は小学校にあがるかあがらないかだろう、実体験としての記憶はごくわずかに違いない。しかし膨大な資料と徹底取材の結果と思われる当時の世相の鮮やかな描写、本筋も面白いが、ディテールが非常な魅力で、一気読みしてしまう。
主人公は東北の農村出身の優秀な学生。兄は「ひよっこ」の父親と同様、出稼ぎで東京の建築現場で働いている。この兄の突然死をきっかけに、東京オリンピック開催に向けての急激な再開発が、下請け孫請けの過酷な労働条件をエスカレートさせ、理不尽な社会格差を広げていることに憤りを感じ、手作り爆弾を製造してオリンピックを粉砕しようと目論む。

「ひよっこ」でも、東京の建設現場で事故のあったことをテレビのニュースで知り、まさかお父ちゃんでは…と家族が胸を痛める場面があったが、小説にも「環八の陸橋工事で作業員が三人も死んだのに、新聞の扱いは写真すらないベタ記事」という箇所がある。具体的に書かれているのでたぶん、縮刷版など探せば実際にこのような記事があるのだろう。
「ひよっこ」の、行方不明となった父親がいた東京の宿泊所を母親が訪ねるシーン。当時としては、まだ労働条件の良い現場だったように見えるが、もちろん個室など望むべくもない、「お父ちゃんはこんな所に寝泊まりして、稼ぎの大部分を仕送りしてくれていたんだ」と言葉にはせずに思いを噛みしめる木村佳乃の表情がとても良かった(このシーンでは無言だった彼女が警察署で、「一人の出稼ぎ作業員」ではなく、名前と家族を持った一人の人間を探してほしいと思いのたけを訴える、その伏線にもなっていた)。

当時の出稼ぎ労働者の蒸発が珍しくなかったことは、朝ドラでも小説でも触れられている。苛酷な労働条件も、みな軍隊経験者であった当時の男性たちにとっては今ほど耐えがたいものではなかったのかもしれないが、重労働で稼いだ金もほとんど仕送りで消える生活。よほどの家族との信頼・絆がなければ、金さえあれば面白おかしく生きられる都会の闇に飲み込まれてしまうだろう。さらに、都会に慣れない人々を狙うスリや詐欺、疲れを取るという名目ではびこる粗悪なヒロポン・・・

多数の個性ある人物が登場し、さまざまな側面から事件に関わっていく。ほんのちょっとのシーンでも印象に残る描き方は、突飛な精神科医を主人公にした「空中ブランコ」のシリーズなどと共通している。シリアスなテーマを、アップテンポで時々笑いも入れながら描いていくのが、この作家の特徴であるようだ。
五輪警備の総責任者である警察庁エリートと、その息子でテレビ局に勤める親子が対比的に描かれる。今でいう「チャラ男」なテレビ業界人は、往年のフジテレビプロデューサー横澤彪あたりがモデルか。テレビは新聞社には格下と見られているが「百万語を費やすより世紀の一瞬を映像で見せ」るほうが勝つに決まっている、と草分けテレビ人は言い放つ。「新聞記者なんてニ年目ならペーペーの使い走り」に過ぎないが「テレビ界は上がいないから俺でも即戦力」当時のテレビ界は、インターネットが登場した頃のIT企業のような感じだったに違いない。

開会式の入場券に十倍の値段がつき、ダフ屋が暗躍、人々はコネを求めて走り回る。
オリンピックイヤー昭和39年といえば、ちょうど終戦直後に生まれた世代が高校を卒業して就職した頃、「戦後生まれなのかぁ」というオジサンオバサン族の嘆息を聞いて育った記憶は私にもある。
今時はこれさえも多分死語の「OL」が「BG」と言われていた頃だった。洋楽と日本の歌謡曲とは完全に断絶しており、若いBGたちの中ではビートルズファンは少数派だったというような、事件とは直接関係のない描写も物語に厚みを加えている。(ただ言わせてもらえば、登場する二人組のBGがジョンとポールのファンというのはどうだろう、彼女たちのキャラならばジョージとポールのそれぞれのファンというほうがふさわしいと思う。ジョージ・ハリソンは若死にしてしまったので今の若者たちの間では存在感が極薄になってしまったが、当時はジョージとポールが人気を二分していた。ジョンのファンは変人というか孤高のタイプ、リンゴーのファンはウケ狙いだったと思う)。
 
松戸の常盤平団地に新婚家庭を構える警視庁の若い刑事(彼がもう一方の主人公になるわけだが、犯人も刑事も応援したくなってしまう)。警視庁の会議室は扇風機の騒音ともうもうたる煙草の煙に包まれている。
東京湾から漁業が失われ失業する漁師たち。江戸前の寿司ネタや海苔の養殖は新設の品川埠頭と火力発電所に取って替わられる。 

東京と地方の格差に怒りを覚えながらも、「東京がながっだら日本人は意気消沈してしまうべ。今は不公平でも石を高く積み上げる時期。横に積むのはもう少し先」と言うスリの老人。このスリがなぜか犯人に協力し、彼の裏世界とのつながりで犯行計画はあと一歩まで進む。
有色人種として初のオリンピックは日本の国力を世界に示す最高の機会であり、国家はその威信をかけてその妨害者を葬り去ろうとする。
国力とは? 国民の生活こそが国力ではないか、と犯人は思う。
東京オリンピックから半世紀、国民の生活は大きく向上した。しかし現在、当時とはまた違った大きな格差が社会に広がる。一握りの組織の上部が権力と情報と報酬を手にし、一兵卒の生命と生活はあまりにも軽いという状況は、今もなお変わっていない。

川本三郎の文庫解説も読みごたえがある。この解説の中で、中国でも北京オリンピック(まさに『オリンピックの身代金』が発表された年に開催)の暗部である底辺の労働者を描いた映画が作られていたことを知った。2004年の「世界」という、中国の若手監督ジャ・ジャンクー(賈樟柯)の作品である。もっともこの映画は、直接にオリンピックの暗部を描くというよりは、どの時代も共通の、恋愛や生き方に悩む青春群像劇という性質の濃いものであるようだ。

ところで『オリンピックの身代金』という、まったく同じタイトルの小説はもう一つある。
直木賞作家としては奥田英朗の大先輩、昭和ヒトケタ世代で陸軍幼年学校卒という経歴を持ち、読売新聞記者から作家に転身した三好徹の作品だ。この作品のオリンピックは、東京オリンピックではなく、その20年後の米国ロスオリンピックである。 

これは光文社の推理小説雑誌「EQ」にロス五輪の年昭和59年に連載され、同年11月にカッパノベルスから出版されたものだが、奥田作品とは全く異なるテイスト。だからこそ、奥田氏も安心して自作に同じタイトルをつけたものと思われる。
また、三好氏は『オリンピックの身代金』の前に『コンピュータの身代金』『モナ・リザの身代金』を書いており、身代金三部作という構成になっている。犯人グループも共通しているらしいので、三冊とも読まないと動機や背景の真相がよくわからないようだ。

この犯人グループの狙いは実は、テレビ局によるオリンピック中継であり、オリンピック放送を妨害すると言って身代金を要求する。オリンピック自体の遂行には全く問題はないわけで、オリンピック「報道の」身代金という設定が斬新だ。
NHKと思われるNBCという半官半民のテレビ局が舞台で、磯村尚徳と久米宏を合体させたようなキャスターが登場して犯人グループと対峙する。犯人グループの狙いが、政界の黒幕の隠し金にあることも、ロッキード事件の余波が続いていた時代を思い出させる。

テレビの草創期であった東京オリンピックの頃からさらに一世代過ぎて、テレビの速報性・視覚的インパクトがすでに圧勝となった時代である。この小説の出た翌年、昭和60年の御巣鷹山の日航機事故で、テレビそれも民放が生存者の存在をいちはやく伝えたことは、世間に大きな印象を与えた。
しかし新聞記者出身の作者は、テレビと新聞の決定的な違いを鋭く突く。どこからも制約を受けず発行する新聞と、政府の許可を得なければ電波の割り当てを受けられないテレビ局と。
電波妨害は法で処罰されるが、日本の領海外で、外国籍の船舶から妨害される場合は日本の法律は及ばない。
奥田作品のように、社会的理不尽に対し情緒に訴えるものではなく、あくまでもクールでドライ な知能ゲームを通じて、社会問題が浮き彫りにされる。日本のハードボイルドの草分けと言われたこの作者にふさわしい作品だ。 

朝ドラ「ひよっこ」に戻るが、行方不明のお父ちゃんの運命はネットでも全く公開されていないようだ。最近はネットやNHK情報誌で「予習」しながら朝ドラを見る面々も少なくないので、父親が間もなく失踪してしまうことは番組が始まる前から一部には知られていたようだが(「朝イチ」でも柳沢さんがうっかり口走って、イノッチと有働アナにボコられていたけど(^○^))、失踪の原因や、家族との再会シーンなどはどういう展開になるのか、全く不明である。

朝ドラでは、お父さんや叔父さんが失踪するのは珍しい展開ではないが、今回の父親はそういうキャラではないので、何か突然の事件にでも巻き込まれたのか…キャラ的には、往年の名作「澪つくし」の「遭難⇒記憶喪失」みたいなのが合っていると思われるが、東京のど真ん中で目撃者も誰もおらず記憶喪失っていうのも納得しがたい成行きだ。ここは脚本家のアイデアと出演者たちの好演に期待しつつ、お父ちゃんの行方はいったん置いて当面のヒロインの新社会人生活を応援したい。

『オリンピックの身代金』

呉服・雲林院ともに二度目だが、あまりよく覚えていない(滝汗)。
月並能の番組にはシテの演者の弁が載っているのが嬉しい。

能「呉服」小書作物出 シテ(呉織/呉織の神霊)當山孝道 
           ツレ(綾織/綾織の神霊)佐野登    
           ワキ(当今の臣下)福王和幸 
           ワキヅレ(従者)村瀬提・村瀬慧 
           アイ(里人)高澤祐介

「演じるにあたって:脇能は謡が命。考えずに謡が出るように稽古して、よどみない華やかな呉服を舞いたいと思います」(當山孝道さん)

「呉服」は知らなければ「ごふく」と読んでしまうのが普通だが、お能の「呉服」は「くれは」である。PC入力で「くれは」と打つと「呉羽」しか出てこないが。摂津の呉服の里は現在の大阪府池田市だそうだが、呉服神社というのがあり、服飾業者がお参りに来るそうだ。
一昨年見た「呉服」は同じ宝生の五雲会だったが「作物出」ではなかったので、機織台は舞台に出なかった。角川本テキストでは小書「作物出」の説明がなく、機織台の写真が載っていたので不審に感じ「作り物が出ない。予算がないのか」と自分のメモにある(赤恥)。
綾織は漢織・穴織などと書かれることもあるようだ。
前シテ・ツレが袖無し割烹着というかワンピース型のエプロンみたいなのをつけているが、これは側次(そばつぎ)といって、これを着ていると唐人女性というお約束らしい。
 
狂言「文荷」 シテ(太郎冠者)三宅右近 (主人)三宅右矩 (次郎冠者)三宅近成

配役は番組に書いてなかったので推測である。父・長男・次男の三宅一家総出演。
破れた恋文を扇であおいで進ませるところが笑える。この恋文は女性でなく、稚児宛てのものらしい。LGBTなどというが日本の伝統ではごく普通のことだったのでは? 謡が「恋の重荷」だったことは後で調べてわかった。「恋の重荷」・「綾鼓」ともに未見なので機会があれば是非見たいと思っている。

能「雲林院」  シテ(老人/業平)金井雄資 
       ワキ(蘆屋の公光)森常好 
       ワキヅレ(従者)舘田善博・森常太郎 
       アイ(所の者)前田晃一

「演じるにあたって:あくまで品格高く瑞々しい流麗な舞が一曲の核をなす「貴公子の能」です。但し情緒一辺倒ではなく、一種貴種流離譚の香りを放てればと考えています」(金井雄資さん)

この曲は世阿弥自筆本といわれる古い形と、現行の曲とで後半が全く違うという珍しいものである。小学館テキストは現行曲で角川本はタイトルに「古形」と但し書つきで世阿弥自筆本に拠っている。古形ではなんと後シテは業平でなく、二条の后高子の兄で業平と対立する藤原基経だという。そして高子自身も登場するらしい。こっちのほうが現代劇的でリアルな感じがするのでこれが世阿弥作というのも意外だ。こちらも是非見たいものである。
伊勢物語については田辺聖子さんの解説本も集英社文庫から出ている。
同じ業平もの「杜若」と共通点がある。基本的にシテとワキのシンプルな曲だが、その割に長い。
今回の二曲、脇能と業平ものだったが、源平ものなどに比べると、やはり少しハードルが高い感じがする。

宝生月並能「呉服」「雲林院」

ネットの開花情報を見ると、今年は何故か埼玉県のほうが東京より早かったり、都内でも世田谷の砧公園は咲き始めなのに、世田谷より北の文京区のほうが満開になったようだった。それで先に小石川植物園のほうに行き、今日は神田川に沿って水源地、井の頭公園まで。
神田川の花見スポットといえば、椿山荘や芭蕉庵・永青文庫などのある関口と、新宿区と中野区の境にある小滝橋周辺、山手線線路を挟んだこの二箇所が有名だが、西の外れのほうにも、知られざるスポットがある。何より、週末でもジモティ老人が散歩しているくらいで、人がおらずゆっくり眺められるのが好い。

花曇りの空の下、小田急線豪徳寺駅から、北沢川緑道を歩く。世田谷区には多摩川や目黒川の支流で暗渠化された小さな川が緑道になっているものが多く、その周辺には北沢・松沢・奥沢・駒沢・深沢など、「沢」のつく地名が多数ある。「上馬・下馬」「駒留」「野毛」など馬に関する地名も多い。馬喰たちが沢ごとに水を飲ませながら、駒を引いて江戸の馬市へ向った名残であろう、かわせみシリーズにもそんな話があった。

      













緑道は入学式の日の丸が出ている緑丘中学校の横を通って上北沢駅前へ出る。途中にある早苗保育園の園庭にある松は江戸城の松と同じ株だという。
世田谷区北部は、桜上水・桜丘・桜一~三丁目など、桜のつく町名が多い。日大陸上部寮に掲げられた大学のマークも桜である。

京王線の線路と甲州街道を越えると、もう世田谷区ではなく杉並区で、杉丸くんというコミュニティバスのバス停が小刻みに設置されている。コミュニティバスの通る通りは昔の鎌倉街道だそうで、この通りが神田川を渡る橋が鎌倉橋である。

              













鎌倉橋の袂にある塚山公園から高井戸まで、川沿いの桜並木が満開で、下のほうの枝はすでに葉が出始めている。まさに三日見ぬ間の桜である。

              













桜がせっかく川面まで枝垂れて美しい姿を見せているのに、川がコンクリート壁が続くだけで味気ないのが残念。まぁもともと神田川は利便のための「神田上水」だったのだから京都の賀茂川のような風情を期待するのは間違いなのだろうが。
環状八号線の清掃工場の煙突も桜に包まれている。ゴミ焼却の熱を利用して温水プールが設置されている。

高井戸駅の周辺は、先日の播磨坂ほどではないが、ちょっとした花見スポット。井の頭線が桜の中の高架を走っている。

               













高井戸からはしばらく並木は途切れ、所々の小公園や空き地に一本桜があるだけ。
富士見ヶ丘駅と久我山駅の間の、井の頭線検車区のあたりで、また桜並木が復活する。

             













久我山駅のあたりは、神田川とその南側に流れる玉川上水が一番近づいている所だ。玉川上水は羽村の取水口から拝島・立川・小平を経て五日市街道に沿ってずっと流れ、井の頭公園の裏を通っているが高井戸から東は現在暗渠化されて、甲州街道に沿って緑道となっている。十年前は井の頭公園まで歩いたら、帰りは玉川上水に沿ってまた歩いて帰ったものだが、今はもうその元気はない(-_-)

曇り空からだんだん陽が射してきて、歩くと汗ばむほどになる。三鷹台駅前の立教女学院が23区の西端で、この先の神田川と井の頭公園は、北に吉祥寺市、南に三鷹市を分ける境となっている。

            













ゆうやけ橋に到着、さすがに公園に入ると人があふれている。始業式の後花見に繰り出したらしい高校生たち、カップル、家族連れ、老人グループなどなど。

         













吉祥寺駅方面から階段を下りて入る広場の入口は、今NHKでやっている又吉直樹原作のドラマ「火花」でも時々画面に出る所だ。

          













池を一回りして弁才天を眺め(お参りは省略)ちょっとカフェで休憩して井の頭線で帰宅。

          













夜、NHK-BSの藤沢周平「立花登」の第二弾を見る。続編が作られて嬉しい。第一弾では、高畑某が柔術道場の友人として登場していたがどうするのかと思ったら、友人は登場せず、新しいキャラが出ている。これって原作には出てきたっけ? さすがに同一人物を役者だけ変えて出すっていうのは憚られたのかなあ。


 

2017桜散歩その2 神田川から井の頭公園
2月26日~3月20日、メトロ三越前駅の地下コンコースで、「街道観光展」が行われた。これは昨年夏、観光庁が「テーマ別観光による地方誘客事業」の一つとして街道観光を採択したことによるもので、NPO法人全国街道交流会議と名橋「日本橋」保存会が主催する、日本百街道展も合せて開催された。

     


     
三越前駅の改札を出て地下コンコースに入ると、まずは17mに及ぶ絵巻「熈代勝覧(きだいしょうらん)」が目を引く。二百年前の日本橋(現在の中央通り)が克明に描かれた絵巻物の複製である。平成21年に、名橋「日本橋」保存会・日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会・三井不動産株式会社が設置したものである。

     

  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「熈代勝覧」とは、「熈(かがや)ける御代の勝れたる景観」を意味し、題字は当時著名な書家であった佐野東洲の描いたものと判明しているが、絵巻の作者は不明である。原画はベルリン国立アジア美術館に所蔵されており日本には無く、江戸東京博物館がフィルムを所蔵しているだけであった。日本橋再開発にあたり、ベルリンの許可を得て江戸博のカラーポジフィルムからその全体監修のもと複製され、日本でも手軽にこの絵巻に接することが出来るようになった。

この「熈代勝覧」がこの地下コンコースの、いわば常設展であり、他のスペースは時に応じていろいろな展示が行われる。日本橋が五街道の起点であったことから、街道関連の展示もたびたび行われてきた。
今回は「百街道」と称して全国に広がる旧街道を始め、山の辺の道、復興支援道路「相馬福島道路」など、新旧のさまざまな道が紹介されている。

   

 
  「鯖街道」はよく知られているけれど、「鰤街道」「鮨街道」もあるんだ~ 
 
   












大河ドラマ直虎ゆかりの浜松のPRも。静岡県は東海道のメインパートであり、東海道新幹線でも最も多くの駅を有している(しかし、のぞみの止まる駅は何故か無い・・・ことは深く追求しないように)
日本地図センターによる街道関連書籍の販売も行われ、我が社の東海道・大山街道マップもしっかり参加させていただいた。













※今回より、「お散歩日記」カテゴリーから、街道関連を独立させて新しいカテゴリーにしました。お散歩日記は純粋に個人的に歩く基本的に半日~日帰りコースのお散歩日記で、街道は業務関連(?)を始め、街道に関する読書やイベントも含みます。
日本橋 街道観光展
3月6日~17日、朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの・わたしの半生」という連載コラム(インタビュー?)に、建築家・建築史家の藤森照信さんが登場されていたのを興味深く読んだ。
新聞を購読していない人も、↓でデジタル版を読めますよ(*^_^*)
http://www.asahi.com/topics/word/%E8%97%A4%E6%A3%AE%E7%85%A7%E4%BF%A1.html

このブログの読書日記の前身である、ホームページの「ストファ図書館」で、はなはなさんが藤森さんの著作をいくつか紹介して下さった。
http://sfurrow.warabimochi.net/gensan/gb_books/gb_books.html

これを機会に、まだ読んでいなかった藤森さんの著作を何か読もうと思い、何にしようか迷ったが、業務関係(?)もあって、『路上観察 華の東海道五十三次』(文春文庫ビジュアル版)を図書館で借りてきた。朝日連載の第5回に取り上げられていた「路上観察学会」に興味を覚えたことも理由である。



路上観察学会というのは、1986年に下記の5人のメンバーを中心に発足した会で、もちろん厳密な意味での「学会」ではないが(山野勝会長・タモリ副会長の「坂道学会」のもう少し大規模版のようなものか?)、「路上に隠れ潜む通常は景観・美観・とはみなされない建物、看板、貼紙などを採集、博物誌的視点や見立てによって解読」する活動を行っている。
5人のメンバーは

赤瀬川源平:画家・前衛芸術家、1981年には尾辻克彦名で芥川賞を受賞、作家としても活躍
藤森照信:東大建築史科教授、建築家としても数々の賞を受賞
南伸坊:「ガロ」編集長を経てイラストと共に文も書く「イラストライター」として活躍
林丈二:デザイナー。マンホールの蓋やブロックの穴のデザイン等について独自の研究
松田哲夫:筑摩書房編集者、「路上観察学会入門」出版が会の立ち上げとなった

46~47年生まれの藤森・南・林・松田よりも10年ほど先輩だった赤瀬川さんは、非常に残念なことに、2014年に亡くなられたが、残る団塊世代の4人は現在も幅広く活躍中である。

この『路上観察 華の東海道五十三次』という本が出版されたのは1998年、ほぼ20年も前のことで、街道歩きなどという事は今よりももっとずっとマイナーだったし、私自身も全く興味外だった。
発行は文春だが、企画制作は「株式会社同文社」とあるので、この会社のこと、企画制作のいきさつを知りたいと思って検索してみたが、同名の会社はいくつかあるものの、それらしい社のHPさえ見つからない。今はもう無い会社なのか? 私も自分が極小出版社に勤務するようになって初めて、世の中には誰も知らない小さな出版社や誰も知らない出版物というのがウンカの如くあって、その実態は非常にわかりにくいという事を知ったのだけれど、、、
この企画がもう少し遅ければ、我が社が企画制作を担当するということも、あり得たかもしれないのだよなぁ。

もっとも、5人のセンセイ方も本業が超多忙であっただろうし、路上観察は必ずしも街道全踏破を目的とするものではないので、5人のうち2~3人が一組となり、それぞれ東海道の一部分を担当して、それも「宿場をひと回りして、写真を撮って、次の宿までは「じどうしゃ」や「でんしゃ」で飛ばす」「昔にくらべりゃ、ずいぶん楽な旅」(南伸坊さんあとがき)という制作方法であったらしい。
本書の構成は、東海道五十三次の各宿場(+日本橋・三条大橋)ごとに分けて、ごく簡単にまとめた「由来」「見所」「珍品」(普通のガイド本的な部分はここだけ)、それに各人が見つけた路上観察物の写真とコメントが並んでいる。もちろん、一般の東海道ガイド本ではスルーされている、いや最初から撮影対象の埒外にあるものが大部分だが、たまに東海道を歩く人は必ず立ち寄る寺社の狛犬や石造物なども細かい観察で取り上げられていたりする。
5人それぞれによるあとがきも愉快で、5人の興味の対象やアイデアも、全くバラバラなのだが、既成の価値観とか権威に捕らわれないという所が共通しているのかもしれない。

私が一番共感したのは、松田哲夫さんが書かれている、東海道はそのメインである「海道」よりも、現在の新幹線や東海道線から離れた、鈴鹿峠あたりから京都の近くまでの部分が一番面白いという所だ。これは実際に歩いてみると本当にそう思う。三重県から滋賀県にかかるあたりだろうか。東海道について一番知らなかったところ、一番アクセスが悪く、行き帰りに苦労する所が最も楽しく思い出に残るものである。
路上観察東海道
若手能に続いて春の青翔会。喜多・金春・宝生の各流による舞囃子も、ほとんど半能くらいのボリュームでたっぷりと見られた。


 
舞囃子「半蔀」【喜多】 塩津圭介
 
「折りてこそ、それかとも見めたそかれに ほのぼの見えし花の夕顔」
「明けぬ前にと夕顔の宿りのまた半蔀の内に入りてそのまま夢とぞなりにける」
源平ものと並んで大きな能ソースとなっている源氏物語由来のお能で、光源氏と夕顔のエピから。同じテーマの「夕顔」という作品もある。

舞囃子「玉葛」【金春】 中村昌弘
 
「恋ひわたる身はそれならで玉葛、いかなる筋を尋ね来ぬらん」
これも源氏物語からで、玉葛は先の「半蔀」のヒロイン夕顔の娘。流派によって「玉鬘」の表記になるようだ。

舞囃子「猩々」【宝生】 東川尚史
 
「月星は隈もなし、所は潯陽の酔の内の酒盛、猩々舞を舞はうよ」
「よも尽きじ万代までの竹の葉の酒、汲めども尽きず、飲めども変らぬ秋の夜の盃」
中国伝来もの。舞囃子では面・装束はないが、本曲での赤頭赤づくめの装いを想像しながら勇壮な舞を鑑賞する。

狂言「梟山伏」【和泉】 シテ(山伏):河野佑紀 
            アド(兄):野村万之丞  小アド(弟):能村晶人

 
小中学生の伝統芸能初体験としてもぴったりと思える楽しい狂言。ミイラならぬフクロウ取りがフクロウになってしまう話だが、梟に取りつかれてもあまり不幸そうに見えないという所が、案外に深いオチかも。弟が突然に「ホー!」と叫んで驚かす所から、皆で「ホー・ホー」と退場していくラストまで休みなしに笑える。
兄役の野村万之丞さんは、昨年夏に万之丞を襲名した。「梟山伏」は、彼の虎之介時代に一度見ている(うひゃ~こういう書き方が出来るようになって嬉しいわ~)その時は虎之介さんは山伏役で、実弟の拳之介くんが弟役で「ホー!」と叫んでいた。
狂言では「寿福寺の鐘はゴォォォ~ン」の「鐘の音」と、この「梟山伏」が一番好き。

能「賀茂」【観世】 シテ(里女/別雷神):青木健一
          前ツレ(里女):小早川泰輝  後ツレ(天女):武田祥照
          ワキ(室明神神職):矢野昌平
          ワキツレ(従者):村瀬提・村瀬慧
          アイ(賀茂明神末社の神):上杉啓太
 
「白羽の矢」が出てくるお能。里女と天女は、ツレの前後のようだが今回は別人が演じている。
脇能というのはだいたい退屈なのだがm(__)m、 これは華やかで楽しめる。アイも面をつけて舞う。各人の装束も素敵なのに、「演目別にみる能装束」のⅠにもⅡにも「賀茂」は出ていない。後シテ別雷神の黒い冠に白い爪?のようなものがついているのは何なのか知りたかったのに。前シテ・前ツレは女性らしいカラフルで華やかな唐織、後シテは赤頭、金やオレンジの縫のある黒の上衣(法被?)、天女はクリーム色の上衣に鶯色の袴で春らしい装い。
地謡・囃子方に女性が3人もいるのが目を引いたが、優しげな掛け声もこの曲には合っていると思えた。

国立能楽堂にはギャラリーが付設されており、面や装束を始め、いろいろな資料が展示されている。無料なので、能を見る予定がなくても、近くに来た時は寄って見学できるし、ついでに、毎月美しいデザインで作られている上演チラシもGETして楽しめる。
今回は「能絵の世界」という企画展があり、とても面白かった。
能を題材とした絵は、大名家などで絵師に描かせ、保存されていたようだが、何百年も前に描かれたものが、今も色彩鮮やかに残っており、いかに大切に保管されていたかを物語っている。絵を収納する箱なども、実に豪華な造りである。
今回は「能絵鑑」という有名な能絵シリーズの企画展で、なんとこれは先日、NHKドラマ「忠臣蔵の恋」に登場した六代将軍家宣と、その正室の周辺で描かれたシリーズだという。4バージョンのシリーズがあるそうだが、そのうち一つは行方がわからず、残り三点が、国立能楽堂、法政大学の野上能研、宇和島伊達家にそれぞれ保管されており、今回はそれらを集めて展示したものだそうで、同じ作品の同じ場面を描いていても、それぞれ細かい違いの見られるところなど詳しい説明と共に展示されており非常に興味深かった。

国立能楽堂 青翔会/能絵の世界
昨年の「真田丸」では、あっという間に終わってしまった関ヶ原というのが話題になったが、今年の桶狭間も、織田信長も出て来ず、定番の今川義元討死シーンも省略で終わった。主人公視点を中心にとらえ、いわゆる歴史的見せ場は作らないというのが、最近の大河ドラマのトレンドになりつつあるということか。
井伊家にとっては「おいしい仕事」になるはずだったのが、まさかの負け戦、それも当主が討死してしまうという悲劇に見舞われる。一方で、将来、主人公と深い関わりを持つ松平元康(徳川家康)は、まさかの展開に慌てたものの、結果的にはとんでもない幸運が転がり込んできたことに気づく…というのが前回の流れで、今回はそれに続いて、ようやく待ちに待った井伊家嫡男の誕生、しかしその直前に、生母の実父が不慮の死をとげ、またまた家中の火種がくすぶり始める。
月23日の記事に入れた井伊直虎本3冊では、直政(虎松)誕生がどのように書かれているか。
まず最もコンパクト版の火坂雅志『井伊の虎』を見ると、あれ?? 虎松は、井伊直親が井伊谷に帰参した時すでに生まれており、直親は妻子を連れて帰ったということになっている。そして生母の父、奥山朝利は「信濃との国ざかいに近い土豪」で、逃避行していた直親を匿い、自分の娘と娶わせた。奥山朝利が小野正次を襲って返り討ちとなる事件は、短編ということもあるのだろうが、完全にスルーされている。

他の2冊では、ドラマとほぼ同じ展開で、虎松誕生と奥山事件が描かれている。
ただ生母の名は「ひよ」(梓澤要『女にこそあれ次郎法師』)、「日夜」(高殿円『剣と紅』)で、Wikiでも「奥山ひよ」となっているので、ドラマの貫地谷しほりがなぜ違う名なのかは不明。
それはともかく、井伊直親は、逃避行中にも正室とは別の妻子(娘)があったというのは史実らしい。梓澤・高殿の両作品でも触れられている。ドラマでは省略なのか、それとも今後サプライズな登場予定になっているのかわからないが。
井伊谷関係の史料は最近までほとんど不明で、次郎法師についても謎が多いというのはよく言われているが、火坂作品は梓澤作品よりもずっと後に書かれているのに、なぜ逃避行中の隠し妻(?)を正室の奥山女にしてしまったのかわからない。井伊直政の生年が桶狭間の翌年の永禄四年(1561)というのは、いろいろな所に書かれていて定説だと思われるのだが。

さてドラマの方は、桶狭間で父を亡くした次郎法師の悲嘆、当主を失って混乱する井伊家、その中でようやく嫡子懐妊の喜び、といった流れはほぼ納得いく形で描かれていたが、奥山朝利の事件はどうも消化不良である。ドラマでは、奥山vs小野、一対一の個人的な事件として描かれていたが、先述の2作品(たぶん史実も)では、奥山が手勢を率いて小野を襲うが返り討ちに合うという、ミニ内乱のようなものだったらしい。
奥山朝利は多くの子を持ち、娘たちをそれぞれ、井伊家嫡男の直親・小野政次の弟玄蕃朝直(桶狭間で戦死)に嫁がせた。ドラマにはこの二人しか登場しないが、その他、中野直由・井伊谷三人衆の一人鈴木重時の室も奥山の娘である。
短いシーンではあったが、奥山がうまく立ち回り、あちこちに娘を縁づけて家中での存在感を強化しようとしているキャラは、よく出ていた。しかし、娘たちが姉妹であることが視聴者にはあまり印象づけられていない。中野直由はドラマに登場しているので、彼の妻である娘もちょっとでも登場すれば良かったのに(そもそも、せっかく浜松出身でもある筧利夫さんが演じているのに中野直由の存在感が薄すぎる!!坂本竜馬の用心棒を勤めた長州人を演じた時はワンポイント出演でも非常に印象的だったのに)

それだけ上手に立ち回っていた奥山が、なぜ急に小野政次(=鶴)を襲うような事になったのか。まぁこれは小説でも、充分に納得いくような描かれ方はされていないのだが、少なくとも、もう少し人間関係を先に丁寧に描いておいてほしかったと思う。最初の数回が、子役たちが良かったとはいえ、あまりにも鶴亀おとわのドリカム・グラフィティで終わってしまったので、鶴の弟もいきなり登場した感じだし、山口紗弥加が鶴の妻ではなく、戦死した弟の妻だというのも、何となくわかりにくかった。(そういえば、鶴はまだ結婚していないのか? Wikiでも妻については「不詳」となっているが…)

井伊家については、このようにやや描写が雑な所が目につくが、今後の期待は、徳川家康と、後の築山御前となる瀬名姫とその子供達の話である。こちらも悲劇的結末となるのはよく知られているが…ドラマでは、瀬名姫と次郎法師がメル友という設定になっているのも面白い。
家康の生母であるお大の方は登場するのだろうか、ぜひ登場して築山御前との嫁姑バトルを繰り広げて欲しいのだが。
あまりそちらが中心になると、井伊家の大河ドラマでなくなってしまうという懸念もあるが、築山御前の母はドラマにも登場している通り、井伊家の女性である。家康の長男信康が、この母方の血を引くことになるのも、井伊家的には重要な点である。
一般に歴史ドラマは、父系の血脈で語られるが、母系の流れを見るとまた違ったものが見えてくると、永井路子氏などがよく言われている。
井伊&徳川の今後の展開、次郎法師の「龍宮小僧」ぶりと共に期待したい。
井伊直政誕生
国立能楽堂には能楽師の研修所があり、研修発表会である年三回の「青翔会」と研修を修了した若手能楽師が東京・京都・大阪で行う「若手能」がある。いずれも格安のお値段で各流の能が見られる上、番組も初心者用に詳しい解説と、何より出演者全員の詳しいプロフィールが掲載されているので、親子関係・師弟関係もよくわかり、私的には、はずせないイベントとなっている。



とくに今回は「吉野静」なので、とても楽しみだった。四年ほど前の春に吉野の千本桜を見に行き、佐藤忠信の旧蹟も目にしていたので、ようやくこの作品を見る事ができてとても良かった。
 
「吉野静」【宝生】 シテ(静):和久荘太郎 ワキ(佐藤忠信):御厨誠吾 
          アイ(衆徒たち):中村修一・内藤連

 
凛太郎くんのパパ荘太郎氏のシテである。水道橋ではおなじみだが、今日は千駄ヶ谷の国立能楽堂。国立能楽堂は、いろいろな流派が見られるのがよい。(といってもこちとら初心者には、ほとんど流派による違いとかわからないのだけれども)

「須磨源氏」【観世】 シテ(樵の老翁/光源氏):松山隆之 
           ワキ(日向の神官藤原興範):村瀬慧 アイ(里人):竹山悠樹

 
光源氏ゆかりの若木桜のある須磨寺は、清盛ブログの神戸ツアーで訪れた熊谷直実敦盛一騎打ち像のあるところ。
一昨年2月の華曄会の時、大雪で後半のみになってしまったものが全曲見られた。光源氏ものだが、女性は登場せず光源氏が一人注目を集める作品で切能にカテゴライズされるそうだ。現在ものでもないので、四番目にはならないのだろう。
 
狂言「文蔵」【和泉】 シテ(主人):高野和憲 アド(太郎冠者):内藤連

内藤連さんは、吉野静の衆徒についでの大活躍。
この狂言では、シテは主のほうで、太郎冠者が助演。シテの源平盛衰記「石橋山合戦」の一人語りが眼目だそうだが、狂言の方々は、お能の間狂言でも、長々と一人で語るのが普通だから、これくらい何でもなさそうに見える。
タイトルの「文蔵」は、頼朝の家臣で石橋山合戦で討死をとげた真田与市(真田!?地元では佐奈田と表記されているようだが)の守役の名前だが、太郎冠者が禅寺で供される「温蔵粥」と間違えていたというオチ。
第26回東京若手能
深大寺・神代植物園には、年2回の植物園無料の日や、いつでも無料の水生植物園などに時々行っているし、深大寺がゴールの武蔵野ウォークイベントなどもあるけれど、「だるま市」はこれまで行ったことがなかった。何でも深大寺のだるま市は、全国三大だるま市の一つだという。あとの二つは、だるま生産量が日本一の高崎だるま市と、製紙工業で出る屑紙を利用して作られる富士市の毘沙門天祭だるま市だそうだ。

深大寺は東京郊外の北部を走るJR中央線と南部を通る京王線の間に位置し、三鷹駅と調布駅から、それぞれバス便もあるが、京王線の各駅からもいろいろなルートがある。今日はお天気も好いので、一番東寄りの京王線柴崎駅から、野川沿いに歩いていくことにする。
(ちなみに、かわせみの『玉川の鵜飼』で、おるいさん達が「日野の一つ手前の柴崎の宿から玉川に沿って登って行く」とあるのが、ずっと不思議に思っていた。柴崎駅は急行も止まらない京王線でも最も地味な駅の一つで、日野からも多摩川からもかなり離れているからだ。多摩モノレールが出来て「柴崎体育館前」という駅があるのを見てようやく、日野にも柴崎という町があって、それのことなんだと気がついた。日野の柴崎と、もっと東寄りの調布の柴崎と、何か関係があるのか全くの偶然なのか、検索してもよくわからない。)
                  

柴崎駅から甲州街道に出て西へ向かって進むと、間もなく野川と交差する。右折して川沿いを歩く。数年前のNHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」では、ヒロインが自転車に乗って野川辺を走る姿がよく写っていたが、平成21世紀になっても変わらぬのんびりした風情。散歩する老夫婦や、河原に出て遊んでいる保育園児のグループ。風はやや冷たいが、すっかり春になった陽射しが河原に濃い樹の枝の影を落としている。
十数分歩いて榎橋の所で、また右折して三鷹通りを北上。中央自動車道のガードをくぐると、左手はもう、神代植物園の水生園(初夏は花菖蒲ほかの水生植物が多数、無料で見られる)とその奥の深大寺城址になり、ガードを出てすぐ直接に裏口から入れるルートがないかずっと探しているのだが見つかっていない。
三鷹通りを進み交差点の東参道の道標を左折して、おなじみの深大寺通りに入る。いつもは静かな通りだが、今日は露店がぎっしりと立ち並び、まるで違った風景で、山門の前もうっかり通り過ぎそうな感じである。

                                                                                                                    これは通常の山門
        

 
山門をくぐり境内に入ると、だるま・だるま・だるま・・・の光景。一抱えもある大きなものからカラフルなミニだるままで。

       

 
虚子の胸像と「遠山に日の当りたる枯野かな」の句碑が境内にあるが、今日は虚子もだるまの店番に駆り出された格好である。おなじみの「鬼太郎茶屋」も珍しく存在感がちょっと薄い。

           

 
深大寺のだるまの特徴は、目玉が普通の●でなく、梵字を入れること。新しく求めたダルマの左目には物事の始まりを意味する「阿」字を入れて開眼し、心願叶ったダルマの右目には物事の終わりを意味する「吽」字を入れ感謝の意を込めて納めるのだそうだ。
お坊様じきじきの筆による「目入れ」を待つ行列が長々と続く。
とてもこの行列に並んで待つ根性はないので、小さなストラップを買って記念にする。梵字は目玉でなくお腹に書かれていて、傾けると目玉が飛び出すのがご愛敬。

       

 
不信心者にはこれで用済みのだるま市だが、午後から「お練り行列」があるので、それまでの時間つぶしにまずは蕎麦店へ。このぶんでは、蕎麦屋もどこも行列かと思ったが、信心厚い皆さんは、だるま選びや目入れ行列並びのほうにいるので、店はどこもそれほど混んでいない。いつもの「青木屋」さんで盛蕎麦を頼む。深大寺のお蕎麦屋さんはどこもコシがあって美味しいお蕎麦でハズレはないので、お財布に優しい所が一番よい。店内は半分くらいの席が埋まっているが、普段からみるとこれでも混雑状態らしく、臨時アルバイトのお兄ちゃんが、箸も取らぬうちからもう蕎麦湯を持ってくる。さっさと食し、回転率向上に貢献する。

          

 
時間つぶしで深大寺門から植物園に入場。高齢者割引が有難い(^○^) 
冬枯れで見るものはないかと思ったが、辛夷の芽や、マンサク、山茱萸など、春の訪れを感じさせる木々がいろいろ。


 
梅は終わりかけているが、大木の椿や、クリスマスローズ・福寿草などの草花も楽しめる。野草園はまだほとんど花は見つからないが、小さな小さな白い花が開きかけているのを、膝をついて熱心にカメラにおさめている人もいる。

   

 
花を上手に写真で記録できればいいなぁと、お仲間のブログなどを見てもよく思う。私は下手くそでいつも紙クズみたいにしか撮れない。カメラに頼らず心の中にとどめておいて、来年また見に来ればよいとも思うのだが、ついついシャッターを押しては「携帯カメラじゃやっぱりしようがないなぁ」とガッカリの繰り返し。
 
落ち椿
     

 
深大寺に戻ると、すでにお練り行列がスタンバイしていて、カメラを構えた人々も脇に並んでいる。講中の人々が小さい食膳のようなものを捧げ持っているのは「百味献膳」の儀式によるものだそうだ。雅楽衆を先頭に正装の僧侶たち・裃姿の講中・木遣り衆が続く。

                  

 
唱えられる聲明は比叡山以外では滅多に聞くことのできない天台宗に古くから伝わるものだというが、これらはすべて帰宅してからHPで見て知ったこと。


                 

 
帰りは、三鷹通りから野川沿いに折れず、そのまままっすぐ南下して往きと逆の西回りで、布多天神に寄る。非常に古い神社で、第十一代垂仁天皇の代の創建とも言われている。もっともその当時は菅原道真よりずっと前だったわけで、15世紀になって多摩川の洪水を避けるため、現在の場所へ遷座された時に道真を祀り天神となったそうだ。という事は元々は多摩川の川辺にあったらしいが、調布という地名も、多摩川の水で「布を調え」帝に献上したことからついた名といわれる。
                                            寛永期の狛犬
       




  
また江戸時代に甲州街道が作られてからは、『玉川の鵜飼』にも書かれていたように、上石原・下石原・上布田・下布田・国領の五宿が布田(=布多)五宿と呼ばれるようになり、布多天神社は布田五宿の総鎮守として、五宿天神ともいわれ道中の無事を祈る旅人たちの信仰も得るようになった(東海道・中仙道と違い、賑わうまではいかなかったかもしれないが)
調布駅から帰宅。

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話は全然変わるが、帰宅してNHK=BSの「五辨の椿」を見たら(「雲霧」のあとそのまま録画設定になっていたので)堺雅人さんが出ていたのでビックリ。これ何年前だろう。確かリアルタイムのときも見ていて秋吉久美子の悪女ぶりに感心した覚えがあるけど、堺さんが出ていたことは全然記憶になかった。まだ主役級ではなかったけど、結構いろいろなドラマに出ていて良い味を出していたんだなぁ。今見るとなんとなく真田源次郎に見えてしまい、何かやらかしそうな期待を持ってしまう(笑) 

深大寺だるま市